第7話 鈴木先生との電話

 その夜、わたしは部屋を暗くして、映画を見ながらビールを飲み、合間にポテトチップスを食べていた。

 映画は二十年以上前に見た、モーツァルトを題材にしたものだ。昨日、レンタルショップに行ってDVDを借りた。店内はがらんと整理されつつあり、人はまばらで、おそらく近々閉店の予感がした。近所のレンタルショップはこの五年で軒並み閉店しゼロということになる。時代はストリーミングなのだが、自分はぎりぎりまで旧式に留まるタイプの人間だった。

 場面が切り替わるたびに、チカチカとテレビの青白い光が、わたしを照らした。わたしは、画面に見入りながら、バリバリとポテトチップスを咀嚼した。手が塩と油にまみれていた。

 テーブルの上に置いてある、スマートフォンが着信を知らせた。画面を見ると、鈴木先生からだった。わたしは、映画を一時停止し、手をティシュで拭ってから、通話ボタンを押した。


「もしもし」

「もしもし?山田か?」

「はい」

「今、こっちに電話かけたか?」

「かけてないです」

「そうか……。お前から電話かかかってきたと思ったんだがな」

「なんで、わたしだと思ったんですか?」

「電話帳に登録している人それぞれに、違う着信音を設定しているから。山田の音が鳴ったと思ったんだがな。気のせいか」

「なんでそんな、面倒な設定にしてるんですか?」

「着信音で誰かわかったら、心構えができるじゃないか。わざわざ画面を見なくても、出たくない電話はとらずに済む。病院からとかな」

「はあ、そうですか」


 わたしは、再びポテトチップスを口に放り、ビールを飲み下した。


「今、何している?やたらとバリバリ聞こえるが」

「ビール飲んで、ポテトチップス食べて、映画見てます」

「一人でか?」

「一人で」

「そいつは、素敵な週末の夜だな」


 わたしの脳に、いら立ちの芽が生えた。


「そっちは何してんですか?」

「当直だよ。今月は七回目だ」

「そいつは、素敵な週末の夜ですね」

「そうだな。当直は嫌いじゃない。呼ばれない時は、将棋の配信を見ている」

「あの、切っていいですか。映画の途中なんで」

「わかった。すまなかったな。ついでに、一つだけ言っておきたい。院長からの伝言だ。『うちの常勤になる気はないか?』だとさ」

「考えときます」

「だめかー。その返事で来たやついないからな」


 電話の向こうで、鈴木先生が笑った。


「再来年は、大学院も卒業だろ。卒後どうするか考えてるのか?」

「何も考えてないです。その日暮らしなので」

「院長はお前を買っている。悪い条件は提示しないと思うがな。あの人は、怖い人だが、人を見る目は確かだ。俺は信用している」

「ありがたい話ですが、他に適任者がいると思います」

「腰を据えようとしないのは、責任を持ちたくないからか?」

「そうです。責任なんて、持ちたくもないですね」


 わたしは、きっぱりと言ったが、本心ではない気がした。


「背負うものがあるから見える風景もある。モラトリアムのままでも技術は身につけられるが、肝が据わらない。この仕事は、覚悟がなければ、突破できない壁がある」

「聞き間違いで電話してきて説教ですか?」

「そうだな。すまない。つまらない話をした。じゃ、また」

「平和な夜だといいですね」


 わたしは、通話を切った。

 無性に腹立たしく、わたしは当てつけにようにビールをグビグビ飲み干した。そして、いつの間にかソファで眠ってしまっていた。

 猛烈な頭痛で起きた時には、電話を切った後の記憶がすっぽり抜けていた。

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