薬屋葵堂と赤鬼物語

彩霞

第一章 薬屋の養子

第1話 妖がいる山

義母かあさん、あの、やっぱり戻りませんか……? ここ……変ですよ……」


 みつるは薬の入った木箱を背負い直しながら、前を歩く養母の時子ときこの背にこそっと声を掛けた。


 山の中は、踏み固められた道あるので歩きやすい。だが、ここは本来が出入りするような場所ではないのだ。

 人の手が入っていないのに道があることも不思議だが、それよりも変なのは時折後ろから落ち葉を踏む音が聞こえてくることだ。

 初めは動物かと思ったのだが、頻繁に聞こえているとなるとそうではないだろう。充たちの他には誰もいないはずなのに、不気味である。


(間違いなく……)


 そう思って、義母ははに「山のふもとにある家に戻りましょう」と提案したつもりだったが、充の声に気づいて振り返った時子は柔らかな笑みを浮かべた。


「もう少しですから。頑張って」


 明るくてふわりとした声ではげまされたら、うなずくしかない。


「…………はい」


 充は複雑な気持ちで返事をしてから、口をきゅっと一文字に結ぶ。そして義母の小柄な背中をちらと見つめたあと、足元の状況を確認しながら渋々しぶしぶと足を前に進めた。


(義母かあさん、そうじゃないんです……。僕は山登りが大変だからって、励まされたかったわけじゃないんです。ここには妖怪が住んでいて、足を踏み入れた者は村に帰って来られないって村の人たちが言っていたじゃないですか。だからそうなる前に、戻りましょうと言ったつもりなんです……!)


 充たちが登っている鷹山ようざんは、彼らが住んでいる旭村あさひむらの、南側にある山である。


 旭村は北から南に向かって細長い形をした土地で、地図上でみれば鷹山は村から二番目に近い山だ。だが、人々はこの山から恵みをもらおうとはしない。入るのは北側にある一番近い山とその奥にある三番目に近い山だけである。何故なら妖怪に襲われることを恐れているからだ。


 ゆえに、南側に住む者はほとんどいない。鷹山のふもとに唯一あるのが、時子たちが営んでいる「薬屋葵堂くすりやあおいどう」である。


 元々旭村出身ではない充は、葵家あおいけの養子になったあと、村人たちから「鷹山には妖怪がいる。だから気を付けるんだよ」と聞かされてきた。昔から度胸試しと言って若者が入るたびに、怪我をして帰ってきたというのだ。


 そのため最初のうちは「妖怪が襲ってくるのではないか」と心配していたが、義母である時子に話すと「あら、そんなことを心配していたの? 大丈夫よ。ここには下りてくることはないからね」と教えてくれたため、以来山にさえ登らなければ何も起こらないと思っていたのである。


 だが、充は今、鷹山を上ってしまっている。


(帰りたい……。でも、もう仕方がない……)


 昨年成人を迎え、今年十六歳になった充だが、胸中は半べそ状態だ。それでも腹をくくるしかない。


 仮に「この山に妖怪や鬼がいて怖いから帰ります」と言って帰ったとする。義母は充を責めることはなく、「いいですよ」と言うに違いない。優しい人なのだ。


 では何が彼の「帰りたい気持ち」を邪魔をするのかというと、それもまた充の気持ちである。このような怖い山に、義母だけ残して去って何かあった日には、後悔する日々を送るに違いない。そうならないためには、嫌でも付いて行くしかないのだ。


(あいつも信用して良いのか分からないし……)


 充は、義母の前を歩く裸足はだしの少女の背を見上げた。くすんだ萌黄色の小袖こそでを着ているが、何故か袖がない。変わった格好をした彼女の名は、あかねと言う。


 先頭に立って道案内をしてくれている彼女は、葵家あおいけが営む薬屋「葵堂あおいどう」へやって来て、「山小屋にて欲しい患者かんじゃがいるから、来てもらえないだろうか」と依頼しに来たのだ。


「葵堂」は薬屋であって医者ではない。


 しかし金のない者が医者を呼べないとき、薬屋を頼ることがある。少なくとも一般人よりも、病や怪我に関する知識を持っているからだ。


 そのため充たちが向かっている先には、お金がないけれど医者に見せないといけなような、病か怪我を負っている人がいることが想像される。


 充は心の中でぽつりと呟く。


(「人間」がいるんだろうか、この山に……)


 ——鷹山は妖怪の住むところ。


 子どものころにそう聞かされているので、人間が住んでいるとは到底思えない。

 いたとしても村の人間ではないだろう。もしかすると、よそから来た旅人かもしれない


 どういう人を診るのか、家を出立するときに聞けばよかったと、充は今更ながら後悔する。


 しかし義母が二つ返事で「行きましょう」と言うので、「そういうものなのかな」と思ってしまった自分がいて、聞かずにそのまま付いてきてしまったのである。そして彼は言われるがままに、荷物持ちと助手の役割を兼ねて付き添うことになり、鷹山を目の前まで連れて来られて、初めて危険な依頼だったのではと思った。


 だが、時既に遅しである。

 

 今のところあやかしの姿は見ていないが、後ろで嫌な気配を感じるし、茜も変なのである。変、というのは様子ではなくて姿が変化しているのだ。


 ここに登る前に見たときはあどけなさが残る黒髪の少女だったはずなのに、髪は赤みを帯びていき、身長も少し大きくなっている。


(これはだまされている……のでは?)


 充は歩を進めるたびにそんなことを思ったが、義母は気づかないのか迷わず歩いて行く。引き返す様子はまるでない。


「はあ……」


 きつねに化かされているような気分だったが、ここまで来てしまったら患者を助けるしか帰る方法はないのだろう。充は「帰りたい」と心の中で呟きながらも、足を前に進めるのだった。

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