第4話 飛べ飛べウササギくん
天空都市を覆う
タイクウは人気の少ない町を歩きながら、夕空を眺めていた。
この辺りは観光の中心部で、昔は観光客で埋め尽くされていたそうである。地上との往来が絶たれ、彩雲は元々少ないエネルギーのほとんどを障壁に回さざるを得なくなった。もう一時間もすれば、節電のために周囲の建物も一斉に照明を落とすだろう。
騒がしい声と共に、小学生くらいの子どもたちがタイクウとすれ違った。早く帰らないと怒られるという叫び声から、家路へと急いでいることが分かる。自分も暗くならない内に帰ろうと、自然とタイクウの足は早まった。
ふと彼が視線を前方へ移すと、ガードレールに背中を預け、同じく夕日を眺めている人物を発見した。昼間に話をした
「夕陽さん?」
「あ、あの時の運び屋さん……」
彼は昼間と同じ装いで、少しぼんやりとして答えた。タイクウは柔らかく笑って、彼に近づいていく。
「タイクウだよ。よろしくね。こんな所でどうしたの?」
ここはまだ住居区よりも、タイクウたちの事務所の方が近い。彼が考えさせてくれと言って、事務所を出て行ってから数時間が経過している。ずっとこの辺りにいたのだろうか。
「つい、その、考え事を。タイクウさんはお買い物ですか?」
夕陽はタイクウの手元に視線を落として言う。そこには、少し中身の膨らんだ買い物袋があった。
「うん。そんなところかな。となり、いい?」
「え? ああ、はい」
「ありがとう」
タイクウは夕陽の隣に並び、彼と同じようにガードレールに背を預けた。
夕陽の手元を見ると、一枚の写真が握られている。亡くなったと言う両親と幼い頃の夕陽だろうか。幸せそうな家族が、カメラに向かって笑みを浮かべている。
「ああ。これは父が肌身離さず持っていた物なんです。こんな時代だと、アナログの方が逆に便利ですよね」
顔を歪ませて笑い、夕陽はその写真を黒皮の手帳に挟んで仕舞う。ちょうど、ビルとビルとの間に、沈んでいく夕日の映像が鮮明に見えた。偽物だと知らなければ、その鮮やかな橙色に感動すら覚えたかもしれない。
「申し訳ありません。即答、できなくて」
夕陽が不意に口を開く。彼は眉を寄せて、自嘲のように笑った。
「地上に行きたい気持ちは本当なんです。でも、ここでの生活も、決して悪いものではなかった。だからいざとなると、考えてしまって」
現在、彩雲の人口は数万人と言われている。人間は案外たくましいもので、地上との往来が途絶えても限られた資源を使って営みを続け、極力エネルギーを使わない娯楽や、ちょっとした日々の中に幸せを見出して生きている。
教育や医療など最低限の生活は保障されているし、天空鬼が現れたばかりの混乱期とは違い、電力配分の見直しやどこかの運び屋の活躍もあった今、数ヶ月に一度程度ならば地上とビデオ通話ができる日も設けられている。
ずっと先の未来を見据えなければ、ここで生きていくという選択も決して間違いではないのだ。
「いや、それって当たり前だよ! 誰だってあんな風に言われたら、そりゃあ困っちゃうよね」
でも、と言って、タイクウは言葉を区切る。
「地上は理想郷でもなんでもない。ここより少し便利なだけの、普通の場所だよ。だから、そこに降りることを本当に望んでいるのかどうか。命を懸ける価値があるのかどうかを、よく考えてほしくて」
この選択は、その後の人生を大きく左右する。だからこそ、しっかり考えて選んでほしい。運び屋「
「どちらが後悔しないかと言うよりも、僕は結局、どちらを選んでも後悔しそうで怖いんです。あまり自分に自信がある方ではないので。――お二人みたいな方なら、自分の選択に自信を持てるんでしょうね」
タイクウは目を大きく見開いて、慌てて手のひらを顔の前で激しく振った。
「そんなことないよ! 僕なんか、しょっちゅういろんなことで後悔してるよ。ヒダカに矯正されたから、いつまでもメソメソ引きずることはなくなったけど、未だによく『あんなことしなきゃよかった』って思うよ」
「そう、なんですか?」
「そうそう。小さい頃は特に酷くてね、走って転べば『走らなきゃ良かった』、買ったお菓子が好みじゃなければ『あっちを選べば良かった』。自分でも面倒くさくて、ウンザリするくらい」
