第43話 名前

     *


「これが、僕が葵家の養子になった顛末てんまつさ。本当に偶然だったんだ」


 充は、葵堂の養子になった経緯けいいをそう言って締めくくる。

 話を聞いていた風流は何と言っていいか分からない様子で、ようやく「……大変だったわね」と呟いた。


「……終わったことだよ」


 充は苦笑する。


 次兄に対する怒りは、この六年の間にだいぶ薄れた。それでも思い出せば、ちりっと焼け付くような痛みを感じる。


 何故自分は、次兄にあのような酷いことをされなければならなかったのか。

 それはいまだに分からない。振り返ってみても、次兄との関りが健全であったならよかったのにと思う一方で、もしそうであったなら充は葵堂の養子にはなっていなかった。


 人生何があるか分からないとはこのことである。


「私……自分が半妖だから生きにくいとか、世間に受け入れられないって思っていたけれど……、人同士の家族の中も複雑なのね。まさか兄が弟をおとめようとしたり、めようとしたりするとは思わなかったわ」


 風流がうつむきながら、ぽつりと呟いた。


「いるよ。悲しいことに、いるんだ」 


「充の二番目のお兄さんは、ひどいわね。話を聞いていて私も怒りたくなっちゃった。自分の罪を充に着せるなんて……。信じられない」


「それが僕の次兄だった人さ」


 充が諦めたように言うと、風流は顔を上げて小さくため息をつく。


「私の母は、娘である私を鷹山ようざんに置いて行ってしまったけれど、充のお兄さんほどではなかったわ。もちろん悲しかったけれどね。でも、母も辛かったことは分かるから」


「うん」


「それにね、私はまだ『捨てられた』とまでは思っていないの。本当に仕方なくてここに『置いていくしかなかった』って。……そう思うようにしている」


 風流は困ったように笑う。

 充はその気持ちが痛いほど分かった。


 自分を生んだ親に「捨てられた」となれば、己が生まれた理由が何なのか分からなくなってしまう。要らないものなのに、何故生んだのだ、と。


 充は修に養子として迎えてもらったからこそ、生きる意味を探すことができるようになったが、それ以前に本当の両親や兄弟が「ミツ」であったときの充のことを大切にしていてくれたら、それだけで家族の中にいることこそ「ミツ」の生きる意味であると思えたはずである。


 だから風流は、今でも母の存在を思うのだろう。

 自分の存在を肯定するために。


「うん。僕も風流の話を聞いている限り、君のお母さんは娘を捨てたわけじゃないと思うよ」


 充が同意すると、風流は優しく笑った。その名の通りに、美しい笑みだった。


「ありがとう」


「うん」


「そういえば充って、いつから『みつる』になったの? 元々は『ミツ』って名前だったわけでしょう?」


 小首をかしげる風流に、充は一口大ほど残っていた焼き芋を食べたあとに答えた。


「ああ、それは義父とうさんがつけてくれたんだよ。僕が『ミツ』って名前が好きじゃないって言っていたから、『ミツル』って名前にしてくれたんだ」


「そうなのね」


 充は白湯さゆを飲み、「うん」とうなずく。


「ただ、最初はどうして元の名前を残すんだろうって思ったよ。『ミツ』が嫌なのに、どうして『ミツル』なんだろうって」


「何か理由があるんでしょう?」


 にこにこと笑って風流が尋ねた。つられて充も笑う。


「ご明察。『ミツでいたときがあるから、今の君があるんだよ』って言われて。だから『ミツ』という音を残して、そこに『ル』をつけたんだって。漢字で書くと『充足』の『充』。葵堂での人生では、『満ち足りたものになりますように』ってそういう意味で付けてくれたみたい」


 風流は充の話を聞きながら、うん、うんとうなずいていた。


「素敵ね。それに、『ミツ』よりも『充』のほうがずっとあなたに合ってる」


「そうかな?」


「充」になってから名前の話をしたことが初めてだったので、対確認するように反射的に尋ねていた。

 すると風流は大きくうなずく。


「私はそう思う」


 自分のことではないのに自信満々に言ってくれるので、充は胸が温かくなるのを感じた。充自身は、自分の名前だった「ミツ」が入った名前が少しずつ気に入って、今では「充」という名前でよかったとさえ思うようになっている。だが、他人には聞いたことがなかったため、風流にも同意してもらえたことが、充にとって嬉しかった。


「ありがとう」


「いい名前を付けてもらえて良かったわね。でも、急に薬屋の養子になって、覚えることが沢山あったんじゃないの?」


 葵堂の養子になってからの苦労を尋ねられ、充はほのかに笑った。


「まあね。文字も初めて勉強したから大変だった。でも、すごく楽しいし、充実していたよ。あと、養子になったばかりのころかな。義父さんと義母さんの友達っていう人が、お菓子を持ってきてくれて。それで頑張ろうって思えたのもあるかな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る