第13話
「さて、女公爵様のご婚約者の選定の話だが」
ファルネイア女公爵が12歳となった年、公爵家と学徒同盟三ヶ国の代表の間に一つの悩ましい問題が持ち上がっていた。
「ご身分がご身分なだけになかなかお相手が……」
「とにかく、この三国内からでは力関係が壊れる」
「かと言って、どこかの大国の者では論外だ」
「そんな、まだ若いのだし急がなくても」
そう異議を唱えるのはソフィア様を幼い頃から見守ってきたフランツ公子。
それぞれの立場から発言する場においての言動とは思えない言葉に老獪な面々は苦笑しか出来なかった。
「……相変わらず公子はお優しい」
※
"貴殿に残念な知らせが二つある”
早く結果を出そうと発表会後早々に出した論文の反響は、期待していた令嬢の手紙ではなく事務的な役人の文章としてやってきた。
“まず、貴殿の最初の論文を参考に始めた新しい牧草の導入は、牧草の育ちが悪く上層部では失敗したと見なされている。今後は新しい品種の探索ではなく土壌を富ませる方向で頼みたい”
発表会でよってたかって他国の学徒たちに言われたことをここでも言われ、屈辱に唇を噛み締めた。
だがそれも、その後に続く文の衝撃には遠く及ばなかった。
“二つ目に、当家のお嬢様がさるご子息との婚約を発表され……"
※
新しい論文を書かなくてはいけない。それはわかっている。
「一度試験農場で育てるというのは?他国の学徒も来ていますが」
フランクルの学徒が言ってくるお節介から逃げ出すため、ティーナイの戯曲の発表会へ足を伸ばした。
……まともに内容など頭に入りもしなかった。
夜道を宿舎に帰る中、同宿の他の学徒が呟いた。
「今回の戯曲……教会の御教えに抵触するのでは?」
※
個人的な相談として面会を申し入れた公爵家礼拝堂の僧は、「ティーナイが発表会にかけた戯曲は神の御教えに背くのでは」という懸念を聞くと深いため息をついた。
「その通りです。
『神の御教えが世に現れる前の時代のものなのでやむを得ない』と、この邸内のみの許可とされています。
本国に持ち帰っても使えないが、研究の一助となると言い張って」
「それは、教会はお認めに?」
「……今、教会は二つの派閥に別れています」
僧侶は質問に重たい口を開いた。
「一つはどんなに形を変えようと民を救う活動を進めようとするもの、もう一つがかつてのあり方を再現し残すことで正しい信仰を残そうというもの。
同盟は、贅沢に陥りがちな後者と癒着しているようで」
※
教会のいわゆる「伝統派」の司教は、昨今付き合いを深めつつある学徒同盟の中心であるファルネイア公爵家に手紙を書いていた。
"教会が作られてから100年。世の乱れの中で信仰の根幹も揺らぎつつあります。
かつて我々の先達が培ってきた信仰の形は伝統の中にあり、それを再現することは人々の安寧のためにも大切であると思われます。
ファルネイア公爵家には今後とも再現のためにご協力をいただきたく……"
それが民を救うことにつながるという信念と共に。
※
「かつてを再現できれば本当にかつての信仰の形になるものかな」
幼なじみの疑問にナトンは具体例をあげて答えた。
「例えば儀式に使う聖酒も、帝国末期の頃には仕事帰りに残った小銭で買えるぐらいの価格だったんだ。俗謡にも残っている」
「今じゃ、小樽一つに金貨が飛ぶぞ?」
あまりの変化にティメオが絶句するのをよそ目に、ナトンは自身の考察に沈んでいった。
「かつての儀式では何を聖酒に見ていたんだろうな……」
※
「頑張ったんだ。とにかく、最善は尽くした」
各国学徒代表たちとの面会時、フランツ公子はソフィア女公爵に向かってそう力説していた。
「ソフィアが嫌だと言うんなら白紙にしたっていいんだからね」
まだ年若い公子の力説を横目に同盟の代表者たちはファルネイア女公爵に向きなおった。
「大司教様の甥ご様で歳も三才上と申し分ないお方。一度公爵家にご来訪いただこうと」
……ソフィアの縁談話が進んでいた。
※
"同盟は我が家をバカにしている!”
