第3話

 フランクルの王都からファルネイア公爵邸までは馬車を連ねて6日間の旅となる。


 馬車の内容としては、尊き方々、お役人様、その従者たち、そして学徒として召集された者たち、下働きと諸々の物資。


「従者先生、今から辞書でお勉強ですか」


 学徒の馬車のナトンに声がかけられた。


「『飛翔の枝出版』のなんて初心者向けですよ。専門用語が必要な分野には荷が重いでしょうに、今更」


 ぎゅうぎゅう詰めの馬車の中の学徒たちから密やかに笑いが漏れた。

 それに込められた軽い侮りを無視することは、農村で永年「不出来な農夫」をやらされていたナトンには難しくなかった。


「……馬車内で暇を潰すのに手頃な大きさがこれぐらいで」


 なのでナトンは普通に返すことにした。


「それにたまに読み返すと面白いので、辞書は」

「あ、それは確かに」


「娯楽として辞書を読む」、というのは他の学徒たちにとってもよくある話らしい。

 思わずといった調子で反応した学徒にナトンは平然と続けた。


「ルフェントースのとかおすすめです」

「あれはかなり癖があるんで」

「精霊思想、強いですからね」

「逆に魔術一辺倒のも使いづらい」

「当時の主流だったらしいですがね」

「まさに『松でも杉でも』」

「『花見には向かん』」

「……よくご存知で」


 一般的には流布していない帝国時代のことわざまでナトンの口から出てきたことが意外だったのだろうか。

 口ごもる相手を意に介さず、ナトンは答えた。


「ん? 基本でしょう」



 学徒あるある話から話に花が咲き、学徒たちの馬車内ではかつての大変だった仕事の話が次々と披露されていた。


「とにかくその従者と来たら『尊い仕事に関わらせてやっている』という態度で真夜中に呼び出して、もう、明朝までに翻訳しろって、しかもタダで!」

「それは……大変でしたね……」


 そこでナトンは自分も従者の一員として見られていることに気がつき、さりげなく枠外であることを主張してみせた。


「あ、私、自力で翻訳できますんで」


 それは安心だとばかりに頷く学徒たちの中にひときわ申し訳なさそうに話しかけてくる者がいた。彼は今までの大人げない態度を詫びた上で言った。


「今回、選抜からもれた同窓生がいるんですよ。 従者枠という手もあったんだな……」


 手を尽くす余地がまだあったことを悔やむ彼に、ナトンはかける言葉が見つからなかった。



「かなり仲良くやってるじゃないか。 人が神経すり減らしている時に」


 馬を休めるための休憩時間。

 久々にナトンの顔を見たティメオの口から出てきたのはからかい交じりの愚痴だった。


「こっちの馬車に乗れと言ったのお前だろ?」

「ああ、それは当たりだ。あそこはお前には向かん」


 相当お役人様方の馬車は元農夫には居心地が悪いところらしい。


 馬車の休憩時間に情報交換をする二人の背中で、通り過ぎた誰かがつぶやいた。


「……伝手だけしかない無能どもが」



 小高い峠の道から見下ろしたファルネや公爵邸は黒い森の海に沈みかけようとしている小船のごとく。


 森の中を通る狭い道の中突如現れた関所と 兵士宿舎は、同盟国以外の者の侵入と原書の持ち出し阻止のためだ、と同僚の学徒が声をひそめて教えてくれた。


 フランクルの学徒たちが公爵家への到着のあいさつのため集合させられたのは、帝国様式の噴水がそびえる中庭だった。

 いかにも威厳漂う老婦人の隣で恥ずかしそうに佇む身長が半分ぐらいの少女が、その挨拶を受けていた。


「あれが公爵家当主、いわゆる『幼女公ソフィア様』さ」


 親切な学徒の囁きに、ナトンはその幼さに驚いた。



 名画より書棚が多いと言われている公爵邸の応接室。

 幼女公は 面前の頭を下げる三人の娘たちに相対していた。


「こちらがガルマニア。そちらがフランクル。そして一番向こうが我がティ―ナイから来た者でして」


 ティ―ナイ代表サルバドールは三国の政治的な調整から送り込まれた娘たちを手早く紹介してみせた。


「我ら同盟三カ国から一名ずつ、公爵家にぜひ行儀見習いとしておいていただきたいと」


 普段見ることのできないメイド長の目を白黒させる様を盗み見ながら、館に入ってきた新しい風にソフィアは心を踊らせていた。



