第8話 瞬間の選択

 どうする。タイクウが思案し始めた、その時だった。

 突如、細い光の帯が上から下へ駆け抜けていき、頭上で破裂音が響いた。ガクンとタイクウの体が下に落ちる。きっとパラシュートに穴が空いたのだ。誰がやったかなど、確かめなくても分かる。

 なんだかタイクウは、それに背中を押された気がした。


『夕陽さん、信じて!!』

『もう一回目を閉じてろ、依頼人!!』

 叫ぶと同時に、タイクウはヘルメットを脱ぎ捨てた。空気抵抗をできる限り減らして、体を縦にする。両目に神経を集中させて速度を上げていく。

 人の目で見つけられない。


 右腕が燃えるように熱くなり、全身に広がっていく。その熱は体の内側から膨れ上がり、体中の血管を引きちぎり、骨を折り、皮膚を突き破って。体全体を作り変えていく。

 声を漏らしてしまうほどの激痛が、タイクウを襲った。痛みで飛びそうになる意識を懸命に保つ。

 歯を食い縛り目を見開くと、思惑どおりに視界は明瞭になっている。

 夕陽は目を閉じてくれているだろうか。波打つ瑠璃色の海面がどんどん迫ってくる。


『いつもいつも! くだらねぇことで、メソメソすんなこの後戻り野郎!!』

 少し幼い相棒の言葉を思い出す。

 何度も何度も叱られた。しかしタイクウの、『後悔してしまう性格』はなかなか治らない。それが分かって、二人はせめて、と約束したのだ。

 一つは後悔しても、なるべく早く切り替えること。もう一つは。


『ウダウダ迷ってチャンスを逃して、やっぱりやれば良かったって言うのは本気でウゼェから止めろ! どうせ後悔すんなら、で後悔しろ!』

 そう、『あの時、ああしていれば良かった』と言う後悔だけは、絶対にしない。


 海面まで後どのくらいだろう。もう指輪は海に落ちてしまったのだろうか。いや、絶対に見つける。

 タイクウは目元に神経を集中させ、金属の輪を探す。キラリ、と。日の光を反射して、小さくも鋭い光が見えた気がした。右だ。

 眼球を動かした瞬間、瞳が輝くを捉えた。

『あああっ!』

 思わず、喉の奥から絞り出すようにして叫ぶ。タイクウは思いきり、右腕を光に伸ばした。


 つかんだ、と思ったと同時に、海面から離れるように上昇する。

 大きく肩で息をしながら、震える右手を左手で包みながらそっと開く。チェーンつきのシンプルなシルバーリングが、手の中で輝いていた。

「――やったぁっ!」

 タイクウはそれをもう一度握りしめ、拳を天へと突き上げた。




「本当に、本当にありがとうございました。大袈裟でなく、本当にこの御恩は一生忘れません……!」

「いやいや、本当に大袈裟だよ! ヒダカに気持ち悪がられちゃうよ?」

「どう言うことだ⁉ そりゃ」

 直角よりも深々と頭を下げている夕陽に、タイクウは気楽な調子で笑いかけた。


 三人がいるのは「都内」の中心部。役所前の公園である。瓢箪のような形の噴水の前で、鳩がくちばしで地面をつついている。ベンチには仕事の休憩時間なのか、スーツ姿の男性が携帯端末をのんびり弄っていた。周囲を高層ビルに囲まれた「都内」で、ここは緑のオアシスのような役割なのだろう。暦としてはそろそろ秋だが、公園を取り囲む木々はまだ青々と繁っている。彩雲と比べても随分と暑い。

