第10話 亜斗夢の期待する心

「て、いうことが、この間の晩にあってさ」


 わたしは、亜斗夢と一緒に、モールのおもちゃ売り場でカードのパックを物色しながら、新月の蜘蛛の件を話した。


「そいつは、災難だったね」


 亜斗夢は、無関心そうに抑揚のない声で言って、カードを三袋、棚から取り出した。


「毎回、どれを買おうか本気で悩む。透視能力が欲しい。透視能力を与えてもらえるなら、左目を失ってもいい」

「独眼のサイコか。少年漫画見たい。それもすごいありがちな」

「カードをサーチする時だけだよ。他は、見たくないものばかりだ」


 亜斗夢が悩んだ末に、一つに決めて買った。わたしも、亜斗夢と同じ数だけ買う、と決めているので、一袋買った。

 わたしたちは、店の前にある椅子に座り、買ったばかりのカード袋の封を開けた。


「雑魚が出た」

「わたしも」

「夢姉の見せて」


 わたしは、カード五枚を亜斗夢に渡した。


「これなんかは、デッキの性質次第では使えるけどね。相手の山札にもトラッシュにも干渉するのは珍しい。ダントツでシェア率が高いデッキがあるから、その対策でできたカードかな」

「わたしは火力で押してくのだ好きなんだ。そういう、ひとひねりあるのは、ちょっと苦手」

「火力で押すなんて考えてたら、上は青天井だよ。特に資金力の乏しいぼくみたいなやつにはね。意表を突くような変化をつけないといけない。まあ、資金力については、夢姉は気にしなくていいんだろうけど」

「そこまで余裕はないけどね」

「医者なのに?」

「大学院生だし、学生と二足のわらじだからさ。当直とか外来のバイト代も、あんまり手元には残らない」

「そんなに何に使うの?」

「おばあちゃんの入院費。これが、ばかにならなくってさ」

「夢姉が、なんでおばあちゃんの入院費を払うの?親は?」

「あれ、言ってなかったっけ?うちの親、二人とも失踪しててさ。わたし、高校からはおばあちゃんと二人暮らしだったんだよね」

 

 亜斗夢は黙り込んで、自分のカードをシャッフルしては開き、シャッフルしては開き、を繰り返した。


「いらないこと聞いて、悪かったよ」

「べつにー。ぜんぜん気にしてないから。両親は、たしかに謎なんだけど、おばあちゃんは優しかったしね。家事の天才で、おばあちゃんと二人暮らしのときは、わたし、なにも家事を学ばなかった。おばあちゃんが全部やってくれたからね」

「……自分ばかりが、不幸面するのは、間違ってるよな。間違ってるのは、わかってるんだけど……」


 亜斗夢が、再び沈黙の海にしずんだ。

 わたしは、カードケースを取り出して、今日購入したカードを、一枚一枚分類しながら入れていった。


「亜斗夢くらいの年齢で、他人のことを慮ってたら、そっちの方が心配だよ。めいっぱい自己中心的でいるべき。不幸だなと思ったら、めいっぱい、世界一の不幸面でいたらいいよ。わたしは、ポジティブでいこうよ、ていうノリが、あまり好きじゃないんだよね。嫌だな、って思ったら、嫌だなっていう、不快の井戸の底に沈みこんで、十分にいじけて、そろそろ昇ってみるか、て思えたときに、井戸から出てくりゃいいと思うし」

「夢姉も、そういう時はあるの?」

「あるよ。あるある。そりゃ、人間だからね。でも、ほら、三十路も前になるとさ。どこか、忘れっぽくなるのよね。同じ感情状態を保てないという。否応なしに切り替わっちゃって、その前に経験した嫌な感情も、良い感情も、あまり思い出せないんだ。生々しい浮き沈みがないのは、どこか寂しくもあるんだけど、でも、仕事をする分にはメリットもあってね。あんまり自分のコンディションに振り回されずに、目の前のことに集中するから。まあ、年とった、てだけのことかもしれないけど」

 

 わたしは少しわざとらしく、笑って見せた。


「ぼくも早く、そういう境地に達したい」

「そう生き急ぐでないよ。少年なんだから、めいっぱい少年時代を経験したら、少年」


 わたしたちは席を立ち、モールの廊下を歩いた。目的もなく、人ごみの中で、ゆっくりと。三階の廊下を、行ったり来たりした。


「夢姉は、どうして精神科医になろうと思ったの?」

「それは、自分でも言葉にするのが難しいことでさ。病院実習で、いろんな科を回るんだけど、精神科病棟を回った時に、ここかな、ってなんとなく思ったんだ。自分にとって、引力を感ずるというか」

「引力?」

「引力としか表現できないよね。こういうところで、この人たちと関わることが、生業になりそうだな、て予感がしたの。能動的に、これやりたい、って思うよりも、なんとはなしに、引っ張られていく感じ。もちろん、わたしがそう感ずるのには、わたし自身の資質とか、育った環境とか、影響があるんだろうけどね」

「夢姉の仕事ぶりに、興味があるよ。診察してるところとか、皆目想像がつかない」

「そうだね。わたし自身も、ぴんときてないんだ」


 亜斗夢は、少し微笑んだ。


「亜斗夢は、将来なにになりたいの?」

「そうだな……」

 

 亜斗夢はしばし考えた。


「あらゆるものから絶望的な裏切りを受けても、ひと息で許すことができる、そういう人間になりたい」


 わたしは、亜斗夢の顔を見た。


「壮大な夢だね。わたしには無理だな」

「母親も父親も、お互い許すことができないから、いつも苦い顔をしてた。そして、自分もね。許せない人間の許せない出来事が、いつも頭に張り付いてる。他人を許せない気持ちって、すごい消耗するんだよ。心に重しを乗っけられて、それがだんだん重くなっていくみたいな。いつもなにか、モヤモヤするんだ。ひと息で許すことができたら、もう少し楽な気持ちになれるかな」

「なるほどね……。期待をするからこそ、それが実現されないとき、裏切られたと感じて、許せないんだろうね」

「誰にも何も期待したくない」

「でも、何に対しても期待しない状態って、それって生きているって言えるのかな。なんか、死、みたいにも思えるけど」

「死?」


 亜斗夢が、顔をしかめながら、こちらに目を向けた。


「誰かに重しを乗っけたり、乗っけられたり、ていうのが人間関係だからさ。人間は、つきつめて関係性の生き物だから、それが全くない状態って、生きてないんじゃないかと思って。つまんない、些細な出来事で一喜一憂して、それは、人間として生きている証拠でもあるような気がするし」

「んじゃあ、救われないじゃん」

「どうかな。何をもって、救われるとするかにもよるけど。ひとつ言えるのは、時間は偉大な味方だ、ってことだよ。否応なしに、時間はいろんなものを霧散させていくものだしさ。その、時間の偉大さを体感的にわかっている人が、寛容な人、なのかも」

「時間か……」

「さいわい、亜斗夢にはまだまだ、時間がある」

「ありすぎて、気が滅入るんだよね」


 わたしたちは、ゲームセンターの前で、足を止めた。


「ここで少し遊ぼう」

「さっきカード買ったから、もうお金ないよ」

「じゃあ、わたしがクレーンゲームやるから、亜斗夢はやり方教えて。どこでボタン押せ、とか。わたし、人生で一回も景品とったことないの」

「一回も?そりゃひどい。期待しないほうがよさそう。期待しないで済むものが、身近にあった」


 わたしは、亜斗夢の指南のもとで四苦八苦しながら、二千四百円を投資して、手のひらサイズの、ゲームのキャラクターのぬいぐるみをゲットした。

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