4.妹かく語りき「美心だって」
たまにはお兄ちゃんを驚かせちゃおう!
そんな風に思い立ったのは今日が初めてではありません。隔週の土日と大型連休の間、わたしは学校の寮からお兄ちゃんのいるお家へ帰ります。
いうなれば頑張った自分へのご褒美でもあって、部活での失敗や友達との些細な喧嘩など、そのすべてを忘れさせてくれる、癒してくれるお兄ちゃんとの時間はわたしの生きる糧そのもの。
明日はゴールデンウィーク二日目の五月四日。お兄ちゃんの家に戻る日です。普段なら前日――つまり今日には何時ごろに向かうのか、詳細をお兄ちゃんに伝えるようにしていました。――ごくたまに、急に行って驚かせようなんていたずらを企てることもありますが。
平たく言うと、今日が正にその時だったわけでして。
いつもより早い時間にアラームをセットして、少しだけ早く寝ることにします。寝坊して昼過ぎになってしまった、という最悪のシナリオだけは避けなければいけませんから。
今にして思えば、明確にここが分岐点だったと理解できます。
もっと早く行くべきだった。あるいはちゃんと時間を伝えてから行くべきだった。
そうしていれば、きっとあんなことにはなっていなかっただろうと――。
*****
お兄ちゃんの家に着いたのは九時になるちょっと前でした。普段は十時から十一時に到着しているので、一時間以上早めの到着となりました。
物音をたてぬよう、慎重に合鍵を差し込んでゆっくり回しますが、いつもの手応えがありません。これが意味するところは――
「……開いてる?」
背中に汗が流れるのを感じます。あまり、気分のいいものではない、そんな汗。
ゆっくり、ゆっくりドアを開いて、中の様子を窺うと、玄関に見慣れた靴が一足おいてあるのを見つけました。
マナちゃんの靴。
言いようも無い感情が、胸の中で一気に生まれて、渦巻いていくのがわかります。
リビングのドアが少しだけ開いていて、話し声が漏れています。お兄ちゃんの声と、もう一つは、マナちゃんの声。
いけないとはわかりつつも、自分を抑えきれず壁に身を隠すようにして隙間から中の様子を窺います。
お兄ちゃんが立っていて、マナちゃんが立っていて、マナちゃんの顔と、お兄ちゃんの顔が近づいて行って――。
「――っ!?」
それは、口づけと言うにはあまりに強引に見えました。隙をついて、マナちゃんが一方的に唇を奪ったような。
今さっき生まれた感情が、色を濃く、黒く濁しながらその温度を上げていきます。そしてそれは、やがてわたしの胸に収まりきらず、喉を押し広げて外に出そうになって――
「おえっ……」
咄嗟に口を抑え、逃げるようにトイレに駆け込みました。幸い、胃袋からなにか出るようなことはありませんでしたが、喉が焼けるように熱くなって、感情の吐露というにはあまりに痛々しいものだったように感じました。
トイレットペーパーで口元を軽く拭いて便器に捨てます。レバーを引くと大きな音ともに水が流れていきますが、わたしの心はちっともすっきりすることはありませんでした。
トイレのドアを開けると、憔悴したような顔のマナちゃんと、呆然と状況を理解できないでいるお兄ちゃんが立っていました。
マナちゃんは縋るようにわたしに「ごめん」なんて謝ってきますが、わたしには遠い人ごとの出来事の様に感じてしまうほど、なんだか現実感のない光景に見えました。
「大丈夫だよ、マナちゃん」
「……え?」
不思議なことに、わたしは別に怒ってもいなければ、マナちゃんを嫌いになったりもしていませんでした。
だから、優しくマナちゃんの頬を撫でて、大丈夫、と何度も伝えます。
ショックなのは間違いありません。でも、わたしはなんとなくわかっていたんです。マナちゃんも、お兄ちゃんの事が好きなんじゃないかって。
妹に甘んじて、足踏みをしていた自分への負の感情が、嫉妬に似た姿に形を変えて、嗚咽となって
奏さん、マナちゃん、奈乃ちゃん……。ライバルは多いですが、私は負けるつもりはありませんでした。ですから、無理やりキスされたくらいで怒ったりはしません。
でも、そうですね……それ以上の衝撃で、上書きしてしまうくらいの仕返しは、させてもらおうかな。
「美心だって、お兄ちゃんの事大好きです! お兄ちゃんとしてじゃなくて、一人の男性として! だから――」
未だ
「――お兄ちゃんは、美心が貰います!」
そう宣言することにしたんです。
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