3.こたえ

 肇さんへのご挨拶お目通しを終えた夜。

 買い物に行っていたらしい奏のお母さんが帰ってきて、三人が是非にというので夕飯をご相伴に預かり、新堂さんに送られて帰宅したときには既に九時を回っていた。

 奏のお母さんの料理はとてもおいしかった

 調理の腕もさることながら、食材一つ一つが高級なのがわかり、特にお肉ともなると「近所のスーパーで値引き品を……」と言っている我が家とは比べものにならないほどだ。

 ……あ、もちろんうちの料理が一番だよ! 母さん、美心!(釈明)


 家に帰り、しばらく通知を確認していなかったと思いスマホを開くと、美心と奈乃からのメッセージを受信していた。

 毎日の美心はともかく、奈乃からRINEがくるのは珍しい。

 トーク画面を開くと――その瞬間、着信音が鳴り、驚いて咄嗟に切ってしまった。

 しかし、すぐに再度着信。今度は落ち着いて発信元を確認すると、奈乃だった。


「はい、もしも『もしもしじゃないわよ! なんでこんな時間まで既読もつかないし家にも帰ってこないしていうかあの車一条さんの車なのよね二人でどこ行ったのよ気が付いたら私一人で立ってるし周りから変な目で見られて恥ずかしかったんだからね!』あ、人違いです」


 出るなり早口で捲し立てられ、思わず切ってしまった。

 すかさず着信。発信元はやはり奈乃。

 正直ちょっと面倒だったが、出なかったらそれはそれで面倒だと思い、渋々”電話に出る”をタップした。


「……はい」

『……ごめんなさい、一気に話しちゃって』


 どうやら、向こうも落ち着いたらしい。冷静に会話ができるなら気心知れた奈乃との電話は嫌じゃない。


『それで、ヤることはヤッたのかしら』

 これはもうだめかもわからんね。

「じゃ、また明日」


 それだけ伝えて、速やかに電話を切る。ついでにマナーモードにした。

 あ、美心からのRINEも確認して返信しないとな。


 ――ピンポーン


 と、インターホンが鳴る。……おおかた奈乃だろう。

 出たくないなあ……。まあ出るけど。はあ……。

 やや重い足取りで玄関に向かい鍵を開けると、ほぼ同時にドアが引き開けられた。

 そこには案の定、奈乃が立っていた。

 珍しく落ち込んだように俯き、自慢のツインテールも青菜に塩をかけたように力なく垂れている。


「……なんで電話出ないの」

「え、まともな話が出来なさそうだったから……?」


 あ、つい思ったことをそのまま言ってしまった。

 これはまた怒号が飛んでくるぞと身構えていると、返ってきた言葉は意外にも落ち着いたトーンだった。


「……昨日、一条さんの家、行ってたの?」

「う、うん。そうだけど……」


 適当に誤魔化してもよかったが、バレたときにリスキーなので正直に答える。

 奈乃はかわらず落ち着いたというよりは、暗くて表情はいまいち見えないが――どこか寂し気な様子で立っていて。


「なに、してたの」

「……とりあえず、中入りなよ」


 なんだか放っておくと消えて行ってしまいそうな奈乃の様子に、たまらず中へ招き入れる。

 しかし、奈乃は「ここでいい」と、首を振った。

 やっぱり、様子がおかしい。おかしすぎる。


「ねえ。なにしてたの」

「ご両親に会って少し話をしたくらいだよ。後、夕飯をご馳走になった」


 嘘はついていない。ただ本当のこと許嫁や、縁談の話を言ってもいないだけ。

 あくまであの件はセンシティブだし、奏にとっても知らない仲ではないとはいえ、僕の判断で話していいものでもないと思ったからだ。

 しかし、奈乃は内容まではわからないまでも、僕が隠し事をしていることはらしく。

 一瞬、顔を上げて僕と目が合うと、その大きな瞳をさらに大きく見開いた。

 わなわなと唇を震わせて、何か言いたいような、そんな素振りを見せて。瞳にたまった涙の粒を、零さない様に必死で耐えているような。そんな姿に見えて。


「……蓮人はさ。一条さんの事、好きなの……?」

 そんなことを聞いてきたのだった。




 *****



 気が付くと、わたしは校門前に一人で立っていた。

 さっきまでいつもの様に一条さんと蓮人を取り合っていて、今日は珍しく大人しく引き下がったと思ったら、黒い高そうな車が停まっていて、一条さんと蓮人が二人で乗り込んで……。


