学徒同盟
@so-yatutae
第1話
「南の大森林の中に滅亡した帝国由来の名家が発見されてな、隣接する三国が協力して支援することになった。
見返りは大量にある帝国時代の蔵書の研究権で、わが国からも研究者を送り込む」
「ふうん」
「お前が行くんだよ」
ひさびさに帰郷した幼なじみの一言が、ナトンの人生を変えた。
※
ブブシエル騎士爵の跡継ぎの帰郷は、それが例え仕事上の都合と言えども地元の者たちを喜ばせるに足るものだった。
「ティメオ坊ちゃまのお戻りを家臣のみならず ブブシエル村民一堂お喜び申し上げております。 王都では地道にご出世遊ばされておられると旦那様もお喜びで……」
「仕事だ。ぼっちゃまはよせ」
「申し訳ございません、ぼっちゃま。
しかし……なぜナトンなので?」
執事の疑問に答える理由はティメオにはなかった。
※
“初代皇帝曰く、
「森はエルフの故郷という。
人を憩わさず、為すべきことのみ要求する場所を故郷と言えようか。
今の人々には安寧と共に健やかに生きてゆける場所が必要だ。
『一人一本令』は人々を新しく作り上げる故郷へと導く法である」”
※
「ご出世おめでとうございます、若旦那様」
ナトンの言葉に含まれた多分に多めのからかいのニュアンスをティメオは感じ取ったようだ。
「殴るぞ」
「だけど国の外交官として活躍中だと村じゃ評判だぞ。……お前としては嬉しくも何ともないんだろうけれど」
気のおけない幼なじみの言葉にティメオはため息をついた。
「……それを分かってるのはお前ぐらいなもんだよ」
※
「あいつの親代わりとしてあえて言わして頂きやすがねえ、ぼっちゃん」
ティメオのもとに直談判に来たのは、ナトンの養父の牧童頭だ。
「あんまりあいつを勘違いさせないでやって頂きたいんでさぁ。
ガキの頃にたまたま同じぐらいの年頃だからって勉強のお相手をしてたぐらいで、学者先生様の真似事ができるわけはないでしょうが」
※
「……それ、そんなに面白い?」
まだティメオたちが幼い子供だった遠い日のこと。
家庭教師からの脱出防止につけられた小作人の息子を戯れに図書室に連れて行ったら、食いつくように本に見入っている。
亡くなった母から少しは文字も教えられたらしいけれど、こちらの問いかけも聞こえやしない。
あまりの夢中ぶりにふとティメオは思った。
「勉強……やってみようかな……」
※
「俺よりお前が王都で学ぶべきだったんだ」
大人になった現在、ティメオは本当にそう思っている。
「小作人の供まで連れて行く余裕なんかなかっただろ?」
「だから手に入れた本や話題になった書は片っ端からこっちに送った」
王都で勉学に励むティメオぼっちゃんは「王都の家が手狭だから」と度々読まなくなった本を実家に送ってきていた。
「図書室に本を収める際にお前に内容を精査した上で整頓させろと言った。
……お前がここで勉学を収められるように」
思いもよらないティメオの話に動揺しているナトンに、相手は苦笑して言った。
「だいたいだ。お前に思索する以外にまともにできることがあるかどうか疑問なんだが」
「……違いない」
「まあ、落ち込むな。鳥が地面を走るのは遅いもんだし、魚は水の中に住むもんだ」
「本の池の中にか?」
「どちらかというと思索の大海だな」
ナトンは村を出て、思索の大海へ泳ぎ出ることができるのだろうか。
※
「王都で偉いご出世出された若旦那様がお戻りになされたそうだ」
貧しいブブシエルの村の中で、その噂は一気に広まった。
「この貧しい村でやれることはやり尽くした」
「益々ご出世いただかなくてはこの村は豊かにならん」
ブブシエルの一族の行く末が、いや、村の一堂の未来がティメオの双肩にかかっていた。
それなのに。
「次の大きな仕事の手助けにナトンを連れて行くんだと」
「あのぼーっとしぃのナトンを?」
一堂の心に冷風が通り抜けた。
行く末と未来をかける期待の若者が、彼でいいものだろうか。
※
「村のみんなも、そんな大仕事について行くのがナトンでいいのかと言っとる。
