第10話

 ファルネイア公爵邸から馬車を進めてひと月あまり。

 マッテオが連れてこられたのは小さな荘園だった。


「あなたが私の息子になるのね」


 かりそめの我が子として抱きしめられ、教会の孤児院ではなかった感触にマッテオは驚いた。


「みんなには秘密よ?」


 母となる人はそうささやいた。



 

 大国と「親しい」という隣国から来た後継者殿は、優しくも思えるまなざしで穏やかにマッテオに尋ねた。


「君のような子供がなぜ大人たちのペテンに加担することになってしまったのだね?」


 だからマッテオも礼儀正しく尋ね返したのだ。


「曾祖母のお孫様、曾祖母の血を引くのがご両親のどちらかも伺っていないのですが?」


 ……なぜか相手の印象としては悪くうつったらしい。



 マッテオの「随行員」としてやって来ていた各国の外交官たちは、後継者候補たちが「歓談」を繰り広げている間に荘園に絶大な発言力を持つ司祭のもとを訪問していた。


「それでは先代当主がその女人とティーナイにご旅行中に」

「ハイ、御懐妊が判明し父無し子にはできぬと秘密裏に式を挙げられ」

「跡継ぎの立場を守るために公にせず秘密にされたと」

「彼の地の教会に結婚証明書も洗礼式の記載も。ここに写しが」

「本当なら痛わしいことだが」


 どう見ても本物にしか見えない書類を前に司祭は考えこんだ。



 手元の結婚証明書と洗礼式が記載された書類の試作品をファルネイア公爵邸の宿舎でまじまじと見るのはティメオとナトンの二人だ。


「しかし羊皮紙を年経たように変化させる術まで存在してるとは思わなかったな」

「完成品はティーナイの御仁が彼の地の教会の該当箇所に仕込むらしい」

「ナトン様が送った品はもう届いたでしょうか」


 部屋の清掃に来ていたアデールがそうつぶやくと、ナトンもため息をついた。


「悪い大人たちの中でへこたれていなければいいが」



「おはよう!」


 荘園の朝は早い。


 使用人たちの間では、朝から元気いっぱい機嫌良く、気さくに声をかけてくる後継者の少年に微笑ましい視線が向けられるようになった。


「ほんと、先代当主様の若い頃にそっくり」


 中には亡くなった先代当主を思い出して泣く老齢の使用人までおり、少年の随行員たちに微妙な表情をさせた。


「……あいつ、先代当主が教会の孤児院に捨てた子ってことないよな……?」



「君は……今日が何の日か覚えていないのか……?」


 荘園の後継者にふさわしい仕立てのいい服装で機嫌良く朝食の席に着いたマッテオを、対抗者氏は天上からの落雷のように責め立てた。


「今日が自称している父の命日であることすら忘れているとは! 馬脚を現したな!」

「若はまだ幼いことから準備は我々側近が進めておりました! 決して若はお忘れになっていたわけではなく!」


 随行員たちがとりなしているその最中、マッテオに届いた小包が一つ。


「……ナトン先生からだ!」



 厳粛な先代当主の命日の祈祷の場は、教会によるどちらが次の当主にふさわしいかを測る選別の場となった。


 喪服に身を包んだ少年が、祈りと共に香油を注ぐ。


 その香り。


 いつものものとは比べ物にならない品の良さ。


「わしが幼い頃の香油はこの香りだった……」


 老いた僧侶がつぶやいた。



「かつての教会の香油はサンサ草から作られたものだと伝え聞いております」


 鎮魂の儀式の後、見知らぬ香油を用いた少年は司祭たちにこう説明した。


「僕が世話になっていた場所において、この度長き間に失われた香油の生成法が再発見されたそうです。

この領地では麦と共に育てていくことで教会のお役に立てるかと」


 そして「随行員」たちに仕込まれた笑顔でこう付け加えた。


「僕が当主になれば、ですが」



 教会の中でも伝統を重んずる人々にとって、復刻された香油は考慮に値するものであったらしい。


「神の御下で結ばれた人の、神に祝福され生まれ出た子が、人の理によって憂き目に遭うとは。

我々教会はマッテオ氏の当主就任を支持いたしますぞ」

「そんな……!」

「だまらっしゃい!」


 裁定を下す司祭に対抗者たる「後継者」殿は抗議の声を上げたが、すぐに却下された。


「かの大国と親しいと言うなら、大聖堂の土地から早く兵を引くよう言ってみるがよろしかろう!」



 かの大国の大聖堂領への侵攻がここまで尾を引くとは。

 一喝された「後継者」殿はすぐ大国にいる「後見人」たちに伝令を飛ばしたのだが。


