第4話

 王都の数少ない知り合いからの手紙が届いたのは、やっと宿舎での生活に慣れ始めた頃のことだった。


“ご心配をおかけしました。


王都の上流階級の奥様方に蔓延している『アバール風邪』にかかり、 ここしばらくは寝たり起きたりの生活をしておりました。


 聞けば「アバール風邪」は帝国崩壊の際にその治療法が失われてしまったとか。

 熱はないものの体中がだるく動けない日が続き、主人などは同じ地方から来ているというだけで庭のアバール薔薇を始末してしまったほどで……”


「……ナトン、アバール風邪とはなんなんだ?」


 エヴルー男爵夫人の手紙を読んだティメオの疑問に答えたのは、やはりファルネイア家の蔵書だった。



「世界疾病辞典」曰く。


“「アバール風邪」


 アバール地方の農民を中心に蔓延した風邪。

 熱が出ることは稀。

 全身に倦怠感。

 重症化すると食事が取れず衰弱死。

 アバール地方では農民の約半数がかかったが、後に対策が取られ今では滅多に発症することはなくなった”


「だから、どうやって治療したんだ!?」


 ティメオが声を上げた。



「各地の産業:アバール地方」に曰く。


“温暖なアバール地方はその気候を活用して大都市で消費する各種の花や野菜を栽培しています。

 大規模な果樹園は少なく、大部分は平地を農地にしています。


 温暖な気候は害虫類にも快適なため、魔術障壁を……”


「アバール風邪については載ってないな」


 一通り目を通したナトンはそう判断した。



 ついでに調べた「各地のバラたち」のアバ ールの項に曰く。


“温暖な気候の下、花の生産でも有名なアバールはアバール薔薇でも有名です。


 原種に近く香り高いこの品種は病気に弱いため、媒介する……”


「いつまで関係のないところを調べてる!?」


 一見関連がないように見える書籍を調べているナトンにティメオが声をあらげた。


「かの旦那氏の判断が八つ当たりなのかどうか確認したくてね」



「風邪というけど、軽い毒物の中毒症状の可能性も考えると……」


 そう言ってナトンが手にした「薬物大図鑑」に曰く。


“「貴婦人の睡眠薬」


 第11代帝政期に流行した薬物。

 アバ ール蝶の蛹から生成する。


 使用すると程よい倦怠感に襲われよく眠れると評判になるが、過剰摂取による死亡事件が多発したため販売禁止となった”


「考えすぎじゃないのか?」


 逸脱しているように見える調査に疑問を持ったティメオに、ナトンは冷静に答えた。


「本国での調査によると家族内での感染がない。感染症ではない可能性はある」

「サロンか茶会で摂取したと考えれば奥方達にだけ流行する道理だ。……誰かが盛ったか」


 あちこちの夜会で見聞きした話がティメオの頭をよぎったらしい。

 それにナトンは今度はこちらから疑問を返した。


「だが、寝たり起きたりを繰り返すということはその度に原因物質を摂取していたことになる。

僕はよく知らんが、奥方というのは病み上がりですぐサロンに行くものなのか?」



 調べた結果を軽くまとめてエヴルー男爵夫人へ送った私信の返事に、その答えは書き記してあった。


“お手紙ありがとうございます。

私はおかげさまで持ち直しましたが、園芸好きの高貴な奥方様の中には回復の兆しの見えない方もいらっしゃいます。

お尋ねのことですが、いくらなんでも病の後すぐにそんなに社交上に出向いてなどいませ ん。

蝶を飼ってる方もいらっしゃらないでしょう”