俺もまともに野良仕事もできん半人前を行かせるのは親代わりとしてしのびない。
俺はあいつの亡くなった親父から『どうか一人前の男にしてやってくれ』と頼まれている」
牧童頭として、ナトンの養父として。
「無責任なことはできん」
牧童頭に学はない。
だが人になんら恥じることのない生き方をしてきた。
「俺はこの村で生まれてこの村で育った。
土や麦わらにまみれて汗だくで仕事をした。
今じゃ牧童頭としていっぱしの顔役だと言われている。
その背中を見せて『これが男の生き様だ』とあいつにも教えてきた。
なのにまともな農夫の仕事もできん」
そう、彼には一人の男としての責任があるのだ。
「……とても一人前の男として送り出せん」
※
牧童頭の嘆願行脚は、すでに隠居しているティメオの祖父の下まで及んだ。
切々と訴える牧童頭の文言を、大旦那と呼ばれる祖父はぼんやり暖炉の火を眺めながら聞いていた。
「大旦那様からも坊ちゃんに『ナトンの奴ではぼっちゃんの足を引っ張りかねん』と言ってやってください。
あいつはまったくなにもできないヤツで、まともな農民に本で聞きかじったことを立場巻きまえずに意見したり、些細なことにこだわったり……」
「よくは知らんが」
暖炉の薪が弾けるタイミングで大旦那は口を挟んだ。
「それが学者にふさわしいということではないかな?」
思わぬ反論に口を閉じた牧童頭に、大旦那はさらに言葉を重ねた。
「わしがアレを孫の相手に、と言った時、父親は嫌がっておったのか?」
「めっそうもない! 母親に似てよく考えるやつだから喜ぶだろうと」
誰が大旦那様に「その判断を嫌がっていた」などと言えるだろう。
牧童頭が一歩譲ったのを見てとると、大旦那は寛大な態度で頷いた。
「わしはお前ほど農作業に詳しくはないが、あれの言葉遣いや本の扱いの誠実さは、まさにお前が育て上げた“一人前の男”だと思ったがな」
その大旦那の評価は、牧童頭を悩ませるに足るものだった……。
※
その日の夕方、ナトンのところにやってきた養父は、飲み慣れない酒でも飲んだのかおぼつかない足取りで、何度も言いよどんだあげくにこう言った。
「……やい!……てめえ!
……坊ちゃんについて行きてえんならなんで俺に『どうか行かせてください』って頭下げに来ねえ!」
※
出発の日。
門前は盛大に見送りの人々で埋め尽くされた。
「ご出世をお祈りしておりますぞ」との声たちに待望の跡取りは笑顔で答え、颯爽と馬車に乗り込んだ。
そして友人の視線しかない座席で窓に背を向けると、背中を丸めて目を閉じ耳を塞いだ。
※
“帰郷の騎士に 手柄を讃える声
歓呼の叫びすら 彼の飢えを満たさず
真に求めたるは 一輪の花
横たえた身を包む 優しき青草”
大公戦乱期の吟遊詩人の歌より
※
「……お前が牧童頭に頭を下げる必要なんてなかったんだぞ」
眠ったのかと思われていたティメオがポツリとそう言った。
「頭や皆がどう言おうと、お前の王都行きは決まっていたし。
お前だって旅行の荷造りの最中だったんだろ?」
「……弱くなったなぁ、と思ったんだ……」
ナトンがポツリとつぶやいた。
「『こちらが頭を下げて頼んだから許してやった』なんて形にしないとプライドが保てないほど弱くなったのかと思ったら、なんか、たまらなくなってね」
あの強かった養父が。
自分の中の揺るぎない基準で一向に自分を理解しなかったあの養父が。
「相手が懇願したから」なんて言い訳にすがらなくてはならないほど弱くなったなんて。
「でもいいんだ。
全部忘れる。
図書室のこと以外全部」
それは過去のこと。
思索の大海を泳ぐ魚が土の上を不恰好に跳ねとぶしかできなかった、まったく間違いでしかなかった時代。
「これで息ができる。
父さんの息子じゃなく、不出来な農夫じゃなく、自分として、息ができる……」
ふとティメオが見るとナトンは寝息をたてていた。
すべての重荷を下ろしたかのように。
安らかに。
静かに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます