第44話 桃菓糖

「どういうお菓子?」


 風流に尋ねられ、充は六年前の記憶をさかのぼる。


「えっと、確か……桃菓糖とうかとうって名前だったと思う。乾燥させた桃に、粉砂糖がまぶしてあるんだよ。知っている?」


 風流はふるふると首を横に振る。肩よりも少し長い黒髪が、さらりとれた。


「いいえ、知らないわ。そもそも母が桃をけがちだったから、知らないというのもあるかもしれない」


「どうして?」


 充は桃を避ける理由が分からず小首をかたむけた。一方の風流は、少し驚いた表情を浮かべる。


「あら、充が知らないなんて以外ね。桃には邪気じゃき払いの効果があるのよ。だから妖怪はけがち。でも、私は特に桃を見ても食べても何とも思わないから、半妖には関係ないのかもしれないけど」


 妖関係だから知っていると思ったのか、それとも薬の関係で分かっていると思ったのか。どちらにせよ、再び「葵堂の人間なら知っているはず」と思われている話に出合ってしまい、充は小さくため息をついた。


「そうなんだ。知らなかった……」


 充の様子に気づかなかったのか、風流はそのまま「桃菓糖」の話を続ける。


「じゃあ、そのお菓子をよく食べていたのね?」


 彼女に問われ、充は気を取り直し、顔の前で手を振って見せた。


「いや、そこまで頻繁ひんぱんでもないよ。半年の間に二回か、三回……あったかないかくらい。その人も偶々たまたま葵堂の近くに来ただけって言っていたし、義父とうさんたちが買ってくることもなかったから、多分、よっぽど高価なお菓子なんだと思う。桃も砂糖も使われていたからね。でも、あんな上品なお菓子を初めて食べたものだから、とても印象に残っているんだ」


「桃ってそんなに高いの?」


 風流は不思議そうに尋ねる。


「高価だよ。知らないの?」


 彼女はこくりとうなずく。


「私が桃という果物くだもののことを知ったのは、ここに来てからなの。鷹山ようざんの裏手に、桃の木があってね。夏になると枝がたわわになるほどの実がなるの。茜に『鷹山にいるものは皆食べていいんだよ』って教えてもらって、以来夏になると桃を楽しみに食べるのよ。ここに住む私たちからすれば、当たり前の食べ物ね。だから桃が高価なものだなんて知らなかったわ」


 充は枝に沢山なる桃の木を思い浮かべてみる。

 だが、そのような豊作の木をこれまで見たことがないため、あまり上手く想像できなかった。


「へえ、そうなんだ」


「充も来年の夏になったら食べに来たらいいわ」


 沙羅のことが済めば、自分は鷹山に来ることもないと思っていただけに、風流が当たり前に言った言葉に対し、充は目をしばたたかせた。


「……いいの?」


 信じられないといった様子で聞いた充に、風流は「どうしてそんな顔をしているの?」と言わんばかりに、ふふっと笑った。


「いいに決まっているわ。充は鷹山には住んでいないけれど、ここの一員みたいなものじゃない。皆、歓迎すると思う」


「……そうかな?」


「そうよ」


 風流がはっきり断言したことに、充は胸が温かくなるのを感じる。

 自分の居場所がここに作られてきているのを感じ、住人である者に受け入れてもらえていることは、幼少期に己の居場所を失った充にとってとうといいことだった。


「ま、桃は食べても、桃菓糖というお菓子は、私には縁遠い話ね」


 両膝りょうひざを立て、頬杖ほおづえを付く風流に充は同意する。


「僕もそれっきりさ。そもそもどこに売っているかも分からないし」


 風流は「そっか」と呟いたあとに、ふと何かを思い出したような顔をした。

「どうかした?」と充が尋ねると、彼女は遠慮がちに聞く。


「……もしかして充があんな風に痛めつけられたのも、お兄さんがぬすんだのが桃だったから……?」


 鞭打ちのひどい罰を受けさせられたのは、確かに桃だったというのもあるのかもしれない。だが、側役の態度を見る限り、彼がやりたくてやったことかもしれないとも思う。今となってはよく分からない。


「さあ、それはよく分からない」


「そう……。ごめんなさいね。余計なことを聞いたわ」


 しんみりとした雰囲気になったので、風流が謝る。

 それに対し、充ははっとして首を横に振った。


「ううん、気にしないで。僕のほうこそ過去の話をすると、暗くなってしまって……」


「そんなのは当たり前のことよ。だから、ごめんなさい」


「もういいって。とにかく、話はだいぶれたけど、僕が葵堂にいるのは本当に偶然だったんだ」


 もう一度謝った風流にそういうと、風流は言葉を選びながら言った。


「……こんなことを言うのが合っているのか分からないけれど、本当の家族の元で暮らしていたときはとても大変そうだったから、充にとっては葵堂の養子になったのはよかったのかな……って、私は思うわ」


 本当の家族の元で、苦労しながらでも、共に助け合って生活できていたらそのほうがいい、と風流は思っているのだろう。

 彼女は鷹山での暮らしを当たり前に続けている。それでも母親が「自分を置いて行ったわけではない」と思っているところを見ると、きっと元の生活をしたいと思っているのかもしれない。


 そのため風流は、充が「ミツ」だったころにも思いをせ、気遣うように言ってくれたのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る