第25話 沙羅の願い

「お天道さま?」


 意思疎通ができるという鷹山にいる神の名である。

 聞き返すと、彼女は小さくうなずいた。


「はい。私はお天道さまに『茜に守られなくて済むくらい強くなるには、どうしたらいいですか』と聞きました。それが私の願いでしたから。するとお天道さまは『半妖の血を飲むといい』とおっしゃったのです。『誰の者がいいのでしょうか』と聞いたら、銀星さんのことを教えてくださいました。そして彼に話を付けておくとも言ってくださったのです。その数日後に、銀星さんが私に血をくれました。そうでなければ、私が銀星さんから血を得ることはできません」


 沙羅が飲んだ血が誰の者か分かった。また、血を飲んだ理由も分かった。

 そして、銀星が何故沙羅に血を与えたのかという経緯も知ることができた。


(ある程度は茜が思った通りだった。だけど……)


 沙羅は何故、茜に守られたくなかったのだろうかと、別の疑問が浮かんだ。


「どうしてそんな願いをしたんだ……?」


 半妖たちに馬鹿にされたくなかったからだろうか、それとも茜に守られるのが申し訳ないと思ったからだろうかなどと、想像していた答えを思い出す。だが、沙羅の理由は充が予想していたものとは少し違っていた。


「茜が可哀かわいそうで、とても申し訳ないからです……」


 充は意味が分からず、眉間みけんしわを深くする。


「どうして?」


「『優しい赤鬼と人間の子』だから、私を捨てられないのです……。私を守るなど、苦しいだけでしょうに……」


 鎮痛ちんつうな顔をして沙羅が言う。


「それは……どういうこと?」


 充はそのとき、ひと月前に茜が自分のことを「赤鬼の子」を思い出した。「赤鬼の子」だと何かあるのだろうか。

 話を聞こうと思ったそのとき、山道のほうからざく、ざく、ざくと、雪を踏みしめる足音がかすかに聞こえた。はっとして音の聞こえたほう向くと、すぐ近くまで茜が来ていたのである。


「沙羅。どこに行ってたんだ?」


 茜は沙羅の前に来るなり仁王立におうだちになると、静かだが怒りを含んだ声で尋ねた。充がいることには気づいているはずだがそっちのけである。

 充がちらと茜を見ると、彼女が防寒用に着ている、生成きなり色の丹前たんぜんには雪が付いていた。きっとあちこと沙羅を探し回っていたのだろう。


「何かあったら困るから離れるなと言っただろう」


「……ずっとここにいたよ。充さんと話してた」


 沙羅は感情のこもらない声で釈明しゃくめいする。茜は真偽を確かめるためか腰に手を当てて、沙羅の顔をのぞき込んだ。


「充と?」


 いぶかしげに聞き返す。だが、沙羅は何も言わない。

 確かに充とは一緒にいたが、ほんのわずかな時間だから肯定できないんでいるのだろう。


「……」


 充は黙っている二人を交互に見たのち、沙羅をかばうように「本当だよ」と言った。するとようやく茜が充を見た。


「本当に?」


 尋ねた彼女は、に落ちないような表情を浮かべる。

 茜の言いたいことは分からないでもないが、沙羅がようやく元の様子に戻りかけているのだ。喜びはすれど、怒るときではないはずである。


「沙羅の言っていることは間違いないよ。少なくとも、僕が来る前から彼女はここにいたみたいだし」


 茜は内容を吟味ぎんみするかのように、深紅の瞳がじっと充を見つめた。赤い瞳ゆえの迫力がそこにはある。気圧けおされつつも、我慢して見つめ返すと、ついに茜が折れた。


「……そう」


 充の言っていることを信じることにしたのだろう。茜は怒るのをやめ、再び沙羅と向き合うと、彼女のほほに軽く触れた。

  

「沙羅、調子は?」


 だが、沙羅は茜のその手を振り払う。強い力だったためか、ぱしんっという乾いた音が周囲に響き、充はぎょっとした。


「やめて。偽善者ぎぜんしゃ


 冷たい声だった。充と話していたときとは違う、茜のことを敵対視しているかのような言い方だ。このままだと喧嘩けんかになるんじゃないかと思い、充は慌てて割って入った。


「沙羅、その言い方はないだろう。茜は君のことを思って——」


「誰もそんなことお願いしていない!」


「え? でも、さっき——」


「充」


 茜が充の言葉にかぶせ、強い声で呼ぶ。


「え? はい」


「ちょっといいか? 話したいことがある」


「いいけど……」


「沙羅も来なさい」


「イヤ」


「ここじゃ、寒いだろうって言っているんだ」


「イヤ」


「いい加減自分の気持ちを反対のことを言うのはよせ。強がっても、お前の顔や手がしもやけになるだけなんだぞ。ただでさえ半妖の血で散々体を酷使こくししているんだ。少しは自分のことをいたわれ」


「イヤ」


「いいから来なさい」


「イヤぁ!」


 ずるずると引っ張っていて、茜は小屋の中に沙羅を入れる。充は薬箱とかさを持ち、慌てて追いかけた。

 嫌がる彼女を無理矢理居間に上がらせると、茜も藁沓わらぐつを脱いで居間に入る。そして部屋のすみに置いてあった丹前たんぜんを沙羅の肩にかけてやる。綿がたっぷりと入っていて見るからに暖かそうなのに、彼女は気にわないのか、丹前をすぐさま肩からはずした。


「体が冷えているんだろう。着ていなさい」


「イヤだもん」


「あんたは嫌っていうけどね、ほっぺたが真っ赤かだよ。何であんたは、自分のことを大切にしてやれないんだ」


「……」


「あたしが戻って来るまで、ここで温かくしてな。全く、こんなに冷たくして。しもやけになってかゆくなったら自分が辛いだけなんだぞ?」


「……いいもん」


「馬鹿。いいわけないだろう。そんなのあたしが許さないよ。——充、こっちだ」


 茜は沙羅から離れると、脱いだ藁沓わらぐつき直し、土間を通って小屋の外に出てしまう。


「ちょっと……」


 沙羅のほうを見ると、先ほどとは違い、鼻にしわをよせ不機嫌にしている。どうしたらいいのか分からないまま、充は柔らかい声で「すぐに戻ってくるから」となだめてみた。

 しかし、彼女の表情は変わらない。


「充、何をしている。早く来てくれ」


「でも――」


「いいから、来てくれ」


 茜もどことなく機嫌が悪い。何がどうなっているのか分からないまま、充は肩にかけていた薬箱を下ろし、かんじきをを外す。笠は薬箱の上に載せて置いておいた。


(わらみのは……、まあいいかそのままで)


 どうせ外に出るのだから着たままのほうがいいと思い、充はその状態で茜の背を追いかける。

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