第5話

「一度整理してみよう」


 今まで調べたものの写しを部屋中に広げて、ナトンは二人の聴衆に話し始めた。


「アバール薔薇に寄生する虹色アブラムシは 体内で毒物を作り、分泌物に混ぜて住処のバラの枝葉に塗りつける。


アバール薔薇は原種に近く細かいトゲを持つため、作業する農民は知らないうちに体内に毒素が入り込みアバール風邪が発症する。


病気を予防するため、手指を守るための長手袋を使用し、大元の虹色アブラムシを退治するためにアバール蝶を飼育するようになった。


『アバールの貴婦人』とは、アバール風邪に対処する姿を現したものだったと言えるだろう。現実的にそれで発症者はいなくなった」



“第17回帝国デザインコンクール特別賞の表彰の場においてアバール地方代官リュファティーアイム氏は「アバール風邪の対策に尽力された方々を思えばツボに描かれた女性はまさにアバールの貴婦人」と語り、地元の人々の涙を誘った。


以来この図は「アバールの貴婦人」と……”



「そして帝国の崩壊」


 ナトンの仮説はさらに続いた。


「生花や香水の主要顧客の貴族階級が消え日々の食事にも事欠く治安状況の中、生花の栽培から手を引く農家もいたことだろう。


その中で蝶を飼育する意味もあやふやとなり、アバール風邪の名も歴史書の中だけとなり、壺の文様だけが残った。


そして時が流れフランクルの王都の上流階級の奥方達の間でアバール薔薇が流行。

流行りに乗ろうとこぞってアバールからバラを持ち込んだ。おそらくは虹色アブラムシ付きで。


扱う方は長手袋も蝶の飼育も知らない。熱心に世話をした方からアバール風邪が発症する」

「待て。それでは高貴な方々が特に倒れた理由にはならない」

「王都はアバールより寒い」


 ティメオの疑問に動じることなくナトンは言葉を返した。


「そんな中温暖な地方の花を育てようとした時、高貴な方々なら使うやり方があるんじゃないか?」

「もしかして……温室ですか?」


 伯爵家に訪問したこともあるらしいアデールの言葉に、ナトンは頷いてみせた。


「温室の中では虹色アブラムシもよく育っただろう」



 ナトンの仮説を受け取ったエヴルー男爵夫人からの返信はかつてとは違い、喜びに満ちたものだった。 


“お手紙ありがとうございます。

「アバールの貴婦人」!

夜会の席で何度も見かけていましたのに、全く繋げておりませんでした。

「アバール薔薇を育てるなら蝶も育ててこそ本当の貴婦人」と流行させれば風邪の流行りなどなくなるでしょう。

……蛹の事は内緒にしておきますね”


 数日後、王都でのアバール風邪の流行はぱったりと途絶えた。



「アデールには今回の行動について黙っていてやる代わりに今後一切部屋には入らないようにしてもらう」


 一段落した後、ティメオはそう決断した。


「誰が危険か分かっていればこちらも対処できるし、うまく使えば伯爵家との繋がりにもなる」


 ティメオはそうは言うが、ナトンには割りきれないものが残った。


「……こちらに知らせてきたのがどうにも引っかかるんだよなぁ……」



 呼び出され、ティメオからの宣告を喰らったアデールは瞬きを繰り返した後なんとか声を絞り出して言った。


「……フュワンカデラの門前で締め出しを食らった心地です。

ザンクカーレスの峠を下るとはこういう事でしょうか」

「俺はかつて社交界デビューの時のアデール男爵令嬢を見かけたことがある」


 そんな彼女にティメオは冷ややかに言った。


「小柄な方だった、と記憶しているが」


 お前は本当に彼女なのかと言わんばかりのティメオにアデールは同じぐらい冷ややかに返した。


「成長期だったので」



“「フュワンカデラ」


 帝国時代、王立魔術大学校があった土地。

「フュワンカデラの門を入る」とは、『学者としての生活を始める』との意で使われる”


“「ザンクカーレスの峠を下る」


「重騎士グスダフ」の有名な場面。

 主を救うため軍律に背いたグスタフは、責を負って本陣からは去ることとなった”



「アデールの入室を許す?」

「誰が要注意か分かっていれば対処できるんだろ?」


 ナトンの申し出に眉をひそめるティメオに、従者扱われの幼なじみは怯まなかった。


「一声かけなければ入れないようにして、入室前にまずい書類は片付ければいい」


 機密保持の観点からして、いや伯爵家との繋がりを考えると……と戸惑うティメオに、ナトンはしみじみと言い放った。


「……地元で君が僕に図書室の整理をさしていなかったら、僕という存在はなかったよ」



「『他の部屋の書類は見ない』『広げてある所以外は見ないこと』を約束できるなら」という条件も加えた形でアデールの入室は許可された。


 あれもこれも見せたいとナトンが張り切りまくり、部屋中のあちこちに各種の書類が並べられ……後日アデールから苦情が来た。


「あの……あんなに広げられては掃除ができません……」



 いくらお人好しの幼なじみに押しきられたとはいえ、そのまま相手を放置するティメオではなかった。

 日常勤務の合間に相手の本性を探るべく、ティメオはアデールの観察を始めた。


「頼むよのっぽさん」


 夕食までまだ時間がある夕方時。

 学徒の一人がアデールに頼み込んでいる。


「甘いもんがないと頭回んないんだって。なんかないかな」

「次の夕食時間までお待ちください」

「もう、アデールさんたら」


 すげなくあしらうアデールを見かねたのか、他のメイドがさりげなく割って入った。


「学徒先生。蜂の巣のかけらならございますわ」


 からかい交じりの感謝の言葉を発しながら去っていく相手を愛想よく見送ると、そのメイドはアデールを物陰に連れて行きそそくさとささやいた。


「あれでも出世したら玉の輿よ?愛想よくしたら?」


 そう言われてむくれる様はティメオにはどう見ても野暮ったい田舎者にしか見えず。


 そのうち次々とくる日常業務にかまけているうちに、ティメオもすっかりアデールの観察を忘れてしまった……。



 宿舎の作業室がまだ煌々と照らされてはいるものの、他の場所のほとんどは灯りが消され就寝の時間に移ろうとする頃。


“親愛なるお兄様”


 誰もいない食堂の一角に燭台を持ち込んで、アデールは手紙を書いていた。


“アデールの婚約話、うれしく聞きました。

あの娘が名前を貸してくれなかったら、私はここへは来れませんでした。

詮索好きな方々へは「私は尼寺へ行き、聖務の合間に学問の息吹を嗜んでいる」とお伝えください。そう間違ったことでもありませんので”


 誰が兄から聞き出そうとしそうなのか予想がつく。

 今では自分からは遠く離れた世界のこととしか思えないけれども。 


“思えば幼女公にお仕えする侍女の選抜時に「幼女公に年齢が近い方が望ましい」としてはねられたとき「メイドのほうはまだ空きがある」と知り、すぐさま行動できたのは神の御業でありましょう。

お兄様、想像できまして?

食事の場の話題が「時代による言語変化について」なのですよ”


 手紙を書きながら思わずクスクスと笑う。

 件の学徒たちも、内心恍惚としながら聞き耳をたてているメイドの存在など思いつきもしないだろう。


“こちらでの毎日は行く前に覚悟していたものの範疇でしたので問題ありません。

お兄様こそ激務の毎日であることと思います。

家中の者たちのためにもどうかご自愛くださいましね”


 そして心配性で働き者の兄へ愛を込めて、最後の署名を書き入れた。


“コルベール伯爵閣下へ

あなたの妹 ルイーズ·ラ·コルベールより”



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