第14話
帰国すればのっぽなメイドの「アデールさん」は消える。
大変だったけど、幸せな夢だった。屋敷に帰ってお兄様にご挨拶したら、今度こそ尼寺に行こう。
尼寺での聖務は苦にならないだろう。メイドとして過ごした日々は伊達ではない。
聖務の合間に本を取り寄せたり写本したりすれば、尼寺ででも学問はできるかしら。
コルベール家が建てた寺だからもしかしたら運営にも口を出せるかも。そしたら学問をしたい娘たちを集めて学問所のようにできるかもしれない。
学徒同盟での経験が、学問を志す女性たちを救うかもしれない。
口元に知らないうちに笑みが浮かんでいた。
だが、出迎えの使者の言上を聞いた途端、すべてが消えた。
「……兄君のコルベール伯爵がお亡くなりになられました、ルイーズ様」
※
各国に運ばれた書物は他国の注目を浴びた。
特に前々から付き合いのある国々は半ば恫喝交じりで、書物を引き渡すように学徒同盟に参加していた各国に懇願した。
「はあ、我が国所持のファルネイア図書館の蔵書を。引き渡すと言われましても、いや、参りましたなあ」
そんな恫喝の使者をティーナイで迎えたのは「ファルネイア文書担当官」となったサルバトール氏だった。
使者の言葉に眉をわざとらしく下げるといかにも心底申し訳なさそうに語った。
「あれらは縁ありまして我がティーナイで保管しておりますが、そもそもファルネイア公爵家のものでしてな。
公爵家の許可無しに引渡せ、とは。いやはや、困ったものですなあ。」
良識がない国は。
そう言わんばかりのサルバドールの声音に使者殿は口ごもったまま顔を赤くしたり青くしたりと忙しい。
そんな相手の窮状をいかにもわかっていますよと言わんばかりの笑みを見せるとサルバドールは頷いた。
「しかし、これまでのご厚情と今の窮状を鑑みますと、さてはて」
これは潮目が変わってきたか。
相手の使者が無意識的に身を乗り出すのを見て、サルバドールもまた声を潜めて語りだした。大物釣りのエサを。
「……実はあの図書館にて研究しておりました学徒がおりましてな。かの事件までの浅い学識でではありますが蔵書を翻訳解釈した覚書がございまして」
「それらの知識を貴国は手に入れたと?!」
「いえいえ、あまりの拙さにお恥ずかしいぐらい……。
さて、これからのお付き合いについてですが」
……総じて各国は手元にあるファルネイア文書を「有効的」に「使った」ようである。
※
"ファルネイア図書館から各国へ持ち出された書物を元に、各地では各分野の研究が進んだ。
それらの研究所は大学へと変化し、後の四大大学の礎となった。
かの時、書物を持ち出したのは三ヶ国以外に……"
※
ナトンの視力は日に日に落ちていた。
おそらく火事場を駆けずり回った時に目に煤が入り傷をつけたのだろう。
……新王国の医療は帝国時代からかなり劣化している。特に目の分野は。
だが帰国後はファルネイア文書の保管をいかにするべきかという問題が持ち上がり、そもそもフランクル宿舎にいた学徒たちに文書を読む暇など与えてもらえなかった。
「この『地方探訪』はどの棚に入れるんだ?!」
「……フィリクロスですかファンディオウスですか」
「ファンディオウスだな」
「それなら各地の植生の話が中心だったはずです」
「一応農業方面に入れておくか」
文書の移動、修理、保護、整頓、分類。
目録を写本した時の記憶を手がかりに、ナトンも一連の作業の中で仕事をやり遂げることができた。
……そして、その間にもナトンの視力は人知れず落ちていった。
※
「……いつからだ!?」
ついあらげてしまったティメオの声に、ナトンの手から読めなかったメモがひらりと落ちる。
おかしいとは思っていた。
書物の研究が無ければ夜も明けないナトンが、いくら忙しいとはいえまったく書物に触れようとしないとは。いままでの彼なら何度も盗み読みして「まともに仕事しろ!」と言われているところだ。
そして今。
他の者にわからないようにこっそり渡したメモを無視したかと思うと、人目を避けて日の当たる場所に行き目をすがめてメモの文字を読もうとしていた。
ナトンの目が、見えなくなりつつある、のか?
あの、本が無くしては生きていけないナトンの目が?!
