第24話 奪還
「おい」
「……驚きました。確かに、彼らを見くびっていたかもしれません」
「おれも、現れるとは思ってなかった」
苦い後悔を覚えた。本来ならば、彼女は巻き込まれるべきではなかった。
「ここに雅文がいるということは、香幇の面子も揃っているはず。
ベネディクトが扇子越しに耳打ちすると、青年は「
手持ち無沙汰になった
「怖い顔をするのはよしてください。摘まみ出されますよ」
「……努力する」
会場では長袍や黒いスーツに身を包んだ、体格の良い男たちが鋭い視線を巡らせている。問題が起きればたちまち彼らがやってきて、容赦なく追い出していくのである。
野分とベネディクトは会場を回りつつ、雅文や
ベネディクトは適当にいなしていたが、その中のひとりが彼の気を引こうとしたのか、もったいぶった様子で「実は……」と声を低めてささやく。
「何でも今日の宴では、黄大亨が長らく探し求めていた宝が見られるそうなのですよ」
野分とベネディクトは素早く視線を交わしたその時、会場の音楽が鳴り止んだ。同時に、間違えようのないあの橘香を嗅ぎ取った。
突如派手な銅鑼の音が鳴り響き、参加者たちは盛大な歓声を上げる。
会場の奥、恰幅の良い男が壇上に上がった。明黄の龍袍に京劇の猿面を被っている。顔が見えずとも黄金栄だとわかった。
その横に添う小柄な女性もまた、京劇の狐面でその顔を覆い隠している。複雑な髷に青い絹花の玉釵を挿し、裳には尾に見立てた九本の白い毛皮が揺れている。
黄金栄は女を伴い、ゆったりとした足取りで壇の中央に用意された紫檀の椅子の前に立つ。
「静粛に、静粛に!」
呼びかける黄の声は強く野太い。
「今宵、お集まりの同志たちにお見せしたいものがある。蓬莱にあるという不老不死の妙薬だ」
黄の宣言に、客たちの間から自然と感嘆の声が零れる。
新しい出し物が始まるのかという客の期待に応えるように、もう一度銅鑼が鳴り、入り口の扉が開く。
扉の前に並んでいたのは官服風の男たち。その後ろに紅玉で飾り立てられた銀の神輿が見える。弁髪に黒い道袍に身を包んだ男たちが輿を担ぎ、芝居めいた足取りで、一歩、また一歩と進んでいく。
揺れる銀の輿には、紅の打掛に羽衣を模した薄衣を重ねた少女がちんまりと座っている。長い黒髪を元結いにし、金の小冠を被った姿は巫女のようだ。少女は後ろ手に縛られ、ややうつむいたまま身じろぎひとつしない。
「あれが、不死の妙薬?」「子供ではありませんか」「黄大亨がでたらめで持ち込んだわけがない」「ただの娘ではありますまい」「そういう演出では?」
戸惑い、猜疑、期待――いまここにいる三百余の人間のそれぞれの思惑の混ざった視線を受けた金蓮は、不意に頭を上げて黄金栄を見据えた。それから会場にぐるりと視線を巡らせた。
少女の、朱とも金とも知れぬ美しい光彩の瞳を目の当たりにした人々が声を上げ、あるいは逸らし、逆に魅了されるのを、少女は冷ややかに見下ろしていた。
金蓮を乗せた銀の輿は壇下に置かれ、担いでいた男たちが膝を突いて頭を下げた。
「ようこそ、我が祝宴へ。
黄金栄の呼びかけに、金蓮がゆっくりと顔を上げる。
「実に大層な呼び名じゃ。もしわしが
金蓮は先ほどのまでの萎れた様子をかなぐり捨てて、いつも通りの傲慢さで挑発した。
会場の空気がすっと冷える中、野分は思わず大きなため息を吐きそうになり、ぐっと頬の筋肉に力を入れた。
挑発された当人も頬をひくつかせたが、取り繕うように愛想の良い笑顔を浮かべた。
「これは失礼を申し上げました、蚕花娘子」
黄金栄が気取った一礼をすると壇を降り、金蓮に近づく。口だけの、いたいけな少女と見て取ったのか、黄金栄が使者風の男に命じて金蓮の縄を解かせた。
その時、黄金栄の足下に何かが転がり込むのが見えた。細長い円筒状には導火線がついており、その先が赤くなっているのを野分の目が捉えた。
「
異常を察知した護衛が黄金栄を庇うように前に出ると、金蓮から引き剥がすように遠ざけた。その時にはすでに円筒から煙が吐き出され、興味津々だった人垣が驚愕の声と共に崩れ始めていた。
「馬鹿者! わしより蚕花を守らんか!」
黄金栄の罵声が響き、彼に忠実な部下の数名は金蓮に向き直った。
(金蓮を取り戻すのなら、今しかない!)
野分は勢いよく中央へ踏み出す。慣れない軍服の裾を翻し、軍刀を引き抜く動作で黄金栄の護衛の一人を斬り、血飛沫が上がった。
「貴様!」
野分に向かって銃を構えた男の懐に飛び込んで、柄で顎を突き上げると、男の放った鉛玉が天井のシャンデリアを撃ち抜く。クリスタルの破片と共に悲鳴が飛び散った。
発煙筒は一本ではなく、会場のあちこちから煙が上がっており、たちまち視界が悪くなる。野分が煙を突っ切って金蓮の元に駆け寄ると、側に大きな人影があった。
黄金栄の一味か。野分が一太刀浴びせる。間合いもタイミングも完璧だった。相手が斬られて倒れるだろうと思っていたら、予想に反して、堅い柄のようなものでしっかりと受け止められた。
「――!?」
驚いて相手を見やると、武将風の格好をした雲雕と目線がかち合った。彼もまた目を丸くしたが、状況を察するのも早かった。
「行け!」
雲雕に促された野分は金蓮を抱え上げ、それを見た雲雕が獣のように咆哮を上げて大刀を振り回す。こうなると迂闊な者は近寄れまい。
会場を離れようとした野分たちの行く手を、武装した集団が雪崩れ込んで遮った。
(公董局の連中か!)
身構えた野分だったが、様子がおかしい。その集団は全員顔を布で覆い、制服ではなく長袍や中山服を身につけていた。
中心にいた男が一歩進み出ると、高く小銃をかかげ「
「正気か!?」
このまま長居すれば野分も巻き込まれるだろう。金蓮を抱え、別の出口を探ろうにも、ホールにはすでに煙が充満しており、見つけるのは容易ではなかった。
「ええい、何をしている! 蚕花を追え!!」
黄金栄が喚き、それに応えるように背後で発砲音がした。恐らく野分を狙ったものだが、視界が悪く弾は外れた。流れ弾に当たったらしい誰かの悲鳴を背に、ようやくホールを抜けた。
しかし、追手の次は謎の暴徒が行く手を阻み、野分は思わず舌打ちをする。金蓮を抱えたままで、どこまで戦えるものか。
「おぬし、ずいぶん奇異な格好をしておるの」
当のお姫様はのんきなことを言う。成り行き上、着ることになっただけだが、それを説明している暇はない。
躍りかかってくる暴徒たちの攻撃を躱し、受け流す。防戦一方できりがない。別の道を探すかと思案していたところに、颯爽と現れたのは雲雕だった。
「
大刀で敵をなぎ払う様は、格好とも相まって武侠小説の一節を見るかのよう。彼の部下や天籟も続いて加勢する。
それでもなお数は先方のほうが多いが、ここにいるのは日々嫦鬼退治に明け暮れている精鋭ばかりだ。敵わないと見て取ったのか、逃げるように退却していった。
野分はこれ幸い、と金蓮を天籟に預けると、動きにくい軍服の上着を脱ぎ、金蓮に被せた。素顔を晒しているよりはましだろう。当の少女は不満そうだったが無視した。
「李先生はどうした」
軍服の下に忍ばせていた二十六年式を取り出しつつ天籟に尋ねると、青年は「無事です」と言葉少なに答えた。
咄嗟のことで、ベネディクトの安否を気にかける余裕はなかったが、天籟がそういうのなら無事だろう。なんとなく、ベネディクトなら上手く立ち回りそうな雰囲気もある。
いったんは退けたものの、すぐに新手がやってくるだろう。野分たちは屋敷の出口を目指して駆けだした。
「まさか、香幇の面子が勢揃いしているとはな」
角から姿を見せた追っ手の足を撃ち抜きながら野分がこぼすと、雲雕もまた柄で相手の鳩尾を突いて沈めつつ呵々と笑った。
「おれたちは風生たちがいてもおかしくないと考えてたぜ。鼻を明かしてやれたか?」
次々と襲ってくる相手をいなしつつ、一行はひとまず屋敷を出た。振り返れば大庁の辺りから煙が立ち上っているのが見える。
山梔花園はカントリーハウスを模した屋敷と、それを囲む広々とした園林で成っている。先ほどまで談笑していた招待客たちが、屋敷から出る煙を指さしながら、火事だと叫び、逃げ惑う。
「
まるで雲雕たちがやってくるのを待っていたかのようなタイミングで小慈が現れた。
「一体どうなってるんです!? 黄の取り巻きはともかく、妙な連中まで乗り込んできやしたぜ!」
「さっぱりわからん。それより雅文はどうしたんだ? 合流するはずだっただろう」
「それが、見失っちまって……」
小慈の返事に雲雕の顔が曇る。その時、背後から「あいつらだ!」「追え! 蚕花以外は殺せ!」という声があがり、こちらに向かって発砲する。野分が応戦したが多勢に無勢だ。
「風先生、
こんな時でも至極冷静な天籟に促され、一行は逃げる招待客に紛れて門扉を目指す。
「風生、俺たちは雅文を探す。お前たちはこのまま山梔花園を出ろ」
「手伝えたら良かったんだが」
「この間助けてもらったからな、これで貸し借りなしだ」
雲雕はにっと笑うと「あとはまかせろ!」と吠え、飛び出す。
突然反転してきた香幇の面子に、黄の手下たちが一瞬虚を突かれたように立ち止まった。それを見逃すような雲雕たちではない。正面突破をしかけ、追っ手数名を打ち倒すと、まるで挑発するように屋敷の方へと駆けだした。
気の短い黄金栄の部下もまた、挑発を無視できるような気性ではなかった。奴らを追え、と金切り声で命じる声に応じて、半数が香幇の追撃に回った。
恐らく、わざと引きつけてくれたのだろう。内心で雲雕らの厚意に感謝する。
「まったく、しつこい連中じゃの」
天籟に抱えられた金蓮がうんざりとした様子で愚痴をこぼす。それには野分も同意なのだが、彼女の緊張感のなさには少しいらだった。
「お前の術でなんとかならへんのか!?」
「人を救うはわしの業じゃが、人を傷つけるは御法度よ。張道士はどうかの?」
「私ですか?」
急に金蓮に話を振られ、天籟は少し困ったように眉を下げたが、すぐには否定せず、考える顔つきになった。
「何か策があるのか!?」
「私は仙ではないので、過度な期待はなさいませんよう。公主をお願いします。お二方はこのまま正門を目指してください」
天籟から少女を受け取ると、彼は音もなく闇に消えるように姿を消した。
野分がちらりと背後を確認すると、追ってきているのは五名ほど。だいぶ減ったが、一人で相手をするには厳しい。こうも人がいては思うように獲物が振るえない。
ようやく正門が目に入った。客たちの車や馬車が次々と出発していく中、突如として閃光が弾け、轟音がつんざく。
甲高い悲鳴と共にその場にいた人々が身を伏せる。爆弾を投げ込まれたのかと思ったが、その正体は雷だった。正面近くの李子の木に直撃し、派手な炎が舞い上がる。
空は晴れ渡っており、雨の匂いもしない。自然現象にしては不自然なことに、同じ場所に二発目の閃光が散り、轟音が鳴る。
どう見ても人為的でない事態に、野分の足が竦む。今まで逃げ惑っていた客たちもその場にへたり込み、祈りを唱える声が聞こえた。追っ手たちの顔にも怯えの色が差すのが、野分の目にもはっきりとわかった。
「――天罰ぞ」
静まりかえった場に、金蓮の凜とした声が響いた。少女は自らを覆い隠していた軍服の上着を取り払い、顔を露わにする。
薄絹を重ねた衣と金の天冠の少女は、朱金の瞳を煌めかせ、厳かな仕草で空いた地面の一点を指さす。その瞬間、狙い違わず稲妻が地を穿った。
野分はそこでようやく張天籟の仕掛けだと察したが、人々の目には金蓮が雷を意のままに操ったように映っただろう。
「我が雷に撃たれたくなくば、去ね――!」
少女の声に応じて、別の李子の木に雷が落ちる。李子が派手に燃え落ちて倒れるのを目の当たりして、平静を保てる者はいなかった。
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