第3話 Make a choice without regret
『彩雲』では、商業ビルや役所などの主要施設が立ち並ぶエリアの他に、農業や養殖、畜産を担うエリア、人の住む移住エリアなど、その浮島内に必要なものが凝縮されている。
しかし、無駄なく活用しなければならないこの土地で、ゴミ捨て場のような場所が一区画だけ存在する。それが今、タイクウたち三人が向かっている場所であった。
ビル群を背にし、狭い路地を更に奥へと進んでいく。天空都市の影とも言うべき、陰鬱とした空気が漂ってきた。路地の壁は薄汚れており、触れた服の袖に黒い汚れを付ける。道のコンクリートはひび割れ、所々めくれて下の土が見えていた。古い油のような香りが漂ってきて、青年、
「ごめんね。もうすぐ着くからね。事務所の中はまだ色々とマシだから」
「マジで多少はマシって言う、レベルだがな」
タイクウもヒダカもあまり堅苦しいのは得意でなく、夕陽に了承を得た上で言葉遣いを崩していた。
「すみません、大丈夫です。正直、この場所も初めてきたもので」
「そうだよね。こんな場所普通は来ないもんねー」
夕陽のすぐ前を歩いていたタイクウは、緩んだ笑みを浮かべた。先導していたヒダカが足を止める。目的地に到着したのだ。
「おら、着いたぞ。碌な場所じゃねぇが、歓迎するぜ、依頼人」
顎をしゃくるようにして、ヒダカがソレを指し示す。夕陽は唖然とした様子で、目と口を大きく開けていた。
そこにあったのは高く積まれた金属ゴミの山である。原型を留めていない物から、航空機の翼の一部だろうという物まで。かつて活躍していた機械の残骸が、山のように積まれて放置されている。
「機械はあの異形、
「そうか、ここは整備工場の……」
「そう、跡地だよ。で、僕らの事務所はあっちね」
タイクウはゴミ置き場の端、元警備員の詰所だったプレハブ小屋を指差した。住居として住めるほどの広さと設備が整っていたため、そのまま再利用させてもらったのである。
「事務所って……こんなゴミ山の近くで、万が一崩れてきたら埋もれませんか?」
「あー、大丈夫だろ。処理業者もぼちぼち活動してるしな」
ヒダカがそんな風に言いながら、事務所に向かって歩き出す。タイクウと夕陽も彼の後に続いた。
元詰所だからか、プレハブ小屋はこれと言った特徴のない外観である。扉のガラスは曇りガラスで、外から見えない様になっていた。小屋の入り口には簡素な看板が立てかけており、『運び屋
「これから僕、地獄にでも行くんですか……?」
「似たようなモンだろ」
「まぁ、とりあえず話を聞かせてよ。こっちも確認したいことがあるしね」
タイクウはポケットから鍵を取り出し、事務所の扉を開けた。入って目の前に、受付の為のカウンター。その奥には応接セットが置かれ、パーテーションで区切られた奥に、二人の事務机と居住スペースがある。居住スペースには、キッチンやシャワールーム、トイレや二人の自室など、一通りの設備がそろっていた。
「お茶でも淹れるね。この前、下で買ってきたのがあるからさ」
「へ⁉︎ ああ、お構いなく!」
狼狽える夕陽に笑いかけながら、タイクウはパーテーションの奥へと引っ込んだ。戸棚から湯飲みを出そうとして、ある事に気づいて動きを止める。
「ん? 一個もない……?」
「ああ? さてはテメェ、食器洗いすんの忘れたろ」
そう言えば、今朝の当番は自分だった。シンクを見れば、すっかり放置された食器が山積みになっている。
「ええー、すぐに使えないじゃん。うっかり二度寝なんかするんじゃなかった。ヒダカに叩き起こされて、そのまま出かけちゃったからなぁ」
ごめん、お茶はしばらく待っててね。そう依頼人に声をかけ、タイクウは渋々洗い場に溜まった食器を片付け始めた。背中に突き刺さる、ヒダカの鋭い視線を感じながら。
「僕が天空都市に来たのは、十年前。僕が十五歳の時です」
改めてお茶を入れ一息ついた所で、夕陽がポツポツと事情を語り始めた。応接セットのソファーに腰かけ、向かいにはヒダカとタイクウが並んで座る。夕陽は彼らより少しだけ年上だったようだ。
