2.邂逅。そして、開口……塞がりません。
迎えた放課後。
玄関で部活に行く純平と別れた後、例によって両腕には
「桜庭さん? いつになったらわたしのカレシに付きまとうのをやめてくれるのかな?かな?」
「一条さんには関係ないよね?」
「関係ないわけなくない?」
そしてこちらも例によって例のごとく、二人が揃えばやはり言い合いになってしまい……。
いい加減僕を挟んで喧嘩するのはやめてほしいところだが、今日は奏の動きに変化が見られた。
「……ま、ここはわたしが大人になるよ」
なんと、いつもはネオジム磁石もかくやという程強力にくっついている僕の右腕を自ら解放し、半歩離れたのだ。
こんなことは交際開始以降一度もなかった。
「え!? 桜庭さん、いいの?」
あまりのことに奈乃でさえ驚いて、奏に確認をとる始末。
「………………もちろん」
平静を装っているなのだろうが、よく見ると後ろ手に組んだ左手の甲を思いっきりつねっている。
そんなに無理するならそんなことしなければいいのに。乙女心というのは難しい。
「じゃ、じゃあ遠慮なく……えいっ……ふ、ふふ……」
奈乃はと言うと、さっきまで勝手に抱き着いていたくせに、正式に許可が下りるとなぜがためらっている。
しかし、すぐに再び抱き着いてきて、遠慮なくと言った矢先に遠慮がち。そっと僕の腕に顔をうずめた。
奈乃が体重をかけるので体を少し左側に傾けつつ校門を抜けると、ドイツメーカーのセダンが停まっているのが見えた。
この辺ではめったに見ない高級車だが、僕は一度だけお目にかかったことがある。
タイミングよく、運転席から柔和な微笑みを湛えたロマンスグレーの男性が降りてきて、慇懃に頭を下げた。
やっぱり、この高級車にしか許されないピアノブラックは――
「奏様と、そちらが蓮人様ですね? お迎えに上がりました」
奏の家の車だ。
「さ、蓮人君。 いきましょ♪」
「……??????」
奏が揚々と後部座席に乗り込む姿を、奈乃が呆然と見つめている。
先ほどまで僕の左腕をがっちりホールドしていた奈乃の腕も、気が付けば力なく添えられているだけになっており、引っ張ると簡単に解けてしまった。
……なるほど。
この瞬間に与えるダメージを極限まで大きなものにするために……。
恐るべし、一条奏……。
僕は幽体離脱から戻ってこない奈乃に一応別れの挨拶をして、車に乗り込んだ。
「蓮人君♡ 蓮人君♡ すきぃ……♡」
車内での奏のすりすり攻撃は止まることはなく。
むしろ車の中というある種の密室空間に舞い上がってか、いつも以上に感情表現が激しい。
密室とは言っても、別に二人っきりではないわけで。
微笑む運転手の男性――
いうらしい――とルームミラー越しに目が合うのが、とても恥ずかしくていたたまれない。
「あうぅ……蓮人君のにおい……ブレザーおいしい……あむ」
いつの間にか頭を擦り付けるだけじゃ飽き足らず、僕のブレザーの右腕部分をかじかじしている奏。
「奏さん? ブレザーは食べるものじゃないですよ?」
「……ぅあう?」
ぅあう? じゃなくて。……いや、可愛いんだけどね?
