第28話 茜が鷹山に来た理由

「そういうものだよ」


 茜が平然と言う。

 人間と妖怪が、人間と鬼が分かりあうことなどありえない。それが自然の流れなのだというかのように、みょうにあっさりした言い方だった。


 茜は白い息をはき出すと、くもり空を見上げる。


「鬼も妖怪も、人間にとっては得体のしれないものさ。そして私たちと人は、距離を置くべきもの。だから、鷹山ようざん旭村あさひむらの者たちが入らないように気を付けている。問題が起きないようにね。……これは前にも話したな」


「ごめん。最初のころの僕の態度、よくなかったよね……」


 充は、六年前に旭村あさひむらに来たときから、「鷹山には妖がいるから気を付けなさい」と村の人たちに言われていた。


 そのため二か月前、薬屋葵堂あおいどうに茜が現れ、「山小屋にて欲しい患者かんじゃがいるから、来てもらえないだろうか」と言われたときには、鷹山に警戒感を持っていたし、茜に対しても不信感があったことは間違いない。


 だが、共に過ごすようになり、茜たちが全て危険な者たちであるわけではないことが分かった今では、人の患者に薬を処方するときと何も変わらないと思う。人の営みとは少し違うかもしれないが、彼らも、彼らなりの「当り前」で生活をしているのだ。


 しかし、だからといって、全ての人と上手く生活できるとは限らない。


 たとえ村の人たちに「人の中にも悪しき者がいるように、妖たちの中にも何の害もない者たちもいる」と言ったとしても、理解してもらうのはきっと難しい。彼らの中で、「妖怪は危険なもの」という印象がついてしまっていて、払拭ふっしょくできないのだ。


 人の中に染みついた偏見へんけんを変えるのは、容易ではない。

 それは充がもう少し子どものときに体験した出来事から、身にみて知っている。


 充が謝ると、茜はそれをくうでかき消すかのように手を振った。


「だから気にしていないって言っているだろう。人間にそう思われることは当たり前。もう慣れた」


「……」


「ただ、人にそう思われると分かっているからこそ、あたしは自分の両親が結ばれることが本当に幸せだったのか分からないんだ。父は、母のことはもちろん、人間を愛していた。でも、正体を知られたら裏切られ、殺されたのだとしたら、愛さなければ良かったほうが良かったんじゃないか……そう思う」


 そのとき充は、茜と初めて会ったときに彼女が言っていた言葉を思い出す。


「だから君は『人間と妖怪の間に子を作るのは、やるものではないよ』と言ったんだね」


 幸せになれるとは限らないし、人に尽くしても裏切られることもあるからだろう。そして彼女はきっと沼にからめとられた父親を見ていて、強くそう思ったのかもしれない。


「覚えていたのか」


「……うん」


 茜はしみじみと「そうか……」と呟いたあと、目をせた。彼女のまつ毛の色は、髪と同じで赤い色をしている。

 そして彼女は、静かに父親が沼に飲み込まれたあとの続きを話し始めた。


「父が沼に飲み込まれるのを見て、あたしは直感的に『この村にいられない』と思った。それは兄も同じように思っていたみたいで、急いで家に戻ると母に説明をした。危険を感じた母はあたしたちに指示をして荷物をめさせると、皆が沼に注視している間に村から出たんだ」


「見つからなかった?」


 充が尋ねると、彼女は「大丈夫だった」と答え、言葉を続ける。


「母は、父が万が一『赤鬼』であることを村人に知られたことで、何か問題が起きたときの対処は考えていたみたいなんだ。まあ、父と一緒に考えていたのかもしれないが」


「でも、どうやって?」


 沼のほうに人々が集まっていた場合、他の人と違う動きをしていたらいぶかしがられるはずだ。だが、そこを打破する方法を茜の母親は持っていたようである。


「常備してあった天狐の『変化の術』がかかった葉を使ったんだ。あれは人間である母にも使える。そして、見た目を全く違う姿に変えて村を出たんだよ。お陰で見つかりようもなかった。そこからずっと北に向かって歩いて、ここに辿たどり着いたってわけ」


「お母さんとお兄さんは……? どうなったの?」


 茜と共に村を出たというなら、一緒にいていいはずである。道中何かあったのか。

 心配しつつ尋ねると、茜は間を置いてから静かに答えた。


「……村を出てからは別のところで暮らしている。母は人間だからここにはいられないし、兄はあたしと違って見た目は人間そのものだから、天狐の変化の術がいらない。だから人里にまぎれて暮らせるだろうってことで、兄は母と一緒に住むことにして、あたしだけ鷹山ようざんに残されたんだよ」


 その答えに、充は眉を寄せた。


「どうして? 茜も変化の術を使って、お母さんとお兄さんと一緒に暮らせばよかったのに」


 だが、茜はゆっくりと首を横に振る。


「村を出たのはあたしが十歳のときだよ。父がいたときは、変化の術がけないように気を付けていてくれたけど、『子どもは色んなことに夢中になって忘れてしまうだろうから、一人で管理するのは無理だ』ってことになったんだ」


 つまり彼女は、十歳からの七年の間、家族と生活していないということである。


「寂しくないのか……?」


 おずおずと尋ねると、茜は感情の読めない声で静かに言う。


「もう七年も前のことだ。そんな感情忘れてしまった。それに、母を一人暮らしさせるのは心配だったから、あたしはこれでよかったと思っているよ」


 十歳のときに父親が術に掛けられた沼に囚われるところを目にし、村から逃げて、鷹山に来て。七年もの間、強さが試される場所で、自分の力で生きてきたのである。


「強いな、茜は」


 充が尊敬を含んだ声で言うと、茜は自嘲じちょうするように笑い否定した。


「……あたしは、強くなんかないさ」


「茜……?」


「いや、何でもない」


 そして茜はまき置き場の屋根の下からすっと出る。曇り空から、ゆっくりと雪が降り出していた。


「今日はもう帰ってもいいぞ。沙羅はきっと暴れないと思う。昨日鎮静用の水薬を一枚使ったから、その補充だけしてくれ」


 そう言うと彼女は山小屋とは反対側のほうへ体を向けていた。


「どこへ行くんだ?」


 茜の背に充が問う。彼女は小さく肩をすくめた。


「どこへも行かないさ。あたしにはここしかないのだから」

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