 フランクルが用意した寄宿舎の学徒の寝室は 基本、多人数用のベッドを多数詰め込んだだけの代物。

 代表者ともなれば従者にまで個室がつけられるが、下っ端の外交官風情では従者がいても相部屋となり。


「深夜まで打ち合わせもあるから、お前は先に寝ていていいぞ?」


 おそらく親切心から出たのだろうティメオの言葉に、ナトンは少しカチンときた。


「……いや、何でこっちが先に寝ると決めて掛かってるんだ」

「突然深夜に打ち合わせが入ることがあるんだよ、外交ってのは」

「個室があって研究もできるのに、早く眠るわけがないじゃないか。そっちこそ先に寝ていていいぞ?」

「待て、こら」


 ……宿舎初日の夜はゆるゆると更けていく……。



 公爵家礼拝堂の朝課の鐘を合図に学徒たちは飛び起きる。


 そして食堂に流れ込み、メイドたちが配膳する出来立ての料理を口に詰め込む。

 代表や外交官のような貴族のように部屋まで料理を運ぶ従者はいないのだから。


 だが彼らが急いで食べる理由は料理不足故ではない。


 我先にと料理をかき込んだ学徒たちは公爵家図書館に増設された写本室に飛び込む。


 学びたいことが記載されている本を蔵書目録で調べ、公爵家の家人に貸し出しを申請する。

 コネも何もない。早い者勝ちだ。


 だが原本をそのまま各国宿舎に持ち込むことは禁じられている。どうするか。


 貸し出された原本を片手に学徒たちは写本に勤しむことになる。


 増設された写本室の写本台は三か国の学徒の希望者を満たすほど多くない。

 必然的に起きる他国の者との一騒動を収めるのは随行員としてきている外交官たちだ。


 だが写本した原稿をそのまま本国に送るのは禁じられている。


 移された原文は各宿舎の作業室に持ち込まれ、 学徒たちはやっと本来の仕事である翻訳作業に入る。


 翻訳された分しか本国には持ち出せず、本国に届けられた文でしか評価は与えられない。

 公爵家の写本室は晩歌の鐘までしか開いていないが、宿舎の作業室は夜中まで使われている……。



 そんな中、学徒でありながら他の者たちとは違う行動をしている者がいる。


「奴はいつまで蔵書目録と睨み合ってるんだ?」


 学徒でありながら学徒でない者。

 他の学徒が借りだし窓口に並び、写本台にかじりついている中、ナトンだけが蔵書目録から動かない。 


「研究が進まなけりゃ送還される学徒たちと違って、従者先生はお気楽なこった」


 そんな陰口を聞き流しながら目録を前に熟考したナトンは、写本室の公爵家家臣に尋ねた。


「この目録の写本は許可いただけるのですか?」



「諸君らは勘違いしているようだからここに明言しておく」


 そんなフランクルの学徒たちの行動が変わったのは、次々と押し寄せる「本国への発送論文」の受付業務がとうとうたち行かなくなった時だった。


「どんな文でも翻訳すればいいというものではない。

ここから本国までの輸送費もバカにならんし、送られた分は精査されて次回予算の根拠ともなり得る」


 通常の仕事が邪魔されて怒り心頭に達していたフランクル代表は、今後の予算折衝まで邪魔されてたまるかとばかりに声を張り上げた。


「この先は代表である私が送る前に精査する。 厳選を心がけるように」



 これによってフランクルの学徒たちの本の選抜内容がかなり変わった。

 無論、それが専門ではない学徒もいないわけではなく。


「フランクルで栽培できる作物とか有益な植物について」

「書名か著者名を明示して頂かないと」


 そんな学徒の覚束ない申請で窓口係を困らせる状態もかなり出てきた。

 そこへナトンが口を挟んだ。


「作物探訪北方編か帝国薬草図鑑、もしくは リュランナス著作の本とか」

「……よく知ってんな」

「蔵書目録を全部写本しましたので」



 その後、フランクル宿舎の作業室に図書館の 蔵書目録の写本が置かれるようになった。


 誰が作ったか誰も頓着しないまま、今日も深夜まで目録の写本を取り囲んで学徒たちの明日に向けての戦略会議は続いている。


「絶対他国の連中より先に確保するぞ!」

「「おお!!」」



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