しかしこれ以上は僕のブレザーがびしょびしょになってしまうし単純に恥ずかしい。
湿って少しだけ色が濃くなった部分を隠す様にさすると、今度はその手をかぷりと甘噛みしてくる。
「うわあ!? 奏!?」
「はむはむ……」
ヤバい。どうやら奏がおかしくなってしまったらしい。完全に制御が利いていない。
というかくすぐったい。
「はむ……んっ……じゅるっ……」
「おいおいおいおい……うひゃ!?」
しかも甘噛みからエスカレートして、人差し指を舐めはじめた。いや、これは舐めるというより、もはやしゃぶっている。
僕の指を、アイスキャンディーでも味わうかのように奥まで咥え、かと思えばゆっくり引き抜いて指先をちろちろと舌で
奏が頭を前後に動かすたびに、指に引っ張られるようにわずかに形を変える唇がやけに艶めかしくて、視線がくぎ付けになる。
奏の熱を帯びた口腔内は温かいどころかむしろ熱いくらいで、唾液で湿った指が柔らかい壁を押してその綺麗な頬の輪郭を内側から歪ませる。
いつの間にか、奏のスロートは早く、そして大きくなっていき、伴ってこみあげる得も言われぬ快感。
その背徳に飲まれそうになって――
「いや、CERO変わっちゃうからやめろ!」
「ひゃうっ」
一気に指を引き抜いた。
新堂さんの咳ばらいが聞こえていなかったら、ヤバかった……。
*****
車に揺られること十五分。
小説的に”揺られる”とは表現したが、実際は全く揺れることはなく、ロードノイズもほとんど感じられなかった。
さすが高級車。感動。
「うっ……ひゃあ……」
そして目の前に
ここが……
「わたしのおうちだよ!」
「おっきいねえ……」
初めて見るようなサイズ感の家を目の前に、気の抜けたしょうもない返事しか出てこない。
例えばこれが、ラノベでよく見るような「ほぼお城じゃん!」「こんなのありえないだろ!」というレベルなら逆に落ち着けるかもしれないが、あくまで”家”で、しかしとんでもないサイズ感。外壁からして金がかかってることがわかるオシャレハウス……。
「これくらいならありえそう」の上限スレスレ。絶妙なラインの豪邸が、あくまで”現実”であると言わんばかりに屹立しているその様は、まさに圧巻。
やっぱり奏はとんでもないお嬢様なんだなと
観音開きの扉をくぐるとまずお出迎えするのは僕の家のリビングより大きい玄関。
左右にずらっとメイドさんが並んでて、「おかえりなさいませ、お嬢様」……ということはなく、少しだけ安心。
この後光が差して見えるクソデカ壺となんかよくわからないけどとにかく意匠を感じる絵画がなければもう少し落ち着けたんだけど……あるものはしょうがない。
「こっちだよ」
奏に案内されるまま螺旋階段をのぼり、つきあたりの部屋に入る。
まず目に入ったのは天蓋付きの大きなベッド。
そして鼻腔を刺激する甘くて柔らかな女の子の香り。
奏から香ってくる匂いと、同じ匂いだ。
何を食べたらこんなにいい匂いがするんだろうか。……同じものを食べても、僕からこの匂いがすることはないだろうけど。
「パパは仕事でもう少しかかるから、帰ってくるまで待っててね」
そう言って、制服のまま壁際に置かれた五人くらい座れそうなソファに腰を掛け、隣をポンポンと叩いている。
おそらく隣に座れという事であろう。
素直に従って、奏の横に腰かける。……うわ、すごいフカフカだ。
座った瞬間腰が沈み込み、まるでソファに包まれるような感覚になる。
自分の家のソファも決して安物ではないはずだが、これはレベルが違う。
座り心地もそうだが、白を基調とした部屋にマッチしたデザイン。土台部分にはウォールナットが使われており、それが高級感をグッと引き立てている。おそらくオーダーメイドなのだろう。
「えへへ♡ 蓮人君!」
「うわっ!?」
僕がソファに感動していると、いつの間にかブレザーを脱いだ奏が抱きついてきた。
しかし、油断していたせいか、あるいはソファーのクッション性のせいか……。僕の体は奏を支え切ることができず、そのままソファに仰向けに倒れてしまった。
奏が僕に馬乗りのような体勢になる。
目の前には、赤く染まった奏の顔。
潤んだ丸い大きな瞳は見開かれ、視線は僕の顔の下半分――唇に注がれている。
しなだれる奏の髪先が、僕の頬に触れくすぐったい。
僕の頬に何か水滴のようなものが落ちた。
汗。奏の。
吐息がかかる。
鼓動がうるさい。
奏の顔が、少しずつ。少しずつ近づいてくる。
僕の顔に影が落ちた。視界が遮られる。
きらっと、蝶の形のヘアピンが光った。
もうあと一センチ。一センチで唇が触れ合う――
Prrrrrr ――!
