ノーリグレットチョイス
寺音
第一章
第1話 天色の空の中
澄み切った
青い絵の具を何度も塗り重ねたような、しかし決してそれだけでは作り出せない色彩に、彼は深く息を吐いた。
所々ヒビ割れたコンクリートの地面は、彼のつま先まででぷっつりと途切れている。一歩でも踏み出せば、そこは地面のない天色の空の中。十年前ほどまで航空機が盛んに行き交っていた元滑走路は、現在そう言う場所だった。
「おい、タイクウ」
咎めるような口調に、彼、タイクウは振り返った。動きに合わせて、長い亜麻色の髪の毛がさらりと揺れる。うなじの辺りで一つ括りにした長髪は、まるで馬の尾のようにさらりと彼の動作を追った。
「どうしたの? ヒダカ」
タイクウは焦茶色の目を柔らかく細めて、自分を睨む
「どうしたも何も、そんなギリギリで突っ立って落ちんぞ? 装備もつけずに飛んだら、寒さと酸欠で一貫の終わりだ。分かってんだろ」
「分かってるよぉ。今日も空は変わらないなぁって、仕事の前にちょっと見てただけだから」
「は? ガキの頃はちょっと空に近づくだけでぴーぴー泣いてたくせにか?」
「それ何歳の頃の話? 今は全然平気だよ、分かってるでしょ」
タイクウがそう返すと、ヒダカはちょっと馬鹿にしたように鼻を鳴らす。撫でるように、彼は自分の
誤って落下しても困るので、タイクウは数歩後ろに下がってふと視線を上げる。空には薄っすらとシャボン玉のような膜が張っている。
高度約八千メートル、成層圏すれすれを浮遊している天空都市『彩雲』。都市を覆うシャボン玉のような透明な
そこから一歩飛び出せば、人が生きていくことのできない厳しい世界である。そこで「仕事」をするためには、寒さから身を守るボディスーツや小型化された酸素ボンベ、ヘルメットなどの装備が欠かせない。
けれど、吸い込まれそうな青色は壮観で美しく、果てしなく広がる自由の象徴のようだった。
小さく息を吐いて、タイクウは幼馴染でもある相棒に問いかける。
「ねぇ、ヒダカは今も空を飛びたい?」
「ああ? 今も飛んでんだろうが」
ヒダカはもう準備を始めているようで、タイクウに返事をしながらフルフェイス型のヘルメットを着用している。視界が十分確保されるよう、シールドの部分が通常よりも広くとられているものだ。そして酸素ボンベやパラシュートなどを背負うと、肩から腰までの長い銃を右の脇に固定する。腰には日本刀に似た獲物をベルトで腰にしっかりと装着した。
タイクウも同じくヘルメットを被り、分厚い
「そうじゃなくて、ほら、昔絵本で読んだでしょ? 『翼をもらって、どこまでも自由な空へ』って」
「ガキの時の話だろ」
ヒダカはそう吐き捨てた。そして、タイクウの下へ近づき、顔を覗き込むようにして睨みつける。
「てめぇ、今回運ぶのが人じゃないからって、気抜いてんじゃねぇだろうな?」
「まさかー! 運ぶのが人でも荷物でもちゃんと地上へ届けるよ。僕らはそういう運び屋でしょ?」
そう言って、タイクウは自分の背に負われたリュックを軽く叩いた。
依頼人の「思い」が込められた、大切な品物がそこには入っている。それを運ぶのが彼ら二人の役目であり、依頼人自身や荷物を守るのがタイクウの役目なのだ。
それに、と、タイクウは弾むような気持ちで満面の笑みを浮かべた。
「それに明日は、僕がいつも集めてる食玩の第七弾シリーズが発売されるんだー。数量限定で狙ってる人も多いから、頑張って朝一で買いに行かないと。万が一怪我とかしちゃって買いに行けなかったら、僕すごく後悔しちゃうと思」
「あぁ?」
ヒダカの怪訝そうな声が、タイクウの言葉を遮った。
「その発売日って今日じゃなかったか?」
え、と言う何かが詰まったような音が、タイクウの喉から発せられた。
爽やかな空気がにわかに凍りつく。
「今日って、木曜日、だよね……?」
「金曜日だ。日付まで後ろ向きなのか、テメェは」
言われてタイクウは、自室の壁に貼ったカレンダーを思い浮かべた。
そう、確かに今日が十三日の金曜日。でかでかと赤丸までつけていたのに、一日間違えてるじゃないか。
両手で頭を抱え、タイクウは絶叫した。
「ええええ!? 嘘どうしよー!? 昨日寝る前にちゃんとカレンダー確認してればよかったぁ! あー、もう、のんきに二度寝なんかしてるんじゃないよ、僕。早起きしてたら仕事の前に買いに行けてたよね絶対――。ヒダカ、僕ちょっと今から大急ぎで買ってきても良い?」
「良いワケあるか⁉ ぼやぼやして目標地点に降りられなくなったら意味がねぇだろうがっ⁉ 準備ができたならさっさと飛ぶぞ、おら‼」
「だよねぇ……って、ちょ、わわわ、蹴らないで! 自分で、自分で飛ぶから!」
蹴り落されそうになって、タイクウは慌ててヒダカを制止する。乱暴な相棒は、ますます眉間の皺を深くしてため気を吐いた。
「はぁ、こっから先は悩んだり後悔してる暇なんてねぇからな」
「うん、大丈夫」
「本当に大丈夫かよ……」
ため息を零したヒダカは気を取り直した様子で、尖った犬歯を見せつけるようにニヤリと笑った。
「まぁ、いい。さっさと飛ぶぞ」
「うん!」
はるか数千メートル先の、地上へ。
二人は天色の中へ身を躍らせた。
次の更新予定
ノーリグレットチョイス 寺音 @j-s-0730
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ノーリグレットチョイスの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます