第5話 夜中に再試験は行われる

 入学を明日に控えた僕は、寝るにはまだ早いと思ったけれど、明日のために早々に布団へと潜り込んだ。でも明日のことを考えると寝ることなんてできない。


 案の定、布団の中で、もぞもぞと寝返りを繰り返していた。しばらくすると枕元に置いたスマホがブーっと振動音をたてて光った。寝転がりながらスマホ画面を確認すると非通知の文字。不審に思ったけれど、眠れない僕はボタンを『通話』のほうへ無意識にスライドさせていた。


「もしもし」

『もしもし、ハヤトさんのお電話番号で間違いありませんか?』

「あ、はい」


 電話の相手は丁寧な言葉遣いで、声もはっきりとして聞き取りやすい。ただ声の感じからすると大人というよりも、子供の声のような気がした。


『夜分遅くにすいません。明日の入学のことで緊急に皆さんにご連絡をしていまして、じつは当方の手違いにより、大変申し訳ないのですが、今から再試験をさせていただきます』

「さ、再試験?」


 再試験の言葉に驚いて、寝っ転がって電話をしていた僕は飛び起きた。すると窓からはノックする音が聞こえた。


『試験官がそちらに参りますので、あとは彼の指示に従ってください。ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします』


 電話の相手は、それだけ言うと電話を切った。スマホからはプー、プー音しか聞こえない。僕はしばらく途方にくれた。


 ドンドンドン。


 窓を叩く音に気づいて、僕は布団から這い出し、カーテンを開けた。するとそこには一人の少年が立っていた。僕と同じか、もしくは年下に見える。彼の特徴的なオレンジ色の髪はマッシュルームカット。前髪が長くて目は見えない。その代わりに口元は微笑んでいるのか、弓なりにあがっている。フードのついている上着を着て、両手をポケットに突っ込んでいた。上着の胸あたりには、『試験官15』と刺繍されている。


(え、この人が試験官?)


「早くあけろ」と窓越しに声が聞こえ、僕は急いで窓の鍵を開け、ガラガラを窓を引いて開けた。そして、少年は胸の刺繍を親指で示して「俺はこれだ」と言った。


「電話があっただろ? そういうことだ。早く外へ出ろ」


(そういうことって、言われても……)


 そして、僕はパジャマを着替えようとすると、「寝巻きのままでいい。時間は取らせない、早くしろ。こっちはまだあと何件か回らなきゃならん」と急かされた。


 先程の電話の相手とは全くの正反対だと僕は思った。言葉遣いは粗く、不親切。それに少年には似つかわしくない古めかしい言い方。しかもなぜ再試験になったのかの説明もない。ただ明日の入学が無駄になってしまうことだけは避けたかった僕は、相手に言われるがまま指示に従った。僕はパジャマのまま窓から外へ出て、試験官の後について行った。


 試験は主に体力テストだった。筆記がなくて助かったけれど、体力テストで入学が取り消されることなんてあるのだろうかと僕は思った。


「まずはハンドボール投げだ」


 夜更けの河原でハンドボールを投げる僕。あたりは暗くてよく見えない。適当に投げると、試験官は距離を測りに行った。


(いや、これ、全然見えないんだけど……)


「次は100メートル走。あの橋からここまで走ってこい」

「え、あの橋って、100メートル以上あるような——」

「文句でもあるのか?」

「いえ、ないです」


 橋まで行き、元いた場所——試験官のいる場所——まで全力疾走した。途中、石につまづき転びそうになった。真夜中の河原でなにやってんだと何度も思ったが、入学取り消しになるのだけは避けたい。


「よし、次は立ち幅跳びだ。ここから飛んでみろ」

「え? これって川ですよ」

「だから、なんだ。出来ないのか? なら棄権だな」

「いえ、やります!」


 僕は助走をつけて川の直前でジャンプした。夜の川は冷たい。しかも着地した瞬間に川砂利に足をとられ滑って尻餅をついた。おかげでパジャマはびしょ濡れだ。この後も次から次へと与えられる理不尽とも思える課題を無心でこなしていった。


 体力テストってこんなにキツかったっけと思いながら、僕は息をはぁはぁさせながら砂利の上に座りこんだ。


(もう無理……)


「ご苦労だったな。終わりだ」

「え、あ、本当に。よかったぁ」

「結果は明日、会場で発表される」

「え、そうですか……あの、もし合格じゃなければ、どうなります?」


 僕は試験官を見上げて聞いてみた。彼は手に持っているファイルにペンを走らせながら、僕のほうを見ずに答えた。


「不合格なら入学取り消し。また来年挑戦すればいい」

「まぁ、たしかに……」


 そして僕たちは河原で別れた。彼はそのまま別の受験生の元へと行き、僕は家へ帰った。とりあえずパジャマを着替えて布団にはいると僕は速攻で寝た。再試験を知らせる電話が来る前、あんなに寝付けなかったのに。それに爆睡したおかげで、翌朝起きたとき体はスッキリだった。ちょっとだけ筋肉痛が残っているが大したことない。でも合否が分からないまま入学の日をむかえてしまった。体とは対照的に心はスッキリしなかった。


 会場はすでに大勢が集まっていた。受付を済ませると、番号を呼ばれるから椅子で待つよう言われた。みんな昨晩、再試験をしたのだろうかと、思わず想像してしまう。そんなことを思っていると、出口付近で、なにやら揉めているのか辺りがざわついている。


「昨晩の再試験はなんなんだ! もう一度受けさせろ」


 男性の声が会場に響いた。隣に座っていた女性が「あら、落ちちゃったのね」と独り言のように呟いた。「でもまた再チャレンジできるじゃない」と言って僕のほうを見てニッコと笑った。僕はドキッとして「そ、そうですよね」と答えた。


 たしかに来年、再チャレンジできるとはいえ、一年待たなければならない。僕も落ちていたら、と思うと不安になってきた。


「8810さん、いらっしゃいますか?」

「あ、はい!」


 僕は椅子から立ち上がって返事をした。すると隣にいる女性が、「楽しんで来てね」と僕に言った。「ありがとうございます。あなたも」と言いながら僕はお辞儀をして名前を呼ばれたほうへと進んでいった。


「810さん、準備はいいですか?」

「あ、はい」

「えーっと、810さんは無事合格ですね」

「本当に!」

「ええ、おめでとうございます。これから810さんを新しい人生へと送り出します。辛いこともあると思いますが、昨晩の再試験を合格できたあなたなら大丈夫でしょう。どうか悔いのない人生を送ってくださいね」

「はい、ありがとうございます。それと、試験官の15さんにもよろしく伝えてください」

「分かりました。15にも伝えておきます。それでは810さん、行ってらっしゃいませ!」


 僕は静かに目を閉じた。

 そう、この入学は、僕の新たな人生へ入るための入学だ。



 <了>

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