第11話
「そろそろこの宿舎が出来てから四年目になるのかぁ」
フランクル宿舎で夕食の準備をしながら、調理人のおじさんがそうしみじみつぶやいた。
「最初のメイドさん達は故郷で嫁入りとかでほとんど帰国したが、アデールさんは帰らんのかね」
「今更そんなお話もありませんし」
「アデールさん、従者先生狙ってるもん」
素っ気なくアデールが答えたのに、同僚のメイドがそう混ぜっ返した。
どちらかというと狙っているのは、垣間見られる資料と学問的会話なのだが。
※
「だから!」
宿舎の裏手の試験農場では今まさに多国間の戦いが行われようとしていた。
「この作物は軍事物資として有望な芋を増産するために草木灰を肥料の中心に!」
「いやいや、料理を鮮やかに彩りを豊かにするためにはここは実を実らせるためにも骨粉中心で!」
試験農場では管理人に祭り上げられたナトンが、ガルマニア、ティーナイの試験農場新規参入者たちの論戦に辟易している。
その姿を、宿舎二階の雑魚寝寝室からのんびり見下ろしているのは他のフランクルの学徒たちだったりする。
「全く、フランクルが作った畑でガルマニアやティーナイときたら」
「……作ったの従者先生なんだがな~……」
※
“他国との協力体制については時期尚早とのお話ですが”
フランクル宿舎の代表者室では、ヒューゴ氏が本国への釈明書書きに追われていた。
“当地におきましては送付しております各論文にも見られます通り、水準を上げる方向に影響があると言わざるを得ず”
そして、一番大切な文言が入れることを忘れなかった。
“できますれば、当地の協力体制に対し引き続きお目溢しを願うとともに何卒活動費予算の増額を……”
※
「こちらへ来る際に行く先を探られたと?」
サルバドールの問いに馴染みの御者は頷いた。
「最近は以前よりかなり増えました」
「荘園後継者事件」の後ぐらいからか。
見たことがある行商人が荷馬車の後を延々ついてくる。
または酒場で世間話のついでに行き先の探りを入れる輩がちょくちょく現れる……。
「念のため経由地を一定数増やした上で変更した上に、馬車も一度取り替えております」
「ありがたいことです。他国に知られるにはまだ早すぎますからな。我が国のためにもよろしく頼みますぞ」
※
「さてティーナイが今回の発表会にご用意いたしましたのは、帝国後期の有名レストランのメニューを再現したものでありまして」
帝国文化の後継者、ティーナイ。
ゆえに絵画、音楽、食文化等のかつての帝国文化の再現にはかなり貪欲と言えた。
今回の発表は新しく発見されたメニューについてであり、しかも試食できる者は先着順。 運良く試食の権利を勝ち取った者たちは、再現料理が出るのを今か今かと待ち構えていた
「当時は肉食は野蛮とされ……」
解説とともに並べられたのは、サラダに煮物に炒め物、そのどこにも肉は一欠片も見つからない
「見事に野菜と果物ばっかり」
「兵士の食べ物ではないな」
「帝国人って小鳥かなんかか」
二回目の試食会の試食希望者はかなり減ったという。
※
「先ほどのしつ問なのですが」
最近は発表の際に幼女公ソフィアからの質問があることもたまにある。
「発ぴょう内でのことばの使い方はそこまでもんだいですか?あげ足取りとまちがえられるのではないですか?」
いつもは子供らしい基本的なことが多かったのだが、今回は正論とも言える内容に発表者が一瞬言葉に詰まった。
「確かに女公爵様のおっしゃる通りです。同国人としてお詫び申し上げます」
すかさず発表者の援助として他の学徒が助け船を出して事なきを得た。
それでもソフィア様がちゃんとしたまともな発言ができるようになったことを学徒一同は驚きをもって受け止めた。
「ご年齢もそうだが、もはや影でも幼女公とは呼べんな……」
※
「いやあ、怒られた怒られた」
「荘園後継者事件」でフランツ公子は本国の許可を得ず勝手に他国に協力を求めて解決してしまった。
その件で本国に呼び出されたフランツ公子は長い期間聞き取り調査を受け、心配していた宿舎役人たちに向かい帰還後朗らかに言った。
「本国では『この同盟は分担金の折半のみで、決して気を許さないこと』とまで言われましたからな」
「公子、本国は何と?」
すわ代表者の交代か?いや、こちらに帰還しているからにはそうではないかもしれない。ならば運営方針にテコ入れが入るのか……?