「なぜ言わなかった!?」
「……言ってもどうしようもないからだ」
前からこの事態を覚悟していたのだろうか。淡々とした口調でナトンは語った。
「今の医療技術では視力の回復は望めない。国の意向でファルネイア家の医療関係の蔵書を読み漁ったからこそわかる」
想定すらしていなかった状態にティメオは何も言えなかった。
だがナトンは淡々とした口調のまま問いかけた。
「どうする?」
「どう……するとは?」
「この先学徒の仕事ができるようになるとは思えない。村に帰すか?」
「村……に帰ってお前に何ができるんだ?!」
親族に世話されながら療養生活、などと甘い夢が見られる村ではない。新しい書物を読み聞かせる世話人を雇えるわけもない。
ましてやこの王都で病人を抱えて外交官として飛び回れるわけもない。
ナトンは初歩の計算問題を教える家庭教師のように諭すような口調で言った。
「放り出すんだ。役立たずを養う余裕は、ないだろ?」
※
「正直、もう少し早いと思っていたが」
コルベール伯爵邸内を案内されながら、ティメオはそう思った。
当主の代替わりで報告が遅れたのかもしれない。
ティメオの本来の身分は貴族階級最下部の「騎士」であり、村一つ支配する程度。
だがそれでは経営が成り立たないので王宮に出仕して給与を地元に送っていた。
他の騎士身分の家でも出仕する者は多い。出仕先も王宮だけというわけでもない。
だから伯爵家に世話になることも可能だ。外交官としてのつてと交渉術は伯爵領でも使えると自負している。
……ナトンはまだ働ける。
ティメオは自分に言い聞かせた。
ファルネイア公爵邸での経験やファルネイア文書に対するナトンの知識は未だに落ちてはいない。
だが、外交官の従者兼学徒としては難しい立場ではある。
伯爵家でティメオが世話になるなら「相談役」としてなんとかナトンも捩じ込んでおきたい。アデール嬢ならその価値はわかるだろうが、いくら縁があるとは言っても一介の男爵令嬢の言葉をどこまで信じてくれるかは疑問だ。
つまりは、すべてはティメオの交渉にかかっている。
「『アデール嬢』の件でお話が」とコルベール伯爵家に連絡を入れてからかなり時間がたっていた。その間にこちらが伯爵家に不都合な情報を拡散しないとでも思っているのか。
面会予約は取れたものの、まさか代替わりしたての当主が現れることはあるまい。だが家令あたりであったとしてもやることは変わらない。
応接室の扉が開き中で待っていたのは、ノッポな体をメイド服以外に包んだよく見知った女性で。
久々の挨拶の言葉を言おうとしたティメオの機転を制するように彼女は言った。
「初めてお目にかかります。ルイーズ·ラ·コルベールです」
※
「あの男をなんとかしろ」
ティメオ·ルネ·ブブシエルをルイーズ·ラ·コルベール女伯爵の直属の配下として雇用してから3ヶ月。
女伯爵の権威の下、ティメオは各種の改革に手をつけていた。
それは亡くなった前伯爵が変えたいと思っていたものの様々なしがらみからできなかったこと。
変えることで領地はだんだん良い方向に向かってきていたが、それによって利権から外されたものにとってはたまったものではない。
本来なら後継者として伯爵を継ぐ者と思っていたルイーズの親族がそういう勢力に突っつかれて、一連の責任者と明言している女伯爵のもとへ怒鳴り込みに来たのだ。
「やはり女に伯爵の務めは無理だったのだ」
「我らが激務を背負ってやろう」
激昂する親族に対してルイーズは自分の心が冷え込んでいくのを感じていた。
「……あなた方は何故私が爵位を継ぐことになったのかわかってらっしゃらないのですか」
そう、本来なら彼らこそが伯爵家を継ぐはずだったのだ。ならば何故ルイーズが女伯爵となることになったのか。
お互いに足を引っ張りあい、領内で泥仕合を繰り広げ、王宮にまでその醜聞が聞こえるようになり、唯一「尼寺」に行っていて傷がなかったルイーズを当主として立てる他ない状態になっていたのだ。
「とっとと領地、王宮の方々から後援を頂いて揺らがない態勢を作り上げてくださいませ。その間に私は旧弊形態を片付けて新しい領地経営ができる下準備をしますから」
そして相手にはイヤミにしか聞こえないだろうが、本人としては心底からの望みを伝えた。
「早く、私を尼寺に行かせてくださいましね」
※
不味い事態になっているのは視力の衰えたナトンにも肌で感じられた。
伯爵家の改革のために女伯爵直属の配下として抜擢されたティメオと古くからの伯爵家家臣との間に亀裂が入っている。
『改革を推進しているのはルイーズ女伯爵であり、ティメオはその意向の下職務を推進しているだけ』
ことあるごとにルイーズ自らがそう明言しているのだが、彼女を昔から知っている人々にとっては違和感しかなかったのだろう。今ではティメオがルイーズ様を唆して改革をやらせていると邪推する連中もいるほどだ。
そう思うのもおかしくはない。そもそもこのリストを作ったのは兄君である亡くなった前の伯爵だ。
そして長い年月の間に一つずつ片付けようとしていた案件を、ルイーズ様は自分が追い落とされないうちに、ティメオは自分たちの居場所を確実に得るために、短期間で成し遂げようとしている。ゆがみが出るのも当たり前だ。
しかもティメオが手掛ける案件にも偏りがある。ラティーナ帝国由来の仕組みが長年の間にうまくいかなくなったものを中心的にやっている。
これも何故かはわかっている。ナトンの、ナトンの居場所を作るためだ。これほどまでに有能なのだから例え盲目であろうとナトンは知恵袋と必要なのだ、と思わせるためだ。
本来のティメオの仕事ぶりを考えればあまりにも下手なやり方だと言える。夜会でのお嬢様方からの協力体制、反りが合わないにも関わらず一致した体制をとり続けられた学徒同盟宿舎時代。いくら「改革を断行するにあたり彼らは敵対勢力たから」とはいえ搦め手をまるで使わないのはやりすぎだ。
彼がするべきは家臣たちとの協力体制の確立であり、学徒として使い物にならない幼なじみの重用ではない。
そもそもナトン自身は文書の精細、翻訳、考察が本分であり、記憶はその範疇にない。あやふやになりつつあるところをかなりごまかしていることは自分でもわかっている。このまま後生大事にナトンを抱え込んでいればティメオにも少なからず傷がつきかねない。
……彼は正しい行動を行う決意をした。
※
ティメオの手から置き手紙がはらりと落ちる。
"眼病治癒の奇跡にすがりに巡礼の旅へ"
そんなもので治らないのは他でもない自分がよく知っているだろうに。彼の絶望がそこまで深かったとは。
……行ってしまった。
終わらぬ旅路で命を磨り減らす、ただそれだけの旅路へ、一人で。
学徒同盟 草屋伝 @so-yatutae
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