2.街中でたまたま知り合いを見かけると気まずい

 春見さん襲来事件の翌朝、僕は奏と登校しながらその件について考えていた。

 ”めんどくさい”

 彼――春見茉樹は確かにそう言った。

 その声は、耳を澄ませていないと聞き取れないくらいに小さな声で、独り言に過ぎないだろう。

 奏のことを言っていたという確証があるわけでもない。

 ただ、状況証拠的には十分に違いなく。わかったことは、彼が奏を好きではないということだ。


 とはいえ、”縁談”なんてものは当人同士の意思など元より介在しないといえばそうなのかもしれない。

 好きではない者同士が、家の為に結婚し、お互いに豊かな生活を営むために割り切って生きていくという選択肢も、きっと間違いではないのだろう。

 だけど、奏の恋人としては、それを許すわけにはいかなかった。

 なにより、奏も肇さんも、少なくとも今時点で彼との婚約を望んではいなくて、それは当然僕も同じ気持ちで。

 であるならば、彼のあの発言は楽観的に見すごせるものではない。


「奏」

「なあに、蓮人君」


 相変わらず僕の右腕をおいしそうに頬張る(猟奇的な意味ではなく)奏に、少しだけ真剣な面持ちで話しかける。

 奏もそれを察してか、僕の腕から顔を離して、僕の目を見つめ返した。

 それにしてもよくもまあ飽きないものだ。……まあ、僕も僕で、腕に当たる胸の感触に飽きることは未来永劫ありそうにないので、きっと奏も似たような感覚なのだろうと結論付ける。しらんけど。


「昨日の、春見さんのことだけど……あまりあの人には関わらないほうがいいよ」

「? うん、そのつもりだし、わたしはそもそも家族と蓮人君以外の男には極力関わりたくないから」

「そっか」

「うん!」


 まあ奏ならそう言うだろうと予想はしつつも、本人の口から聞けたことで安心感が大きく増す。

 しかし、こちらが関わらないようにしていても向こうが突っ込んでくるということも間々あるので、用心しておくに越したことはない。

 そういうと、奏は「えへへ、蓮人君は心配性だなあ」とはにかんで、抱き着いた僕の腕に頬ずりをしていた。

 それはそうと、そこさっき自分でかじってたところだけど、大丈夫そ?



 *****



「また勝手に屋上使っていたのね」


 昼休み、屋上でお弁当を食べていると、少し遅れて奈乃がやってきた。

 昨日も会っているはずなのに、なんだかすごい久しぶりな気がするね?


「そういう奈乃も不法侵入じゃないの?」

「わたしは良いのよ」

「はえー、それは知らなんだ」


 うーん、このトンデモ理論も改めて聞くと趣深……くはないか。

 奈乃は、僕の肩に頭を乗せてごろにゃあしている奏を一瞥して、そういえば、と両手を打つ。


「一条さんの縁談はどうなったの?」

「わたしはお断りしたんだけど、ちょっとしつこいんだよね。昨日も放課後待ち伏せしててさ……。まあ誰とは言わないけど、フラれたのに女々しく付きまとう人ってかなりイタいよね」

「……………………………………………………………………………………………………そうね」


 何か心当たりがあるのか、奈乃はわんこ苦虫百杯目を噛み潰しているような顔をして、命からがら肯定している。

 そんな無理して頷くこともないと思うけど……。


「昨日校門の前にいたあのスカシ野郎は、やっぱり一条さんのお相手だったんだ」

「そうそう。溢れ出てたでしょ、イヤらしいオーラが」


 どうやら女性陣からの彼の評価は存外に低いらしい。


「というかアイツ、手持無沙汰ついでにわたしにも声かけてきたわよ」

「……あー、うん……」


 どうやら僕からの彼の評価は人外レベルまで下がったらしい。

 元より奏のことを任せてはいられないと思ってはいたけど、奈乃の話をきいてしまうと猶更その気持ちは強くなる。

 既に一条家から正式にお断り(という表現が正しいかはわからないけど)の連絡が入っているはずだし、春見さんが勝手に付きまとっているだけに過ぎないはずなのに、を聞いてしまったせいなのか、どうにもこのまま終わるとは思えない。


「杞憂ならいいんだけど……」

「え? ちゅう? したいの? する? ていうかしよ?」

「一条さん! ちゅうじゃなくて、き・ゆ・う! 顔近づけるな!!!」


 やいのやいのとやり合っていた二人が、僕がつい漏らした独り言に反応してきた。

 奏の天然なのかわざとなのかわかりにくいボケを、奈乃が丁寧に処理してくれている。なんだかんだ良いコンビだな、なんて思ったりして。


 ……このまま平和に終わってくれればいいんだけどなあ、本当に。


 と、呆けているところにRINEの通知音が鳴り、スマホを取り出す。

 送信元は、美心。

 なんだろう、美心も毎日RINEでやり取りしているのに、やけに久しぶりな気がする。今日はいろいろ不思議なことが多いなあ(すっとぼけ)。


 トーク画面を開くと、マナちゃんと三人でお洒落なカフェに行きたいというお誘いのメッセージが来ていた。

 無論、妹からの誘いを断るほど兄として落ちぶれていないので、二つ返事でOKする。

 お洒落なカフェは良いんだけど、指定された店は僕の家からは離れていて……というか、隣町だ。

 美心たちが通う学校のある町で、要は今回はこっちにこいという事だろう。

 無論行きます。


「お、女の子!? わたしという婚約者がいながら!?」

「れれれ蓮人! わたしという幼馴染がいるにもかかわらずほかの女に!?」


 飽きずに言い合いをしている二人に放課後は用事ができたことを伝えると、言い合いをぱたりと止め、僕のほうに顔を突き合わせてくる。

 やっぱり仲いいね?


「いや、妹だよ」

「あ、そっか」

「……ふーん」


 素直に言ってトーク画面を見せると、二人はしぶしぶ納得して引き下がった。

 しかし、僕は聞き逃さなかった。

 奏がマ〇ャドくらい冷たい声で「茉奈ちゃんもいるんだ……」と呟いたのを。

 聞き逃したことにして反応はしないでおいた。



 *****



 そしてきたる放課後。

 指定のカフェに着いた僕は、美心たちの到着を待っている間、カフェラテを注文。あとから連れが来ることを伝えたうえでテーブル席に陣取っている。

 のんびりコーヒーを飲みつつぼけーっと入れ替わるお客さんたちを眺めていると、見知った人間を見つけた。


 青みのかかった艶やかな黒髪、整った甘いマスクに銀縁の眼鏡、すらっとした八頭身の長身……。

 たった一度しか顔を合わせていないが、その一回で一生忘れられないくらいのインパクトをもたらした人間。

 彼は古代魔法の詠唱でもするように長々とした注文し、僕の隣のソファ席に座った。どうやら誰かと電話しているらしい。

 これと言って隠すつもりもないのか、特別声を潜めているわけでもないので喋っている内容はほとんど聞こえている。

 確かに、事情を知らない人が聞いてもなんとも思わないだろう。

 でも、僕が聞いちゃってるんだよなあ。

 全部知ってる僕が、さ。



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