 海面に浮かんだ元空港から本土へ渡った三人は、着替えなどを済ませてこの場所へやって来た。

 これから新たな生活を始める夕陽のためである。


「かなり危険な目にも遭わせちゃったし。本当にごめんなさい。最後は特に怖かったよね?」

「いいえ! ちゃんと確認しなかった僕が悪いんです。指輪はバッグの内側のポケットに入れていたんですが、しっかりファスナーが閉まっていると思い込んでしまって」

「だから、こっちも再三確認したろうが⁉」

「も、申し訳ありません!! ある意味その、舞い上がってまして」

「まあまあ、結果なんとかなったってことで」

 夕陽を叱りつけるヒダカを宥め、タイクウは顔を綻ばせる。無茶をしてまで、頑張って良かった。


「そうそう、夕陽さん。これから何か困った事があれば、この連絡先に。きっと力になってくれるよ」

 そう言いながら、タイクウは一枚の名刺を夕陽に差し出す。不思議そうにそれを眺めて、彼は名刺を受け取った。

「これは?」

「んー、ウチの協力者というか、なんというか……。ほら、元空港に船で迎えを寄越してくれたのも、この人なんだよね」

 さて、なんと説明しようか。タイクウは思わず隣のヒダカへ視線を向ける。

 それを言いにくいことだと思ったのか、夕陽は思い出したように別の話題を振った。


「あ、そう言えば、依頼料も本当にアレだけで良かったんでしょうか? 金額があまりにも少ない気がするのですが」

「細けぇことは良いんだよ」

 ヒダカがそれに被せるようにして、面倒くさそうに言う。

「その分、から、たっぷり搾り取ってやるからな」

 こちらに軋む音が聞こえてしまいそうなほど、ヒダカは歯を食いしばって苦々しく呟いた。


「うん。これから物入りでしょ? お金はあるに越したことはないよ。だから夕陽さんは何も気にせず、ここでの生活を楽しんでね!」

 楽しむ。それはタイクウが言える、精一杯のエールだ。

「はい! 色々なことがあると思いますが、精一杯頑張っていきます。『後悔しない』と言う、お二人との約束を違えない為にも」

 思わずタイクウは、驚きで目を見開く。夕陽は、出会った頃よりも少しだけたくましくなっているような気がした。


「ありがとう。元気でね」

「はい! お二人もお元気で! 帰り道は十分お気をつけて。あの」

 夕陽が言葉を止め、不安そうに眉を寄せた。

「お二人って、その、本当に帰れるんですよね? 企業秘密っておっしゃってましたけど」

「あー」

 思わず相棒と目を合わせる。ヒダカが何も言わないのを見て、タイクウは嘆息して夕陽に向き直る。そして、人差し指を立てて口元に当てた。

「心配しないで。くれぐれも、地上と彩雲を行き来している人がいることは秘密、ね?」

「はぁ……」

 夕陽は首を傾げ、曖昧な声を上げた。



 いくらか歩みを進めて、タイクウは後ろを振り返る。夕陽はしっかり前を見据えて、役所の自動ドアを颯爽とくぐっていた。少しだけ大きく見える背中に、安堵を覚える。

 地上は正しく別世界だ。道路を走る無数の電気自動車やソーラーカー。超高速浮上走行が可能になった電車や新幹線などの公共交通機関。デジタル広告に映るキラキラした女性の立体映像。忙しなく行き来する人々や、話題のスイーツ片手に談笑する若者たち。自分も以前はその中にいたなんて、とても信じられないくらいだ。


「ねぇ、ヒダカ」

「ああ?」

「夕陽さんに僕のこと、知られちゃったかなぁ」

 緊急事態で仕方がなかったとは言え、できれば秘密にしておきたいところだ。それに見ていて、あまり気持ちのよいものでもない。

「まぁ、あの態度なら大丈夫だろ」

「そうだね。ヒダカが気を遣って、目を閉じてるようにも言ってくれたし――あっ、そう言えば、ヒダカ」

 タイクウは困った顔をして眉を顰め、隣の相棒を眺める。


「指輪を追いかける時、確かにすぐスピードが出せて助かったけど……やり方が過激すぎない? パラシュートに穴空けちゃってどうするの。それに光線銃のエネルギー、まだ残ってたんだね」

「あー、あれだ。意外とエネルギーが無くなったと思っても、電源入れ直せば使えたりすんだろ?」

「あれ? 使えたの偶々!?」

 そうとも言うな。そう、ニヤリと笑った顔はとても凶悪に見える。しかしタイクウにとって、見慣れたそれは心強さを感じる笑みだ。


「いつもありがとう、ヒダカ」

「あぁ⁉ 突然なんだよ、気持ち悪りぃ」

「あははっ! すっごい嫌そう――あっ」

 タイクウが視線を上げると、遠くの空が朱色に染まり始めていた。もうすぐ空全体が、その薄紅色をまとっていくのだろう。

 彩雲の空よりも鮮やかさは劣るけれど。きっとこれが、本当の空なのだ。

「ちゃんと、見られると良いなぁ……」

「おい、行くぞ!」

 思わず立ち止まっていたタイクウは、慌ててヒダカの下へ駆け出した。

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