北方諸国の中でも顔役と言われている連邦の長は、そのやりきれない気持ちを個人の日誌にそう書きつらねていた。
“降って沸いた婚約破棄の話に娘は衝撃のあまり寝込んだのだ。幼い頃から淡い思いを育んできた姿を知るだけに、哀れで見るに耐えない。
そもそもあの同盟は我が家に何の益ももたらしていない。
常々話のあった大国との繋がりを考慮すべきか……"
※
「ご令嬢のお嘆き、家名に泥を塗るがごとき所業、我が国としても見過ごせませんな」
連邦の長の自宅まで訪ねてきた大国の勅使は、長に降りかかった不幸に寄り添うように言葉を連ねた。
「聞くところによれば今回横入りした大司教様の甥ご様のお相手であるファルネイア女公爵は、その邸宅にある神の御教えにそぐわぬ書物の知恵を堕落した学徒や教会に垂れ流しているとか。」
ゆっくりと。いや、ねっとりと。
勅使は言葉を長に流し込む。
蜜のように。毒のように。
「かような場所には心ある善良な人々による天誅が下ることでしょう。まさにそのような行いこそが正義。我が国としても、そのような神の僕としての見本たる気高き行いを行う方々の国は尊重せざるを得ないに違いありません。国の大小など関係ありますまい。いや、貴国が羨ましい」
そうだ。天誅だ。
神は正しいおこないに味方される。
今は奴らを叩き潰すことこそが正しいおこないだ。
今、勅使が流し込んだ毒が長の中で形になろうとしていた。
※
ある夜、公爵邸を囲む山を北方諸国の兵が越えた。
同盟はかねてから重要地点のその場所を警備しており、公爵邸にたどり着く前に小競り合いとなった松明の火が遠く宿舎からも見てとれた。
「……なすべきことはなさねばならん」
北方諸国を本国とする学徒は、決められた通り本の保管庫に火を放った。
※
学徒は走る。
ナトンも走る。
炎上の危機迫る書庫の中を。
焼滅の運命迫る書物を救うため。
燃え立つ炎に不意に照らし出される人物は、かねて月夜の晩邂逅した老司書。
崩れた瓦礫に身動きのとれぬ彼をなんとか救おうとするナトンを、当の本人が一喝した。
「何をしている!先に本を救わんか!」
※
ファルネイア公爵家の名誉は帝国期からの多数の書物を保持すればこそ。だがこのままでは多数の書物が焼失してしまう。
家名を取るか未来を取るか。
ソフィアは重い決断を下した。
「……他国での原本の分散保管を許可します。」
「だが所有権は公爵家のものだ!これだけは譲れない!」
フランツ公子が口を挟んだ。
※
"「ファルネイア図書館襲撃」によって襲撃者が得たものは、国家独立派には悪夢でしかなかった。
「良心」に由来する「勇気ある行動」を教会の一派や繋がりのあった大国は褒め称え、数年後には大国の一部に併合されていた。
それでも自治権は二十年ほどは維持できた"
※
……先の見えない帰国の途上。
各国学徒が火事場の中救った本たちは、女公爵の許可の下各地へと運ばれていた。
女公爵自身もフランツ公子のつてを頼り、ガルマニアへと落ち延びたと聞く。
ナトンはそういえばここ数日書物を読んでいなかったことに気がついた。
書物を損なわないように直射日光を避け、貴重な羊皮紙にびっしり書き込まれた書物独特の文字を久しぶりに堪能しようと本を広げ……自分の視力が極端に落ちていることに気がついた。
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