「あの大聖堂の土地はあの強大国への牽制の地」

「あそこから兵を引けばたちまち向こうから侵攻されるは必定」

「ガルマニアならこの地を放棄してもいくらでもやりようがあるが、かの国相手ではそうもいかん」

「なら、話は決まったな」


 彼らの手から緊急要請の伝言用紙が滑り落ちた。


「奴の後見から手を引く」



「全く、マッテオとはよく名付けたものだ」


 荘園を去る自称後継者殿は、そう吐き捨てた。

 去る者の捨て台詞にピンと来ずあやふやな表情を浮かべたマッテオに、相手は呆れたかのように言った。


「……知らんのか? マッテオとは『神の賜り物』という意味だ。

よっぽどお前をかいかぶっていたようだな」


 呆然とするマッテオを見もせず、対抗者は去って行った。


 マッテオ。


 それはマッテオの亡くなった本当の両親が、彼に残したただ一つのものだった。



 対抗者が去った後、館の少年の応接室には緩やかな空気が流れていた。


「これで後は香油の生産を順調にすれば一安心ですな」

「そこは若に頑張ってもらわんと」


 そんな中、使用人が恐る恐る言った。


「……奥様が先代御当主のお子様をお生みになられました。……男の子です」


「「……」」


「そっかぁ!良かったぁ!」


 呆然とする大人達をよそにマッティオは大喜び。


「初めて挨拶した時お腹触らしてもらったから知ってたんだけど、『みんなに知られると赤ちゃんが元気に生まれてこないから内緒にしてね』って頼まれてたんだ~」


 身近にいた裏切り者を愕然とした顔で凝視する者たちに、マッテオは胸を張って言った。


「お兄ちゃんになるんだから守らないとね!」


「……とりあえず、ガルマニアはここで香油の生産を続けることをお約束します」


 衝撃の後、やっとガルマニアの役人が言葉を発することができた。


「我がフランクルの学徒が見つけ出した製法です。我が国への供給が滞りなくされるのなら協力いたしましょう」


「で、我がティーナイの人材たるマッテオ『様』ですが」


 未だご機嫌なマッテオ「様」を横目で見ながら、各国の外交官たちは現状を整理し始めた。


「先代のご当主が半年前亡くなられ、その長男の若いご当主が亡くなられたのが 三ヶ月ほど前」

「先代御当主が亡くなれた時にはすでに奥方は妊娠しておられたと」

「だがお披露目されたのはマッテオだ」

「奥方は『我が子が当主になれないなら教会に一切を打ち明ける』と 」


 想定外の一大事に随行員たちは頭を抱えた。



「赤子が成人するまでの間の盾は必要である、と納得はさせた」


 事態の収拾をはかるための話し合いはなかなか難儀だったらしい。

 結局母君は赤子が一人前になるまでの間矢面に立つ者としてマッテオが暫定当主となることを認めた。


「他国向けの顔としてティーナイで過ごさせ、 弟君御成人の暁には家を家督を作るという形で」

「ティーナイが一枚かむための方策かね?」

「いやいや、帝国貴族を生涯かくまいきった我が国の機密保持力にご懸念でも?」


 自国から出した後継者殿を自国で引き取るというなら仕方ない。他国の随行員たちは口を閉じた。



“……というわけでティーナイに戻ることになりました。

色々な仕事の関係上勝手に出歩いちゃいけないらしいんで、多分宿舎には戻れないかなぁと。

でもまあ、前よりいろんな歌も歌えそうなんで まあ運がいい方かなって”


 久々に来たマッテオからの手紙で居残り組は一連の事件について知った。

 波瀾万丈な成り行きをあっけらかんと報告する少年にアデールを始めとする大人たちは頭を抱えた。


「何やってるのよ、マッテオ君……」



「おかしい」


 ガルマニアの一件が終わった後。

 一連の流れを検討していた大国の関係者の間にある種の疑念が浮かんだ。


「ガルマニアがこのような策を弄したことがこれまでにあったか?」


 普段は他の強大国を注視し、ガルマニアのような弱小国を警戒することは少なかった。

 だが今回の挙動の違いが今までとは違うことはわかる。そう。今回はそもそもガルマニアだけの話ではない。


「件の子供はティーナイで育てられたとか。 あの国が一枚噛んでいたのだろう」

「そしてあの香油の送り主、ナトンというのは フランクル人の名前だ」


 それは指先に刺さった見えないトゲのように彼らの神経を逆撫でしていた。


「あの三国、何をやり始めた……?」


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