第38話 修

「え……?」


 顔を上げると、葵は笑みの中に少し困ったような表情を浮かべている。


「私はちょっとお節介焼きなんです。——さ、体が冷えます。これに着替えて」


「ですが……」


「お代のことなら気にしなくて構いません。私の息子が着て古くなったものですし、薬売りをしながら、時々村の子にあげることがあるんですよ。世の中にはいろんな方がいますからね。持ちつ持たれつです。ですから、もらってください」


「じゃあ……有難く頂戴ちょうだいいたします」


 充が葵の顔色を伺いながら言うと、彼はぱっと表情を明るくした。


「ええ」


 充は葵が用意してくれた着物のそでに腕を通す。

 最初はごわごわとした肌触りだったが、体温で温まっていくと次第に柔らかくなっていく。充がこれまでに着たことがない着心地のいい着物だった。


「着られましたか?」


 葵は着替えているとことを見ないでいたらしい。

 充はそこまで気を使わなくともいいのに、と思いつつも「はい」と答える。振り向いた葵は、充を見るや否や「ちょうどいいですね。よかった」と安堵あんどした。


「あの……ありがとうございます」


「いいえ、どういたしまして。あ、そうだ」


 葵は何かを思い出したような顔をする。


「どうかしたんですか?」


「そういえば、自己紹介をしていなかったなと」


「『葵さん』、じゃないんですか?」


 充がきょとんとして尋ねる。使用人が「葵殿」と言っていたので、「葵」だと思っていたのだ。すると、彼はちょっと笑った。


「それは家の名です。薬屋の名前にもなっているので、取引している人たちからは『葵』と言われているんですよ」


 そして、葵は居住いすまいを正して言った。


「私は、薬屋葵堂の店主をしている、おさむと言います」


「オサムさん……?」


「はい」


 にこっと笑う修は、充に尋ねた。


「あなたのお名前は?」


「あ、えっと……ミツです」


「ミツ君。男の子にしてはめずしい名前ですね。何か理由でも?」


「大した理由はありません。僕、兄弟が沢山いて。上に兄が二人、姉が一人いるんですけど、男の中で三番目だから、『ミツ』なんです。数えるときに『みっつ』っていうでしょう。だから、『ミツ』です」


「そうでしたか」


 すると葵は左手をあごに当てて、考える仕草をする。どうしたのだろうと思っていると、「ところで、ミツ君」と名を呼ばれた。


「は、はい」


「私は薬の代金はいらないといいましたが、その代わり事情を聞く権利があると思うのです」


「事情……?」


 小首を傾げる充に、葵はうなずいた。


「あなたがどうして、あの部屋にいて鞭打ちをされていたのか、理由を知りたいのです」


「それは、言っても仕方ないことといいますか……」


「言いにくいことですか? もし、誰かに話されると困るというのであれば、私は誰にも話しませんよ。約束します」


 修はそう言って、右手の小指を差し出す。


「ゆびきりしましょう」


 真剣な眼差しで言われるので、充は慌てて首を横に振った。


「あ、あの……そこまでしなくても大丈夫です。修さんが誰かに言ってしまうなんて僕は思っていません。そうじゃなくて、僕の言うことを信じてもらえなんじゃないかって……、そう思って言ってもいいのか分からなくなっただけなんです」


 これまで自分の話してきたことを信じてもらえることがほどんとなかった充は、修に話したところで、信じてもらえないのではないかと思っていたのである。

 すると修は小首を傾げて真面目な顔で言った。


「そうなのですか? 私には、ミツ君が嘘をつく子には見えません」


「え?」


 どうしてそう思うんですか、と問う前に、修が説明してくれる。


「ミツ君を助け出したときの状況を見る限り、私には地主さまに仕える人物が、自己判断であなたに暴力を振るったとしか思えませんでした。集落の人たちが知っているかどうかは分かりませんが、『大人が子どもに鞭打ちのばつを与えることはしてはならない』とこの一帯の村では定められているのです。ですから、なおのことおかしな話なのです」


 充は修の言葉を聞きながら、くちびるみしめていた。

 次兄の罪を暴こうとしたにもかかわらず、地主の側役は充を犯人に仕立て上げ、罰として鞭打ちに処した。

 しかしたとえ充を犯人に仕立て上げたとしても、鞭打ちをされる必要は全くなかったわけである。

 充の胸の奥から、わなわなと怒りがこみ上げてきていた。


「修さん、今日あったことを全てお話します」


 充は覚悟を決めると、これまでの経緯と家族のこと、そして次兄のことを語ったのである。

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