第12話 祖母の見舞いと鈴木先生①
駅に降り立つと、行く人来る人、どこもかしこも人だらけである。
信号を渡り、コンビニエンスストアの前を左に曲がる。そこからは、とにかく真っ直ぐに歩く。行き交う人は、緩やかに少なくなっていく。
十五分くらい歩くと、徐々に、要塞のような大きな病院が見えてくる。T記念病院で、わたしが初期研修を受けたところである。ここに、わたしの祖母が入院している。
わたしは、正門をくぐり、中に入った。受け付けは、会計待ちの人たちで、ごった返していた。わたしは、面会の許可証をもらい、それを首からかけた。
エレベーターに乗り、五階のボタンを押した。わたし以外に、三人の人が乗っていた。エレベーターが上昇しだすと、わたしたちは皆、数字が2…3…4…と移り行くのを注視した。ほかに、視線をやる場がないのである。
ドアが開き、廊下を少し歩くと、病棟受付がある。そこでわたしは、許可証を見せ、紙面に自分の名前と、『山田クキ』という祖母の名前を書いた。
「失礼しまーす」
祖母のいる、病室に入った。廊下側の、西側のベッドが祖母の居場所である。
祖母はそこで、鼻にマーゲンチューブを入れた状態で、口を半開きのまま、仰向けに臥床している。
反対側のベッドにも、高齢の女性が入院している。そこには、すでに先客としての見舞いが来ている。見舞いの女性とは、ここで何度も顔を合わせているうちに、挨拶を交わすようになった。なんとなく、戦友意識があるのである。
「こんにちは」
先客が言う。
「あ、こんにちは」
わたしは、祖母の隣に椅子を持ってきて座りながら、言う。
「山田さん、お孫さん来てくれて、うれしそう」
「そうですかね。なんか、ちゃんとしたご飯食べてるの、とか思われてそう」
わたしは、祖母の顔を、まじまじと見る。実習で見た脳のように皺だらけで、目は開いているが天井を凝視し動かず、時に思い出したようにまばたきをする。マーゲンチューブの先には、ほんの少し経管栄養の残りが付着している。
「おばあちゃーん」
わたしは、祖母の耳元で声かけする。
「こんにちは。夢子だよ。今日は、令和〇年十一月二十一日日曜で、ここは、B記念病院だよ」
見当識というものに、もはやあまり意味がないとは思ったが、わたしは、面会の時には必ず日付と場所を言うようにしていた。
返答はない。祖母は、かわらず天井を見つめたままである。
祖母の、小さな胸が、呼吸のたびに、わずかに膨らんだり、縮んだりした。自発呼吸は保たれている。まだ、酸素を含ませた血液が、全身に行き届けられている。
わたしは、祖母の手を、そっと握る。脳梗塞発症から、二年に渡る長期臥床で、痩せて筋肉は減り、その手は小さく骨ばっていたが、生命としての温もりがある。
わたしが冷え性というのもあり、こういう状態の祖母の手のほうが、わたしの手よりも温かいのである。
わたしは、祖母の顔をじっと見ていると、なんとなく、祖母が要所で話してくれていた、その生涯の一端を思い出す。
<祖母の障害 あらまし
S県で同胞5名の第2子長女として生まれた。幼少期に戦争を経験した。出征した親族のうち、一人は戦地で亡くなり、一人は負傷し帰還して療養していたところを、原子爆弾投下で亡くなった。医師の家系で、男の兄弟は医学部に進学し、自らは薬学部に進学した。大学卒業後、二年ほど薬剤師として働いた後、祖父の山田信夫と結婚して専業主婦となった。祖父は外科医で、腕はよかったが、放蕩者でもあった。当直もあるうえに遊び回りもするので、家にはほとんど寄り付かなかった。二十七歳の時に、長男を生んだ。それが、わたしの父、山田英世である。二人目も欲しいと望んだが、恵まれなかった。長男は、高校入学の頃に非行の傾向が出て、何度か警察に保護されたこともあった。卒業するころには、一連の反抗期も終え、医学部受験のために勉強をしたが、四浪しても合格できず、結局生物学部に進学し、卒後は医療機器メーカーに就職した。直後に祖父が、手術中に心筋梗塞で倒れ、そのまま亡くなった。祖母は、三十五年ぶりにパート契約で薬剤師として勤めた。まじめな働きぶりで、六十八歳まで勤め上げた。長男は職場の同僚と結婚し、孫が生まれていた。しかし気楽な老後の独り暮らしは長くは続かず、ある時長男夫婦はほぼ同時に失踪した。長男から、祖母にだけ何らかの伝達があったようである(詳細は不明)。その後、孫のもとに赴き、同居し面倒を見た。祖母は、真面目にまっとうに、家事をこなした。たまに泣く孫の手を握ったりもした。年に一度の健診は必ず受け、健康で、高齢ながら薬いらずだった。しかし、孫が大学を卒業し、初期研修を終えて翌年に、脳梗塞で倒れた。帰宅した孫が発見しすぐに救急搬送され、一命はとりとめたものの、高次脳機能障害が残り、喋ることもかなわず寝たきりとなった。
以上>
わたしは、脳内で高速で一気に回想したので、疲れてひとつ息をついた。その間にもわたしは祖母の手を握り続けており、その触感を確かめる。
祖母の生涯に思いをはせるとき、ただひとつ思うこと。
人間の人生と生活ってやつは、なんて大変なんだろう。
ふと我に返って、と同時に、わたしは口渇を自覚した。病院の空気はとても乾燥しているのだ。
「おばあちゃん、喉かわいたから、お茶買ってくる」
わたしは、握っていたその手を放し、席を立った。
エレベーターで一階まで戻り、自動販売機に小銭を入れた。ボタンを押して、出てきたペットボトルを取ろうと腰をかがめたとき、廊下の向こうから、見知った顔が見えた。
それは、鈴木先生だった。
そして、鈴木先生の隣には、病衣を着た小柄な女性が並んでいた。
二人は、ゆっくりとした足取りで、廊下を歩いていた。鈴木先生は、わたしに気が付くと、一瞬目を見開き、しかる後に、ばつが悪そうに表情を曇らせた。
「よお。奇遇だな」
鈴木先生が、普段よりも抑揚のないトーンで声をかけてきた。だいぶ頑張って冷静を装っているな、と思った。
「ええ、奇遇ですね」
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