第22話 知恵

 考えなくてはいけないけれど、考えないようにしていたことを言われ、充は顔をうつむける。


「どうだろう……。よく分からない」


 鷹山ようざんに踏み入ってから、葵堂のことが今までよりも少しだけ詳しくなった。その代わり義母の気持ちは、以前より分からなくなった気がする。


(必要とされて拾われたと思ったけど……、そうじゃなかったのかな……)


 充は六年前に、時子の夫であるおさむに助けられ、そのまま薬屋葵堂の養子となった。

 以来、充は修や時子たちのために、そして葵堂のためにしっかり働こうと決めたのである。

 だが、鷹山に来てから充がやっている仕事は、ほとんど沙羅と半妖の傷の手当てばかり。山小屋に行って帰ってくるだけで一時いっとき(約二時間)かかるため、葵堂で薬を作る手伝いも中々できていない。


 充は言葉を続ける。


「ただ、やらないといけないことをやらないと、葵堂にはいられない気がするから、やらなくちゃっていうのはある」


 時子に言われたため、沙羅のことをしなければならないとは思う。

 だが彼女に割かれる時間が長いため、旭村あさひむらに薬を届けることもしなければ、薬を作る手伝いもできないでいる。そんな自分は、本当に葵堂に必要な人間なのかとふと考えてしまうことがあるのだ。


「まあ、沙羅の傷の手当は大変だよな。水は冷たいし、何度も桶の水を交換しなければならないし。嫌になる気持ちも分かる」


 茜がため息交じりに言う。そのとき充は、きゅっと眉を寄せた。


(そんなふうに思われていたのか……)


 確かに沙羅に薬を処方し始めた当初は、嫌々やっていたところがある。妖怪や半妖のこともよく分からないし、自分は葵堂のために仕事をするのだと思っていたから、義母に「店のことはいいから、沙羅ちゃんのことをお願いね」と言われれば、「これは自分のやることじゃない」と思うのも無理はない。

 だから風流にも「仕方なくやっている」と言った。

 だが少しずつ妖や半妖たちのこと、そして沙羅の存在のことが分かり、また傍で茜がこんなに真剣になっているのを見ていたら、多少は充の気持ちも変わって来る。


「嫌だなんて思っていないよ……」


 顔を上げて言うと、茜は目をしばたたかせる。否定されると思っていなかったらしい。


「……」


「確かに最初は嫌だった。それは認める。だけど、茜と一緒に沙羅の手当てをしていくうちに、やらなくちゃって、使命感みたいなものは出てきているような……、出てきていないような……」


「何だ、はっきりしないな」


「悪かったな、はっきりしなくて!……でも、一日でも早く沙羅が半妖の血に慣れてくれればいいなとは思っている」


 ぽつりと呟くと、茜は一瞬驚いた顔をしたあと、ゆっくりと優しい笑みを浮かべる。沙羅を気遣ったことを、心から喜んでいるようだった。


「……本当だな」


 しっとりとうなずいた彼女に、充はこれまで思ってても尋ねられないことを聞けるような気がしてくる。

 彼は少し間を置いてから、おずおずと尋ねた。


「なあ、一応聞くんだけど、沙羅の状態って、その……妖老仙鬼ようろうせんきって妖怪に、解毒薬みたいなものを作って治してもらうことはできないのか?」


 すると茜は小さくため息をつく。


「それができたらとっくにそうしている。人間が妖怪や半妖の血を飲むなんて、今までしたことのある奴なんていないからな。いたとしても、摂取せっしゅした時点で死んでいる。だから、時子や充に水薬の鎮静薬を処方してもらったんだ。あれを使うと一時的に血にふくまれる妖力を抑え込むことができるから」


「そっか……」


 言われてみればそうだよなと思ったが、充のしんみりとした雰囲気を感じ取った茜が謝った。


「あ……、いや、頭ごなしに否定して悪かった。沙羅のことを考えて言ってくれたんだよな。ありがとう」


「いいよ、気にしてない。でも、その『血に慣らす』って、何でそんなことを思い付いたんだ?」


 茜は博識なんだなと思っていると、「思いついたわけじゃないよ。聞いたんだ」と言った。


「誰に?」


「お天道さまだよ。沙羅を鷹山に入れることを認めたのは、あのひとだからね」


 充は一瞬どういうことだろうと思った。「お天道さま」は「神」ではなかったか。


「神と話せるのか……?」


 疑いながら尋ねる。

 すると茜はさも当たり前に肯定した。


「話さなければ、意思疎通はできないだろう」


「いや、そんな話せるなんて思わなくて……」


 人の生活の中で神と話せるのは、巫女みことか陰陽師おんみょうじなどの地位に就いている者たちだけであると思っていたため、充は信じられなかった。

 それとも、妖怪や半妖たちの世界では違うのだろうか。


「充も話そうと思えば話せるよ」


「え⁉ 嘘だ!」


 沙羅が寝ているので声は押さえたが、充は驚きを隠せなかった。


「嘘じゃないよ。まあ、神っていっても色々いるし、言葉が通じるのと通じないのがいるから全員と話せるわけでもないけど、お天道さまは話せるよ。だけど前にも話したように、お天道さまは特に人が思っているような神じゃないからね、話すことがいいのかどうかは分からない……」


「それってどういうこと?」


 尋ねたが、茜は答える代わりに立ち上がる。


「その話はまた今度。今日はもう遅い。暗くなると帰れなくなるから、お帰り」


「でも、まだ昼八つ(午後三時)ぐらいだよ……?」


 充は茜を見上げた。彼女は深紅の瞳を細めて、彼を一瞥いちべつする。


「もう昼八つだろう。夕七つになるのももう少しだ。今は明るいが、じきに暗くなる。充も分かっているだろう」


「そうだけど……」


「いいから、帰りな」


 そう言うと茜は土間に行って、湯を沸かし始める。沙羅が起きたときのために、軽食を作るのだろう。


(皆して、肝心なことは話してくれないな……)


 充はそっと肩を落とす。しかし、話してくれないものを「話してくれ」と食い下がっても教えてくれそうにない。

 仕方なく薬箱を背負う。ちらりと沙羅の顔を見ると、鎮静薬が効いたのか、頬に浮き出ていたあざが消えていた。


(良かった……)


 充はほっと息をつき、土間に下りると「それじゃあ、また」と言って、山小屋を出て葵堂に帰って行くのだった。

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