第2話 天空都市「彩雲」
空を見上げた。天を突き刺すように伸びたビルの間から、絵に描いたような青空が広がっている。当たり前だ。これは外気からこの都市全体を守る膜、そこに投影された偽物の空なのだから。
「オイ。ンなもん眺めてたって、仕方ねぇだろ。行くぞ」
「ああ、ごめんね、ヒダカ!」
先を行く相棒の背中を、タイクウは慌てて追いかけた。
天空都市『
この世界では遥か昔から、雲に混じって空に浮かぶ大地が目撃されていた。そこに何があるのか、どうして浮かんでいるのか。宙に浮かぶ大地は人々の憧れであった。
およそ百年前。空を飛ぶ手段を身につけた人々は、その大地に降り立つ。何もないまっさらな土地だったそこへ、人々は当然のように町を作った。
時代の移り変わりで色々変化はあったのだが、日本の天空都市『彩雲』は地上の都市と変わらぬ発展を遂げ、日本人憧れのリゾート地となった。
十年前、上空に機械を食らう異形、
舗装された道路の脇には、新緑のような色の街路樹が生い茂っている。これも効率よく光合成を行う為、人工的に作り出されたものだ。
ガードレールによって隔てられた車道は、不自然なほど静かである。歩道でも、時折歩いている誰かを見かけるくらいだ。
閑散とした銀行や郵便局のウィンドウを眺めながら、二人はビルとビルの間に伸びた裏路地へと入っていく。人とすれ違うこともできない狭い道を進んでいくと、やがて薄闇の中から地下へと続く階段が現れた。
彼らは迷わずそこに足をかけ、一歩ずつ踏みしめるように下りていく。錆びてきた手すりと奥に見える古びた木製の入り口が、どこか懐かしい感情を呼び起こさせた。
カフェ&バー『桜』。店主の名前をつけたそのカフェは、そこにひっそりと店を構えていた。扉は手動、メニューも紙で注文形式もアナログ。「昭和」の時代を思わせる、元よりレトロな雰囲気が売りのカフェ、だったのだが。彩雲のエネルギー問題により、その形式は一部標準的なものになってしまった。
タイクウは銅の取手を掴み、木製の扉を開く。軽いベルの音が客の来店を告げた。入って左側に丸テーブルと椅子が三組、そして右側にはバーカウンターがあり、その前には脚の長い椅子が四脚ほど置いてあった。昼食にもおやつにも中途半端な午後二時。しかし、一番奥のテーブル席に一人の男性客がいた。ベルの音を聞きつけて、調理場から店主が顔を出す。
「あら、二人ともいらっしゃい」
「桜さん、こんにちはー」
「おう」
無愛想なヒダカの返事に、
彼女とタイクウたちが出会ったのは、もう十年以上前になる。まだ彼女の祖父母がこの店を営んでいた頃からの付き合いだ。
訳あってしばらく家族同様の付き合いをしていたため、店に来たと言うよりは、実家に帰ってきたような安心感を覚える。
「二人とも今日は食事? それとも……ただの暇つぶしに来たのかしら?」
もう慣れたもので、彼女は二人を一番奥のカウンター席に通してくれる。そこに腰かけ、ヒダカが桜を睨むように見上げた。
「さすがに、こんな所で暇は潰さねぇわ。仕事がねぇか聞きに来たんだよ」
「閑古鳥バレバレだよね、僕ら。前に仕事で荷物を運んだのが、もう二週間前? 結構経つよね」
「……それはそれで、暇つぶしみたいなものよね」
呆れたように言って、彼女はお冷をタイクウたちに差し出す。桜は現在、一人で店を切り盛りしながら彼らに仕事を斡旋してくれることもある。
幼い頃からの付き合いなだけはあって、二人は彼女に頭が上がらない。ヒダカの口の悪さも、桜の前では少しだけマシになるのだ。
「残念だけど、仕事はないわ。だけど、ついでに何か食べていったら? どうせお昼まだなんでしょう」