 調べものというものは確かに散乱する書類を無制限に生み出す。

だが。


「誰かが部屋の書類を漁っている?」


 調べものの書類で足の踏み場もない部屋でそう主張する幼なじみに、ティメオは思わず聞き返した。


「広げてあるところは変わってないが、積み方が変わっている」

「だが外交官の部屋に入るのは掃除するメイドぐらいだ。

高位の方々の身元保証もある……まさか」


 高位の方々の身元保証、それは裏を返せば彼らの手下であるとも言える。


「社交の場でどこぞの奥方が盛った可能性はあり得る。

高貴な方々の推薦ということは、手下がこの件を揉み消そうと!」

「件の毒物は水溶性だ。水飲んで寝れば普通は回復する」


 加熱しそうになった相手にナトンは冷静に反論した。


「それでも寝付くのは日常的にそれらが体内に入っていたことになる。例えその毒物が原因であったとしても……盛るぐらいでは追いつかん」



 一応従者枠で来ている以上、ナトンも時には従者の仕事もする。


 仕事が立て込んで部屋にこもっているティメオのために食堂に食事を取りに来た時、運んできた長身の野暮ったいメイドがささやいた。


「あの……『アバールの貴婦人』には蝶が付き物なのでは?」



“「アバールの貴婦人」


 アバール地方由来のモチーフ。

 蝶が群れ飛ぶ中、花束を抱えた女性の姿が描かれている”



「コルベール伯爵推薦のアデール嬢か。まさかコルベール伯爵家が関わっていたとは」


 件のメイドの発言がティメオの脳裏に一連の事件の真相を浮かび上がらせた。


「あそこの令嬢は婚期を逃してかなり経つはずだが、その恨みか」


 それにしては、とナトンは思う。


「……なぜ言ったんだ、彼女は」



 「アバールの貴婦人」の紋様の資料を手に入れた上で、ティメオたちはアデールを呼び出した。

 ナトンの疑問に逃げ出すこともなく、疑惑のメイドは一種堂々と答えて見せた。


「件のツボを伯爵邸をお訪ねしたとき拝見いたしましたので」

「この部屋に来た際に書類を見たな?」


 疑惑を追及する検事さながらのティメオの言葉にもアデールは揺らぎもしなかった。


「見えます」

「なぜ言おうと思った?盗み見がバレると知りながら」

「疑問に思ったので」

「それは置いといて、アデールさん」


 それまで二人の会話を半ば聞き流していたナトンは、紋様の資料を手に尋ねた。


「私は初見なんですが、なぜこの図を貴婦人と?」


 突然の疑問に二人が絶句している中、ナトンは半ば独り言のように話し始めた。


「私はこの絵を見た時かなりの違和感を感じたんです」


 ナトンはじっくり「アバールの貴婦人」の絵を眺めた上で二人に指し示した。


「今よくよく考えてみたのですがこの裾は貴婦人の長さではない。

脛まで見えている。これでは農民だ」

「農民?アバール風邪の?」

「そこで疑問なんだ。なぜ僕らはこの女性を貴婦人と思ったのか」


 ナトンの素朴な疑問にアデールが答えた。


「それは長手袋をしているからですわ。貴婦人しか長手袋は使いません」

「しかしこの農民の女性、薔薇を持つのに長手袋をしている」


 ナトンに言われてテメオは改めて紋様を見た。

 確かにそこには「貴婦人」というにはちぐはぐな格好の女性がいた。


「そして蝶だ。これがアバール蝶ならそこに意味があるかもしれない」

「もしかして、薔薇に毒が」

「さっきの図鑑にはなかったが」


 三人の視線は散らばった書類の中の昆虫の資料に吸い寄せられた。



 果たしてそれはそこにあった。


 昆虫辞典の蝶の項に曰く。


“「アバール蝶」


 アバール地方の固有種。

 一見地味にも見える外観。

 幼虫時代にバラに寄生する虹色アブラムシを捕食することからアバール地方の農家で飼育されている。

幼虫時の派手な色合いは身を守るための警戒色であり、蛹からは「貴婦人の睡眠薬」の原材料が取れる”


そして、世界の害虫辞典に曰く。


“「虹色アブラムシ」


 温暖な地方に発生する。

 体内で微量な毒性物質を作り出し、それを内包した分泌物をあちこちに塗りつけて生息域を拡大する。

アバール風邪の原因と言われ、近年アバール蝶による駆除法が試されている”


「ここまで調べてやっと出てくるのか!」


 ここまでの回り道に、ティメオが思わず天を仰いでも仕方がないと言えただろう。


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