5.呼び出し。
五限目が終わり、束の間の休み時間が訪れる。
今日から五月ということで、クラスの面々には既に五月病を患ったかのようにぐでーと机に体を投げている人もいる。
インフルエンサーでも目指しているのかと言いたくなるくらい流行に乗るのが早いなとつい感心してしまう。
さて、予鈴が鳴ったことで先ほどまで僕の周りに集まっていた奏と純平がそれぞれの席に戻る。
次の時間は数学だったかな。
教科書とノートを準備して、シャーペンの芯は入っていただろうかなどと考えていると、僕のスマホがブブーッとバイブレーション。RINEだ。
開くと、マナちゃんからだった。
向こうもまだ授業中だろうに、珍しいななんて思いつつトーク画面に目を落とすと、ああ太ももに
『兄は今日事に及ぶつもりです。ご連絡が遅れてしまってすみません、気を付けてください』
この"事"というのがまさしく僕が昨日聞いてしまった電話の内容そのもので、まさか昨日の今日で実行しようとは、さすが医者になる男は即断実行なんだなと呑気に考えている場合でもない。
だから昼休みに、いやもっと早いうちに、奏に言っておくべきだったんだ。
余計な心配をかけたくないとか、そんなこと言ってる場合じゃなかったんだ。
ちらっと奏の方をみると、向こうもこちらを見てたらしく目があった。
パチコン⭐︎とウインクを飛ばしてくる奏に、僕はとりあえず笑顔で返して再びスマホに目を落とす。
さてどうしたものか。
僕は平成初期のギャルも真っ青の指捌きでRINEのお友達リストからある人物を探し出し、文章を入力していく。
ちょうど送信ボタンをタップしたタイミングで、数学教師のおじいちゃん先生がのそのそと教室にログインしてきた。
今できることは全てやった。人事は尽くしたわけだ。
あとは、
教科書に仰々しく書かれたこの公式は、僕の胸中渦巻く不安ややり場のない焦燥の解を導くことはできないらしい。
*****
そして放課後。
一歩、また一歩と歩くにつれ、玄関が近づいてくる。
こんなに遠かったっけ?
ストップウォッチで計測していたならきっと故障を疑っていたであろう。実際には体感の半分も時間が経たないうちに、下駄箱へ辿り着いていた。
「ん? なんだろう、これ」
下駄箱を開いた奏が、疑問符を浮かべながら封筒のようなものを取り出した。
どうやら下駄箱の中に手紙が入れられていたらしい。
「開けてみたら?」
「うん、そうだね」
僕は敢えてその手紙を開くよう促した。
きっとそこにはこんな事が書いてあるはずだ。
「『校舎裏の物置前に来てください』だって。なんだろう?」
ビンゴ。
元々疑ってはいなかったが、マナちゃんからのRINEはやっぱり真実だったらしい。
ごくりと、思わず唾を飲み込んだ。
行く必要ない、無視しようと言うのも選択肢の一つだ。
でも、後のことを考えたら、ここで終わらせてしまうのが一番なんだろうなと言うのが僕の脳内稟議に於いて下った決裁であるため、「とりあえず行ってみたら、僕は待っているから」と思ってもないことを口にした。
本当はさ、行ってほしくないんだ。
校舎裏へ歩いていく奏を見つめていると、校門の前に一台の黒いセダンが停まるのが見えた。
*****
下駄箱の中に入っていた一通の手紙。
『校舎裏の物置前に来てください』
おおかた告白するために人気のないところに呼び出したいのだろうと瞬時に判断する。
正直面倒くさい。
わたしには蓮人君という心に決めた人がいるので、どんな男性に告白されたって耳を貸すつもりはない。
いちいち断るのも面倒だから、わたしと蓮人君の関係を周知のものにするためにわざわざ大勢の前でアピールしていたというのに、理解力のない人もいたものだ。
破り捨ててシカトしてしまってもよかったんだけど、蓮人君に悪い印象を与えたくなかったので(不承不承)*3くらいの気分で指定場所へ向かった。
時間も日にちも指定がなかったけど、朝の時点でこの手紙が入っていなかったということは、まあ放課後来いという意味で間違いないだろう。
校舎裏の物置というのは、この学校では割とポピュラーな告白スポットで、わたしがここへ呼び出されたのも実は初めてではなかった。
物置の中には古くなった体操マットや破れたサッカーボール、ひしゃげた金属バットなど、要はもう使えないけど廃棄するにも「これ分別どうするの?」的観点から将来の誰かに託すように放置された備品たちが所狭しと詰めこまれている、らしい。
らしいというのは周りの女子が──きいてもいないのに──揚々とご教示してきたからで、もう一つ聞いたことといえば、告白が成功した男女はそのまま物置に侵入し、比較的新しめのマットの上で熱い抱擁なり口吻なり交ぐわいなどをするらしいということ。
それを聞いてからは、なんとなくここに呼び出されると陰鬱な気持ちになるのだった。
あーあ。早く蓮人君に会いたいな。
蓮人君とわたしの部屋で抱擁して口吻して交ぐわいたいな。
……蓮人君となら、物置だろうが近所の公園の物陰だろうが心の準備はするつもりなんだけど……なんてなんて、きゃー!
「やあ、来てくれてありがとう、一条さん」
「ども」
しかし待っていたのは冴えない顔した男子生徒で……。ネクタイの色が緑なので、三年生──先輩ということになる。
それにしても少し驚いた。
彼は全く知らない人ではない。
マナちゃんのお兄さん──つまり春見茉樹のあんちきしょうのご友人だったはずだ。
いつだったかマナちゃんと遊んでいる時にばったり会って、挨拶程度の会話をした記憶がある。
名前は髙橋さんだったかな? バカ橋だったかもしれない。
まさか同じ高校だったとは。
わたしの一番の失敗は呼ばれるままぬけぬけとこの場所へ来てしまったことだが、もう一つ同じくらいの失敗を犯したとすれば、この時点で充分予測できたはずの危険に気づかなかったことなんだろうな、と。
急に態度が豹変した髙橋先輩に、無理矢理物置の中に引っ張り込まれながら思ったのだった。
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