「僕は久しぶりに休暇の取れた父と、彩雲へ旅行に来ていました。父子家庭だったこともあって父はいつも仕事が忙しくて、久しぶりに父と過ごせる旅行を僕はとても楽しみにしていました。しかし、あんなことになるなんて……」
西暦二千四十年八月十日。高度約三千メートル付近。天空都市『彩雲』へと向かって上昇する航空機が、突如墜落する事故が起きた。
原因は一切不明。乗客乗員は誰一人として助からず、機体の損傷は激しく、その残骸すらほとんど残っていなかった。唯一残った部位は、何かに噛みつかれたような痕が残っていたと言う。
「あの航空機の事故の後、原因が解明されるまで彩雲は一時的に封鎖されました。でも、すぐにまた地上に戻れると思っていたんです」
事故からおよそ一週間が経った頃、なんと諸外国でも同様の事故が発生する。偶然にも損傷を免れた機内カメラは、信じられないモノを映し出していた。強靭な牙と蝙蝠のような翼、航空機を貪り食う異形たちである。
後に空の魔物『
「それからは、あっという間でした。天空鬼の存在が明るみになった途端、地上とのルートは完全封鎖。安全確保のために彩雲は、その高度を数千メートル単位で上げました。僕たちは天空都市での生活を余儀なくされてしまったんです」
「それで、何故このタイミングで地上へ?」
「先月父が病で亡くなりまして」
タイクウの問いに答えた夕陽は、膝の上に置いた拳を強く握った。
「ここでの生活が合わなかったんでしょう。生前から父はよく『帰りたい』ともらしていました。母や僕と過ごした思い出のある場所、母が眠る大地で暮らしたいと。その言葉はそのまま――遺言になってしまいました」
「なるほどな」
ヒダカは呟くと、ソファーに背を預け天井を見つめた。
「そんな時に、噂で聞いたんです! 封鎖されているはずの天空都市から地上へ、人や物を運んでくれる運び屋さんがいるって。それを聞いたら、居ても立っても居られなくなって……!」
「それで、桜さんのお店へ?」
「そんなことができる訳がないと、何度も思ったんです。でも」
夕陽は顔を上げ、叫ぶように訴えた。
「本当は僕もずっと、ずっと地上へ帰りたかったんです! あそこには大切な人たちも、父と母との思い出もある! それが突然、手の届かない所へ行ってしまったから……っ」
夕陽の言葉に、タイクウとヒダカは沈黙で応えた。やがて、ヒダカが低い声を出す。
「噂は本当だ。俺たちはそういう運び屋だからな。もちろん、依頼されれば俺たちはテメェを地上へ連れていく」
「そ、それじゃあ!」
「んーでもね。僕たちが地上へ行く手段なんだけど……」
身を乗り出し瞳を輝かせ、夕陽は次の言葉を待っている。タイクウの言葉に続けて、ヒダカが端的に言った。
「とぶんだよ」
「と――」
その一音だけ声に出し、夕陽の顔色が変わる。ヒダカはその顔を観察するように、厳しい視線を注いでいた。
「彩雲の最下層から、
装備は日々向上しているから、ダイブ自体は割と安全だ。そうヒダカは付け加える。
「で、でも、現れる異形、天空鬼は……?」
「襲ってくる天空鬼は、俺が全部蹴散らしてやる。テメェの守りは、コイツに任せときゃいい。ただな、百パーセント安全である保証はどこにもねぇ」
ヒダカは横にいるタイクウを親指で指しながら、依頼人を真っ直ぐ見据えている。その目から逃れるように、夕陽は僅かに俯いた。
「今の地上が、テメェにとっていい場所かどうかも分からねぇ。ちなみに、『やっぱり思ったのと違うからまた天空都市に戻せ』、なんて依頼は受けてねぇからな。地上から彩雲に戻る方法を一般人に知られるわけにはいかねぇ。こっちも事情があるんでな。それを覚悟の上で、今あるここの生活を全部捨てて地上に降りられるか?」
タイクウも夕陽の様子を静かに眺めた。こう問われて即答できる人間はいないだろう。案の定、彼はすっかり顔色を失ってしまっていた。
「どんな結果になっても、後悔しねぇ自信があるなら……お前の依頼、受けてやるよ」
そう言ってヒダカは、冷めているであろう緑茶を一気にあおった。
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