第2話

「お前に謝らなけりゃならない事がある」


馬車が王都につく直前、ティメオが真面目な顔で言い出した。


「国が送り込める学徒の数は国が出す支援内容で制限があって、俺のコネではお前を押し込むのが難しかった。

で、悪いが俺の従者枠で来てもらうことになる」


 ナトンの体が揺れたのは馬車が揺れたからだ。他意はない。


「とは言っても仕事に必要な調べものをしたり図書館に保管された書物を精査したりすることは他の学徒と変わらない。何なら暇な時に研究もできる」

「農民ですら不出来と言われた自分に従者が務まるか?」


 自嘲の色合いを込めてナトンがそう言うと、ティメオは真面目な顔でかえした。


「大丈夫だ。今までだって従者なしでやってきた」



“ 学徒同盟覚書


一、参加同盟国は、それぞれファルネイア公爵家に対して金銭、物資、警護、人員等の援助を行う


二、同盟国に対しファルネイア公爵家は書物の研究権を認め、同盟国は援助の内容に応じた学徒の滞在権を持つ


三、館から持ち出せるのは翻訳文書のみ。原本は持ち出せない”



「王都の家は小さくてお前を止める余裕はないし宿は高い」


 王都に入って今日の宿の話になった時、そうティメオが宣言した。


「どこでもいいよ」

「だが安心しろ。知り合いが打ち合わせの日まで泊めてくれると言ってくれた」


 ナトンがティメオに連れられて行ったのは小洒落た家で、中から小奇麗な婦人が現れた。


「知り合いのエヴルー男爵夫人だ」


 生真面目な挨拶の交換の後居間に通されたナトンを見て、エヴルー男爵夫人はいたずらめいた笑みを見せた。


「なるほど、その方が噂のナトン様ですのね?」

「そうなのです、男爵夫人」

「出発の日まで大切に預からせていただきますわ。『ルネ様』の大切な方ですもの」


 男爵夫人のからかうような言葉にティメオは珍しく苦々しい表情を見せながらも礼儀正しく言った。


「ご主人と打ち合わせもしたいのですがね」

「他の方々にもお知らせしなくちゃ」

「……そこまでしますか」



 エヴルー男爵はティメオと同じ外交官の中でも出世頭の一人だ。

 今回の同盟参加に関してティメオと共に活動してきた同僚でもある。


 男爵邸の執務室では外交部の実働部会議がティメオ参加の下、密やかに開催されていた。


「三大国からの圧力は変わらんか」

「弱小国が生き残るために知識と技術力の獲得は急務だ」

「ガルマニア、ティーナイの学徒到着日は確かか?フランクルが出遅れると公爵家への影響力に響くぞ」


 厳しい世界の状態と時間繰りの中、ティメオは苦しい決断をせざるを得なかった。


「……学徒への説明会と打ち合わせが終わったら即出発するしかないか……」



「あの……ですね」


 一方、ティメオが去った男爵邸の居間において、ナトンが男爵夫人に押しきられようとしていた。


「私はあいつから学徒としての仕事だけすればいいと言われていまして」

「ですが、何もできないようでは『ルネ様』が恥をかきますから」


 男爵夫人は天使もかくやという笑顔を浮かべて言った。


「従者としての一通りのお仕事は知っていただきます」


 お仕着せの制服とお茶の道具一式。従者教育に必要な教材と共に。



 学徒として送られる者たちへの説明会は、外交部の肝いりで、あるホテルの広間を借りて行われた。


「従者枠で縁のある学徒をねじ込んできたらしいな」


 説明会の準備で飛び回るティメオに声をかけたのは、今回学徒引率の責任者として現地に赴くヒューゴ氏だ。


「いつも夜会で女を侍らせてる貴君のことだから女性なのだろうと思っていたぞ、ティメオ·ルネ·ブブシエル君」


 下手な冗談に取り巻きたちが忍び笑いを漏らす。準備に忙しいティメオに相手してやる余裕などない。


「……私は優秀な方々が好きなだけですよ、閣下」