 白髪が似合う男性の運転するその車は、二人を乗せて走り出していくのを、わたしはただ茫然と見送った。

 一条さんのご実家が大企業であることは知っている。きっと、ご実家に招かれているのだろうと、雰囲気からなんとなく察してしまう。

 ということは……。

 すごく嫌な予感がした。

 蓮人に謝って、許してもらえて。

 勢いのまま告白と……は、初めてのキスも捧げて。


「ありがとう」


 そう、蓮人は言ってくれた。

 あれは告白の返事じゃない。きっと、迷っていた蓮人を後押ししたことに対するお礼だ。

 もしかしたら、蓮人はあれ自体告白だと思ってもいないかもしれない。

 それならむしろ好都合で、これからドンドンアピールしていって、また振り返ってくれればいい。なんせこっちは一度告白されている分、大きなアドバンテージがあるはず。

 そう、思っていたけれど。

 この予感は、が間違いだったと、もう遅いと。

 そう告げらているような気がした。



 結局、蓮人が戻ってきたのは九時を過ぎたころ。

 わたしが知る限り、蓮人がこんな時間までで歩くことなんて、美心ちゃんがいるとき以外では初めてだった。

 あの黒い車で送られてきたし、間違いなく、さっきまで一条さんと一緒にいたのだろう。

 どこに行っていたのだろうか。

 もしかして、一条さんの家に言っていたのかな。

 ということは、ご家族に会ったり、或いはことをしていた可能性もあるわけで……。


 そう考えると、心臓を掴まれたように胸が痛くなるのを感じた。

 蓮人の声が聞きたい……。

 蓮人に電話をしようか、そう思ってRINEのトーク画面を開くが、もし一条さんと電話をしていたらどうしよう。着替えやお風呂入っていたら迷惑かもしれない。

 そう思うとなかなか”発信”をタップすることができないでいた。

 どれくらいか。そんなに時間は経っていなかったように思う。

 蓮人が車に乗って行ってすぐ送っていたメッセージに既読が付いた。

 いまだ、かけるなら今しかない!

 そう思って、蓮人に電話をかけた。


 ……また、わたしの悪い癖が出てしまった。

 蓮人の話を聞かず、こちらの言いたいことを一気に捲し立ててしまう悪癖。

 それでも、どうしても蓮人と話がしたかった。

 今話さないと、きっと後悔する。そんな気がしたから。

 わたしはいても立ってもいられず、部屋を飛び出して、すぐ隣の家――蓮人の家のインターホンを鳴らした。



「うん、僕は、奏のことが好きだ」



 そして、私の恋は、終わった。



 *****



 奈乃の涙が頭から離れない。

 奈乃はきっと、本当に僕のことを好きでいてくれてたんだろう。

 僕も奈乃が好きだった。いや、今でも好きだ。

 でもそれは、奏に対する好きとは違うもので、きっと美心に対する好きとも違うような気がする。


「……眠れない」


 スマホを確認すると、時刻は夜中の二時。

 なかなか寝付けずにいた僕は、なにをするでもなくスマホを手に取る。


「あ、そういえば」


 美心からのRINEに返信していなかったことを思い出す。

 とは言ってももうこんな時間だから、返信をしても迷惑が掛かってしまうかもしれない。なので内容の確認だけ。

 真っ暗に慣れてしまった僕の目にスマホの光は眩しすぎるらしく、画面を直視できないが、すぐ慣れたのでロックを解除。

 RINEアプリの一番上にピン留めされている美心のトーク画面を開いた。

 挨拶から次に帰る日が待ち遠しいなんて可愛らしいメッセージが数件が送られており、微笑ましい気持ちになる。が、最後に送られてきているメッセージがやけに気になった。


『そういえば、マナちゃんのお兄さんが明日有名な会社のお嬢様と縁談があるらしいの。相手はお兄ちゃんと同じ年らしいけど、もしかしてお兄ちゃんのお知り合いだったりして!』


 マナちゃん。何度か会ったことがある、美心の友達の名前だ。

 確かマナちゃんのご両親は県内じゃ有名な医療法人の経営者で、奏に負けず劣らずのお金持ちらしい。

 マナちゃんから聞いたことがある。東京の医大に通っている優秀な兄がいると。

 僕の感覚で判断すれば、奏のような社長令嬢の夫にはふさわしいように思えた。

 でも、もしその人が奏の縁談相手なのだとしたら、絶対に認めるわけにはいかない。

 もしマナちゃんが僕に話してくれたお兄さんの人となりが真実なのだとしたら、絶対に。



 ――私の兄は確かに優秀なのですが、それを鼻にかけて傲慢に振舞う、人としては決して尊敬できないような兄です。

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