不安そうに見つめる学徒たちにフランツはあっけらかんと言った。
「うん、結婚することになった」
※
「他国に取り込まれないようにするためだそうです」
公子から婚約の報告を聞く主の顔から侍女たちが礼儀正しく視線を逸らしていく。
ソフィアが幼い頃からフランツ公子に淡い思いを抱いていることは公子を除くすべての家中が知っていた。どんな表情を浮かべていたとしてもとても見ていることなど出来はしなかった。
そんな微妙な空気にやっと公子も気がついたらしい。
「そういえばソフィアももうすぐ十歳かぁ」
そしてニッコリ笑うと。
「いいお婿さん見つけてあげるから安心してね」
※
ファルネイア図書室の奥の奥。
深夜どうしても眠れなかったソフィアを侍女頭が連れ出したのは、そんな中にある落ち着いた一室だった。
「歴代当主の読書室です。奥様もここでお気持ちを立て直していらっしゃいました」
お気に入りの本を置いておくための書棚と小さな机、ゆったりと座れる座り心地の良いソファーにも似た椅子がある部屋。
お母様も当主として大変だった時、ここで過ごしていたのかな。
そっと差し出された温かいミルクのその中に、塩分が一滴落ちた。
※
月の綺麗な晩だった。
返却し損ねた本を返すため、公爵家の司書を捜してナトンは時間外に閉架図書館まで入り込んだ。
「何か用かね」
声をかけてきたのは白ひげの老司書だった。
「す……すみません。本を返却し損ねました」
「ふむ、今度時間外返却本の箱を作るように言っておこう」
そしてナトンが返却した本を受けとると厳しい目で本に損傷がないか検品した後、心底ほっとしたように微笑んだ。
「……よし、まだまだ働けるな」
……ナトンはその夜、自分がそうなる為に時間を積み重ねているのだとやっと納得できる存在を見つけた。
※
毎日どこかしらで発表会はある。
半ば惰性になって聞く方がだれてしまうのも仕方ないだろう。
「今回発表しますのは帝国前半期の書物の研究でありまして……」
「この発表はハズレだなぁ」
「当時の森の作り方、拡大方法の指南書とでも言うものでありまして」
「そんな時代もあったっけ」
「まだ魔術が発達する前のものなので今でも十分応用が利き……」
新王国となってからの森林破壊はそろそろ問題視されかねないところまできている。
その瞬間、居眠りしかけていた者も含めてその部屋に来ていたすべての学徒たちが発表者に詰め寄った。
「「その辺をもっと詳しく!」」
※
自国他国の学徒を始めとして出入りの商人達とまで「親しく」していたメイドをめぐって、とうとう二人の学徒がつかみ合いの喧嘩をやりだした。
「他国の奴が口を出すな!」
「彼女のことを何も知らない癖に!」
原因だからと連れて来られた件のメイドいわく。
「……私、仕事ができる人の方が好き」
……喧嘩の決着はお互いの発表会に持ち越された。
※
発表会の内容は少しずつ現実的に応用できるかが評価の基本となりつつあった。
「この本は大公戦乱時代、小国が生き残る方法についての考察が」
「応用できそうだな」
「地域がまとまり、無視できない勢力となることで生き残ろうと」
「ランカルス同盟ですね」
ナトンはつい発表者に対して知識を披露してしまった。
「各地の小勢力が立ち上げたそうですが、それぞれ離れていたことから各個撃破を受けたと」
……その後の微妙な空気をナトンは思い出したくない。
※
宿舎の廊下でナトンは先日喧嘩をしていた学徒と立ち話をしていた。
「とにかく、他国の奴に取られそうなのが嫌なんだよな」
「嫁にもらうつもりかい?」
「いやまだそこまでは。
でも、従者先生だってあのメイドの彼女を横からかっさらわれたら嫌だろ?」
相手にそう言われ、ナトンは驚いた。
「別にアデールさんとはそういう仲じゃないよ。だって」
ナトンは至極明快な論理を子供に解釈するかのように言った。
「彼女は学徒じゃないか」
※
「次」
どの国でも本国へ送る論文の選定の場は真剣なものとなっていた。
そして今、件の学徒の論文の番がやってきた。
「研究主題の選定が需要を満たしていない。
国が求める研究は周知させていたはずだが聞いていなかったのか。研究会で他国に自国の研究水準を見せびらかすタイプのものですらない……」
選定員の多分に政治色の強い評価が次々と重ねられる。論文の内容をろくに見ることもなく。
「学徒には研究主題の選定から考え直すように連絡を。では次」
※
真夜中。
「……彼女は部屋にいるか?」
先日の喧嘩の方割れ、代表から論文をボツにされた方の学徒がメイドたちの休憩室を訪ねてきた。
息も荒く、髪に落ち葉や草の葉をつけて汗だくで。
「駆け落ちするはずだったのにいくら待っても来ない。論文は彼女が持っているのに」
※
「待て!動くな!」
駆け落ちの片割れだったはずのメイドが警備員に見つかったのは、大国へと続く尾根の中腹。
土地の重要度の算出による警備態勢の見直しがなければ見逃すところだっただろう。
彼女と共にいた出入りの商人は誰何の声を聞くと、ためらいなく足手まといのメイドを兵士たちの方へと突き落として逃げた。
……論文は発見されなかった。
※
「事件に関わった商人の身元が不明だ」
一連の事件を調べた警備隊の結果報告に公爵家を筆頭に代表たちが震えた。
「ティーナイの者だと言っていたそうだ」
「フランクルの隊商と一緒に来ていたそうだ」
「来訪者名簿に書かれていた名前はガルマニアのものだぞ」
正体不明の何者かがこの地に入りこみ、出ることがないはずの論文を持ち出された。
「……非正規の形で論文が外へ出たことは問題だ 。一層警備を厳しくする他にない」
それからしばらくの間、出入りの人物に対して厳しい制限がかけられる日々が続けられた……。
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