 閣下にまとわりつく自分たちよりも、という皮肉に取り巻きたちが気がついた時にはティメオの姿は消えていた。



 学徒たちへの説明会において、従者枠での参加となるナトンの場所は主となるティメオの横だった。

 演台では代表者であるヒューゴ氏が参加者に向け現在の状況を語っている。


「大国の要求が日々強まる中、我々弱小国においては国力増強のためにも知識技術力の向上は急務である。

今回派遣される学徒の諸君には、我が国特有の事情として、昨今の北方少数民族からの移民流入に由来する食料不足及び健康状態の悪化を解消する方向での研究を中心に……」


 ヒューゴ氏が語る内容が理解できるにしたがって、ナトンの顔色はどんどん悪くなっていった……。



「ああ……。聖樹史観論……五大英雄賛歌……帝国史大全……リュファリアス著の『魔術とは』……極北石碑伝……初代皇帝かく語りき……騎士グスタフサーガ……魔術における精霊とは……臣民教書……」


 説明会を終え帰宅する学徒たちの通り道で、隅っこで嘆くナトンと叱咤するティメオの姿が目撃された。


「聖句のように研究したかった歴史書の名前を唱えるな!自由な研究時間ぐらい確保してやる!」



 フランクルにおいて学徒たちへの説明会が行われていた頃、他の参加国ガルマニアにおいても学徒たちへの叱咤激励会が行われていた。


「我がガルマニアは諸君らも知ってるとの通り周囲を大国に隣接された地形にある!

ゆえに軍備の拡張は急務であり、急激な兵数の増加が見込めない以上、それを補助する何らかの戦術、戦略、兵器開発の技術力、兵糧の 増産は必要不可欠である!

学徒の諸君の奮闘を期待する!」


 演説を副官に任せ、まだ若い身でありながら代表者となっているフランツ·フォン·リウトブルグは、ただにこやかに頷いていた。



「あー……」


 そして学徒同盟の一端を担うティ―ナイにおいても説明会は開かれており。


「皆、もう知っての通り我がティーナイはぁ、今は無き帝国の文化的後継者を自負しておりぃ、 その文化を政治的手腕で安寧を確保してきたのじゃがぁ……長きにわたる混乱で失われたものも多くての」


 代表者であるサルバドール氏の人を食ったようないつもの調子の身も蓋もない演説を、皆が延々と聞かされていた。


「正直、ネタ切れが国家生命の切れ目になりかねん」



 ……結局、学徒たちの出発の日まで、ティメオとエヴルー男爵夫人が二人きりで会うことはなかった、ティメオの思惑通りに。


「世話になったんだから、目だけは通してくれ」


 出発の合間にナトンから手渡されたエヴルー男爵夫人の手紙を、ティメオは人目のない馬車の陰で読んだ。 


“ありがとう。私達と同じく、親族の突き上げで居場所のなかったあなた”


 彼女との出合いはどこかの夜会だった。


 出世の手がかりにでもならないかと声をかけた彼女は、彼と同じく良い嫁ぎ先を熱望する一族の期待に潰されそうになっていた。


 お互いの望みをお互いに叶えることはできないが、同じ目的のため協力し合うことはできた。


“あなたが誠実な共犯者でいてくれたおかげで、みんながそれぞれ望む居場所を手に入れられたの”


 ある時は相手の気を引くための恋敵として。

 またある時は不埒な相手から守るボディーガードとして。

 夜会を舞台として、お互いに望む伝手を手に入れるために大勢の女性たちと共に協力しあった。


“今度は私たちが助ける番”


 協力のかいあってティメオが出世するに従い、彼女を始めとする大勢の女性たちがそれぞれに望む相手のもとに嫁いでいった。


“忘れないで。それぞれの場所でみんながあなたの助けになろうとしていることを”


 ティメオは口元にあるかなきかの笑みを浮かべると、胸元に手紙をしまいこんで出発前の作業へと歩み出した……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る