『こーわーいー! 空にすいこまれるぅぅ!! やっぱりこなきゃよかったあぁぁぁっ!』
『うるせぇ! タイクウがついてくるって言ったから、つれてきたんだろ⁉ なくな! うっとうしい!』
『うわーん! 空がちかいぃー! こわいいぃぃっ!』
『さわぐな! 怒られるだろーが!』
ふと懐かしい記憶がよみがえり、タイクウはくすぐったい気持ちで笑う。小学校に上がる前くらいだっただろうか。ヒダカにくっついて初めて彩雲へ旅行にきたとき、タイクウは滑走路から見上げた空に圧倒されて泣き叫んだものである。
昔は何かあるとすぐ自分の選択や行動を嘆き、いつまでもグズグズめそめそと泣いていた。そんな自分に付き合うヒダカは、さぞ鬱陶しかったことだろう。
「だからね。難しいことをお願いしてるな、とは思うんだ。僕はいつも悔やんでばかりなんだから」
タイクウは目を伏せ、袖とグローブで隠れた右腕に、そっと触れた。
「でもね。『後悔』って、余程どうしようもないことじゃない限り、その先の行動によっては、切り替えたり絶ち切ったりできるものだと思うんだ。だから万が一後悔するようなことがあっても、夕陽さんが頑張れば、いくらでも良い方向に変えていけるよ。だから今回選ぶのは、それができそうな方を選んでほしいかな。……って、その方がよっぽど難しそうだけどね」
タイクウは歯を見せ、おどけたように笑う。つられたように夕陽は、少し弱々しい笑みを浮かべた。
タイミングよく、誰かの腹の虫が空腹の音を鳴らす。顔を赤らめ、夕陽は自分の腹を押さえて俯いた。
「……失礼しました」
「あらら。ずっとここにいたなら、お腹空いてるよね。んー、でも今食べられる物何か持ってたかな?」
デニムやコーチジャケットのポケットを探るタイクウに、夕陽が慌ててお構いなくと声をかける。
「そうだ! 小さすぎて、お腹の足しにはならないかもしれないけど、良かったらコレ食べて」
タイクウが差し出したのは、小さなビニール袋に入ったラムネ菓子だった。真っ白で丸いシンプルな形状はどこか錠剤を思わせるが、袋にはピンク色で製菓メーカーのロゴが入っている。
「これ……」
「ああ、お菓子のオマケ。知ってるかな? 老舗の企業が出してた『飛べ飛べウササギくん』シリーズって言う」
タイクウの言葉を遮るようにして、夕陽は目を見開き表情を輝かせた。
「え⁉ やっぱりあの、羽が生えたウサギの、申し訳程度にオマケがついてるシリーズですよね? 懐かしいなぁ! まだあったんですね」
思いがけず同志を見つけた嬉しさで、タイクウはパッと表情を明るくした。
「そうそう。元々それを作る工場で働いていた人たちが『彩雲』にいて、趣味と実益を兼ねて作っている物なんだ。個数も少ないし値段もお高めなんだけどね。いつも仕事終わりのご褒美で買ってるんだー」
ラムネ菓子を差し出すと、夕陽は両指でそっと大切そうにそれを受け取った。閉じた唇に力が入り、何かを噛みしめるようにしながらそれを見つめている。
「本当に懐かしいな。母がまだ生きていた頃、よく両親にねだって買ってもらってました。このラムネも意外と好きだったんだよなぁ」
彼の声は、泣いているかのように震えている。タイクウは見守るような眼差しで、彼の横顔を見つめた。
「――僕のこの、『夕陽』と言う名前。夕焼けからいただいたそうです」
「うん」
「もう大分薄れてしまいましたが、幼い頃の記憶の中には、絶えず変化する空と、その下で笑う両親の姿がありました。この食玩も、保育園の帰り道によく買ってもらってたんですよ。あの時の夕焼け、綺麗だったなぁ……」
彼は今、幼い頃の思い出の中にいるのだろう。夕陽の両目から不意にこぼれ落ちた物を見て、タイクウは思わず息を呑む。
「ねぇ、タイクウさん」
夕陽が顔を上げ、空を見た。
「地上の空は、今も変わっていないでしょうか?」
彼の顔は、涙で顎まで濡れている。タイクウは力を抜くように息を吐くと、柔らかく微笑んで告げた。
「変わってないよ」
心の底から絞り出すように、夕陽は嗚咽を漏らした。
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