「じゃあ、肉。牛のやつ」
「水だけで良いよ」
「え、お肉……⁉」
その声を上げたのは、桜ではなかった。タイクウたちは声のした方、奥のテーブル席へと視線を向ける。ただ一人いた男性客、タイクウたちと同じか、少し年下くらいの青年が、目を丸くしてこちらを見つめていた。
グレーのシャツに紺色のスラックス、短く切り揃えた黒髪は清潔感がある。体は細身で気弱そうだが、真面目な印象を受ける青年だ。胸元にある、シルバーリングを下げたチェーンだけが、少し浮いて見えた。
注目を集めていることに気がついたのか、彼は慌てて視線を外して俯く。タイクウもヒダカもかなりの長身であり、体格もたくましい。特にヒダカはミリタリージャケットとカーゴパンツを着用し、青年とは正反対の風貌だ。オールバックにした髪型に加えて目つきも鋭いので、威圧感を与えてしまうかもしれない。
青年を安心させるように、桜は首を傾げて悪戯っぽく微笑んだ。
「珍しいですよね。ウチは小さなお店ですけど、品揃えには自信があるんですよ?」
地上との往来が廃止された天空都市では、菓子や酒といった嗜好品や、鮮魚、大型の家畜の精肉などを、気軽に手に入れることができなくなった。限りある資源や土地では、生産可能な量が少なすぎるのである。
魚はプールでの養殖が追いつかず、富裕層のみ口にできる高級品。また肉と言えば、もっぱら大豆を加工して作ったものがほとんどだ。
「じゃあ、まさかこのメニューにあるもの、本当に頼めば出てくるんですか⁉」
「いやぁね、写真集じゃないんですから、本当に出てきますよ。ウチはちょっぴりグレーな、独自の仕入ルートがあるので」
桜の視線が一瞬タイクウたちへと向いたのは、気のせいではないだろう。青年は何かを決意したような眼差しで立ち上がり、口を開いた。
「じゃあ、噂は本当なんですか? このお店で、特別な運び屋さんに依頼ができるというのは」
噂になっているのか。タイクウは少し驚き、横のヒダカへ目で合図を送った。彼は桜と青年のやり取りなど我関せずで、まるで酒を飲むように水を少しずつ飲んでいる。
「本当なら、是非紹介していただけませんか⁉ 僕、どうしても、地上へ行きたいんです!」
桜の言葉を待たず、青年は立ち上がって叫ぶように訴えた。
「あなたが地上へ?」
念を押すように問いかけた桜の言葉に、彼は我に返ったように押し黙る。
「ごめんなさい。変な意味はなかったの」
桜がなだめるような口調で告げた。
「そうよね。地上との往来が絶たれてまだ十年、いえ、もう十年かしら。地上に色々と残してきてしまった人も多いわよね」
桜は少し遠い目をして、ひとり言のように呟く。すぐに我に返ると、再び青年に柔らかい笑みを向けた。
「やっぱり、そんな運び屋なんているはずないですよね。航空機は飛ぶことを禁じられていますし、数年前に行われた武装降下作戦も失敗。編成された人たちはその……全滅したって聞いてましたから」
青年の言葉にほんの少しだけ、ヒダカが肩を震わせた。僅かな沈黙の後、彼は唇の端を吊り上げ笑う。
「もしその中に生き残りがいて、何の物好きか、また
「戻って……え? そんな、ことが」
「まぁ、その辺は企業秘密ってことで一旦置いておくとして、だ」
ヒダカの視線を受けて、タイクウはグローブをはめた右手をコーチジャケットのポケットに突っ込んだ。小さな紙を取り出すと、それをアピールするようにヒラヒラと振る。
「興味があったら、話だけでも聞いてみる? 無料相談、受付中ですよ」
タイクウが取り出した紙には、『運び屋
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