第9話 「脱亜」の朝活と独り立ち

――1(序)

先月、藁掻きに行こうと着替えをするために、玄関で正座を崩したときに、右足の親指で気に留め、ひび割れていた巻き爪を引っ掛けてしまった。爪が飛んだわけではないが、少し出血があって、急いでテーピングを施して、田んぼで作業を続ける羽目になった。

それ以降、たっぷり3日間は、苗代の藁掻きに専念していた。

ぼくは100キロ近い体重があるので、散歩など、運動をするときに、爪先に負荷が圧し掛かる傾向があって、しばしば巻き爪になる。

爪が剥がれたら最後、シューズを履いた運動は、自転車のみに限られる。だから、心肺は元気でも、身体はゆっくりと死んでいく。爪をマニキュアで保護して、テーピングで包帯を巻く処置を続けるのは、正直、面倒だけれど、いつも母に手伝ってもらっている。

ニュースでは、政府が、日本の爪先を巡って論争が絶えない。沖縄に7割以上の米軍基地が占拠していて、時の政府は、日米地位協定の見直しに着手したいと息巻いていたが、衆院選の結果を踏まえて、トーンダウンしている。

岡本太郎の「沖縄文化論」をコメント欄に書き込んだことがあって、それ以来、沖縄は旅行先からも外していて、読みも深まっていない。

ぼく自身と日本政府、及び日本人の自己責任が宙に浮いたままなのだ。


――2(破)

この頃、ぼくは留守番を任せられることが多くあって、先日、両親は御影にある、ぼくの姉の新居で開かれるクリスマスパーティに出席して姉妹になった孫に会いに行っていた。人間模様も多岐に渡っている。

その前は、母が同窓と女子会で奈良の薬師寺に行くということで、もっと前は、両親たちが結婚記念日を迎え、近鉄デパートでショッピングの帰りに蕎麦を食べに外出していた。

そんなわけで、ぼくは留守を預かる機会が増えていて、近所にある中村商店の握り寿司に甘えるのも次第に飽き、自炊の要に迫られていた。母屋の風呂を焚くのは、トイレ掃除の要領で軽くバスタブを洗うだけで、ボタンひとつで熱い湯を浴びることができる。

家事分担も、便利になったものである。

上野千鶴子は、たとえば、亭主関白のような男性の優位性を粉々にしてきた知識人であるが、ぼくは、少年の頃から女性だけ優遇されるのは不公平だと感じていた。ところが、スウェーデンを筆頭にして、世界と比較すると女性のビジネスマンは、日本は例外的に少なかったので、欧米にあるシンクタンクの評価からも大きく得点を落としていた。

女性の社長といえば、大塚家具を世襲した女性オーナーくらいで、特に、目新しいものはなかった。

それよりも、散歩の帰りに見る校庭で、日本女児たちが、なでしこジャパンを目指して、サッカーサークルに汗を垂らしているのが印象的だった。ぼくたちの世代では、陸上選手になりたいクラスメートが可愛いと評判であり、ここ数年で、一気に伸びてきたのがサッカー選手であった。

昭和頃から、ソフトボールは女性の領域というように、薬剤師や看護師だって女の園というのが不可分だったが、男性の職員にも門戸は開かれてきた。

職業差別というのは、徐々に人口減少と共に、現場の要請で、よく働く女性が地に足を着けて、軟着陸できたように思う。その代わりに、晩婚化が進んできたと知識人の間でも論戦になる傾向があったが、家事分担の障壁も取り壊されるに至った。

そして、突如、日本政府の政策的な課題に現れたのがLGBTという性的マイノリティの問題であり、時代は次のページに手繰っていくことになった。

オネェ言葉や、ニューハーフ、トランスジェンダーといった性の悩みは、ウェブポルノの普及でぐちゃぐちゃになると思いきや、むしろ、スポーツを軸に戦線を回復していった。

本棚の男女比を割っていくと、バランスの良さが現れる。また、外国人の書いた著書も意識的に買っておくといいと思う。ぼくが日記帳にフットノートしたのは、向田邦子、山崎豊子、高橋留美子を忘れるなということである。敢えて加筆するならば、林真理子を附記するに留めたい。外国人は、徳川の三浦按針(ウィリアム・アダムス)ということではなくて、現代人の名訳でも一向に構わない。


――3(急)

薬の加減で、早朝に起きることが母の負担になっていたので、朝食を自炊することにしたら、些か、煙たがられることも少なかろうという狙いで、ひとりご飯のレシピ帳をめくっていた。運がよかったのか、父が畑で育てたピーマンが冷蔵庫にあったので、マルイ元気鶏を解凍して、切り開いた牛乳パックの上でひとくちサイズに切って、サラダ油で炒め、ケチャップライスと共に調理した。オリーブオイルが高騰しているせいもある。

文章に書くよりも、断然、簡単だったので、一人暮らしのダイエットレシピがないか、ブックストアを覗いてみようと思った。初級編は卒業ということで、松岡正剛さんだったら「あ、自立できているな」と評価するだろう。実は、10代の頃でも、ぼくの書いた文章を読んで、自立できていると一言、添えて下さったのだけれど、内心、覚束なかった。20代で、千夜千冊のすすめで徐々に自炊を習慣的に試みるようになっていったけれど、自分の知の編集工学には及んでいなかった。ここ最近、アラフォーを目の前にして、ようやく、自分の消費生活と活字の情報文化が肩を寄せ合い、同居できてきたのを感じる。

昭和の風景で、チャルメラの屋台を引いたラーメン屋さんが姿を消していった。今度は、平成に存在した「雪やこんこん♪」と童謡を鳴らして、ゆっくり軽トラックで売り歩く灯油屋さんがいなくなる。

今や、エアコンだけで全て済ませるようになってきた。

だから、この連載では、モビリティが日本社会のカギを握っていると分析しているけれど、ぼくはペーパードライバーであって、このまま父が年相応の死を迎えれば、自動車に乗れる人間がいなくなる。従って、ガソリンスタンドで、灯油を買って、ファンヒーターで温まるという風景も吹き消される。それは、農家の看板を降ろすことにも繋がっている。だとすれば、上滑りのバイオテクノロジー研究と称した個人事業だけが日々の日課となることを暗示している。

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