第6話

 ……私が最後にお母様を見たのはベッドの中で寝ているところ。


 フランツ兄様が私を抱きしめて、


「絶対!絶対、ソフィアとこの館を守ります! 絶対だ!」


と言うのに、私は「夜にうるさくしたらダメなのに」と思った。


 ……そして次の日、私は「女公爵」になった。



 頭がガクンと落ちて、ソフィア·ラ·デュケッサ·ダ·ファルネイア女公爵は自分が居眠りをしていた事に気が付いた。会議の最中に。


「ごめんなさい、フランツ兄さま」


 会議室から自室への帰り道、同道してくれるフランツにソフィアは謝った。


「トウシュだからちゃんとかいぎにはいたかったのに」


 落ち込んでいるソフィアを励まそうとしてか、フランツはにこやかに声をかけた。


「いつも元気で笑っていてくれたらそれで大丈夫だよ」


 ……フランツ兄様ことフランツ·フォン·リュートブルグには ガルマニア学徒代表としてのお仕事がある。


 だからソフィアは寂しくても我慢する。


 それどころか公爵家当主として手助けだってしたい。フランツ兄様はちっともわかってくれていないけど。


 お仕事してくださる学徒の方々に感謝を表すには……そうだ!



 各国の学徒たちがつめかける写本室。

 今日はそこに、常にはない主が現れた。


「いつもおしごとごくろうさまです。おしごとのあいまにおつまみ下さい」


 ソフィアが差し出したのは蜂蜜入りのクッキ ー。

 学徒たちが歓声を上げる。

 微笑むソフィアに公爵家司書がすすっと近寄って一言言うには。


「……ソフィア様。写本室への食べ物の持ち込みはご勘弁ください……」



 各国宿舎において国の代表は忙しい。


 そんな中、面会の予約も無しにフランクル代表の執務室に飛び込んできたのは外交官のティメオとその従者のナトンとかいう人物。

 それが開口一番こう言った。


「アバール薔薇を公爵家の侍女が素手で扱っていました!

論文は確かに本国に送られたのですよね!?」



 ……代表であることの仕事の一つは慌てないことだ。

 配下の者たちに調べさせれば事態は自ずから浮かび上がってくる。


「……ティーナイが献上したもののようですな」

「いい情報だ。公爵家にはこちらからお伝えしておこう。

ティーナイめ、墓穴を掘ったな」


 どうやらティーナイから公爵家にアバール薔薇の献上があったようだ。アバール薔薇についての情報収集が甘かったことがティーナイの足を引っ張ったと言える。


「アバール地方の産物はフランクルがまとめて窓口になっています。本国が毒物が付着していることを黙って売りつけたと言われるのでは?」


 ナトンという従者が言うその言い分は確かに痛いところをついていた。

 なので、ヒューゴはフランクル代表として事実を述べることから始めた。


「結論から言えば、君の論文は送付の価値ありとして本国に送っている」

「それから行動を起こせば今頃アバール薔薇を手に入れたティーナイに情報が行かないはずがない!」

「本国には本国の考えがある。多分に政治的なな」


 分をわきまえろという言外の意味を汲み取ろうともしない従者に、ヒューゴは非難の意味を込めてその主人を見た。


「……ブブシェル君。従者教育は君の仕事だろうに」

「ぜひ閣下のご見解をお伺いしたく」


 ……従者が従者なら主人も主人だった。

 やむを得ず、ヒューゴは職分ではない政治についての講義をすることになった。


「勘違いしているようだが、学徒同盟は軍事同盟でもなければ不可侵条約でもない」


 外交官である主人と比べてヒューゴの言葉に動揺を隠せない従者は、未だ学徒であることから足を踏み出せていないのだろう。


「状況次第では敵となることも想定しなくてはならない。

我が国には敵と当たるにあたって手持ちのカードが少ない。ゆえに知識を必要としている。

今回のアバール薔薇の一件はわが国がやっと手に入れた知識のカードだ。

有効利用したいと本国が考えても私は驚かん」


 それが、「政治」というものだ。


 だが主従そろって納得がいかぬらしい。


「そんな素知らぬ振りがいつまでも通ると思ってるんですか!?」

「残念ながら私も同意意見です。これは相手より先に対処法を出さないと致命的になる話です」


 だからといって現場の我らに何ができるというのだ。

 この一件はこれで終了。


 ……フランクル代表にはまだまだ執務が残っているのだ。



「らちがあかん」


 代表の執務室を追い出されたティメオはその頭脳を最大限に活発化させていた。


「エヴルー男爵夫人に連絡してその筋に働きかけてもらおう。

本国と距離があることでかなり時間を食うがやむを得ん」

「……今、考えたんだが」


 その勢いに冷水を浴びせかけるように口を挟む幼なじみにティメオは不承不承返事をした。


「……なんだ」

「本国に言うまでもない。

今ここには多数の国々の外交官が詰めている場所があるんじゃないか?」



 朝も早くから学徒たちが詰め掛けた写本室。


 誰にも知られず滑り込んだティメオがそっと本国宿舎へつながる扉の鍵をかけ、借り出し窓口の横でナトンが叫んだ。


「諸君!聞いてくれ!

失われたアバール風邪の予防法が見つかった!

アバール薔薇の扱いの間違いが感染を広げていたのだ!」


 突然の発言は一瞬の沈黙の後、本人たちが望まない形での反応として返ってきた。


「写本室ではお静かに」

「そうだ!うるせえぞ!」

「大体アバールって何だ?」

「おい、お前たち!閣下の許可は取ったのか!?」


 誰もナトンの話に耳を傾けようとしない中。


「わたし、そのおはなし、もっとよくききたいです」


 ファルネイア女公爵がそこにいた。



 詳しいことの説明は公爵邸の大広間で、となった。


 大広間には発表者のナトンだけではなく、公爵家の人々、各国の代表者、そして希望する学徒たちの列席が許可された。


「……本国送還されたくなければ私の発言には異を唱えるな」


 引っ張り出されたフランクル代表が、誰にも聞こえぬようそっとナトンにささやいた。



 発表はスルスルと進んだ。


 事実と参照文献の提示、そこからの推論は至極明快なものと受け止められた。

 発表後の質疑応答の場では質問は発表者であるナトンにではなく、むしろ国としての対応について代表の方に集中した。


「今回の論文につきましてはつい先日発送したばかりであり、おそらく本国ではまだ査読もされていないものと思われます。


従いまして、今回ティーナイでアバール薔薇を取り扱っていた商人にもまだ情報が行き届いていなかったのだと。


ある意味不幸な事故と判断しております」



「……本国送還の上、解雇処分」


 幼女公から「とても勉強になりました」とのお言葉を頂いて発表会が終わった後、フランクル宿舎で代表が疲れたように言った。


「本来ならそうだが、幼女公の覚えがめでたい今の状況では無理だ。

とは言え処分しないわけにもいかん。そこで……」



「従者先生、この前の写本できた?」

「一冊やるには時間がなかったのでとりあえず必要分抜き書きしました。必要ならまた言ってください」


 次の日から、写本室で写本台に陣取るナトンの姿に学徒たちの間で噂話が飛び交った。


「半年の間の論文送付禁止?」

「主も同期間、写本室詰めだと」


 今回の一件での罰則による配置転換で、仏頂面のまま学徒の世話をするティメオの姿も写本室に現れた。


「で、写本係に立候補ね」

「そこそこ早いわりに字はきれいだな」


 ……この先、フランクルの作業室にはナトンの字の文献がかなり増えることだろう。



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