「「――っ!」」
直前で、静寂を切り裂くように甲高いベル音が鳴り響く。
奏のスマホが、着信を知らせるようにカバンの中から振動を伝えていた。
「あ、もっ、もしもし!」
奏が慌てたようにスマホを取り出し、わたわた画面をスワイプして電話に出る。
「パパ、どうしたの? ……うん、うん……わかった……じゃあね」
どうやら相手は父親らしく、何度か頷くと一般と経たずに通話が終わる。
電話を切ると、スマホを握りしめて大きく息を吐き、こちらに向き直った。
僕はもうソファに座り直していて、奏も隣に腰掛ける。
「もうすぐ帰ってくるみたい。……応接間で待ってるようにって」
流石の奏にも、緊張の色が見える。
彼女の父親に会うのも相当勇気がいるが、父親に自分の彼氏を紹介するというのもそれと同等以上に緊張するものなのだろう。
まして、今回は事情が事情だ。
僕は少し乱れた服を直して、普段は苦しいからと外しているシャツの一番上のボタンをしっかりしめて、ネクタイを結び直した。
*****
「き、緊張する」
「大丈夫、パパ、優しいから。……見た目の割には」
「その"見た目"が重要なんだよなぁ」
応接間のソファに二人並んで腰を下ろし、奏の父親の帰りを待つ。
黒い革張りのソファで、奏の部屋のものとはまた違ったベクトルで高級感にあふれている。
中学生の頃一度だけ入ったことのある校長室にあるあのソファの、最上ランクというのがわかりやすいかもしれない。
そうして待つこと数分。
コンコンとドアがノックされ、反射的に立ち上がり入り口に向き直る。
ゆっくり開かれたドアからは、一八◯センチはありそうな男性が現れた。
黒髪をオールバックにし、チャコールグレーのシングルジャケットに、同じ生地のダブルベストを合わせている。ノータックのスラックスは、センタープレスが新品同様綺麗に入っており、元々の仕上がりも手入れも最高品質。まさに完璧なスーツスタイルだ。
そして、その鋭い
「君が藤原蓮人君かい?」
――ゾクリ。
名前を呼ばれただけで背筋が凍るような威圧感。これが多くの人間のトップに立つ男の風格……!
だけど僕だって怯む訳にはいかない!
両手を強く握り、負けないようにその目を見つめ返した。
「はい。奏さんとお付き合いさせていただいてます、藤原蓮人です」
「……」
「……」
しばらく、無言で視線をぶつけあう。
実際は十秒にも満たないような僅かな時間。だけど僕にとっては、一時間のようにも感じられた。
背中を汗が伝う。
やがて、先に口を開いたのは奏の父親だった。
「えーー!? めっちゃイケメンじゃーん!! 奏ちゃんやるぅー!!」
……。
…………。
…………………………え?
「でしょー? さすがパパ、わかってるー!」
「ちょ、マジで馴れ初めきかせてよー! ねえねえ、どっちから告ったん?」
「えー? 恥ずかしいよぉ♡」
「いやマジでマジで! ママには黙っとくからさ? こっそり! こっそりきかせてみ?」
「もーしょうがないなぁ……。えっとねー、わたしから♡」
「きゃーー!!! 我が娘すげーーー!!!」
「やめてよパパー!!」
……え?
いやいや……は?
なんか思ってたのと違うんだけど……。
あの登場時の厳格さは何だったの……?
奏と恋バナに花を咲かせたあと、喜色満面の笑顔でこちらを向き、名刺を差し出してくる奏パパ。
「改めて、奏の父の、
「ど、どうも……」
差し出された名刺を両手で受け取り、ぺこりと頭を下げる。
名刺を見ると、確かに『一条社代表取締役 一条肇』と記されていた。
「いやー、娘が全然教えてくれないものだから私も最近まで君のことを知らなくてね。挨拶が遅れて申し訳ない!」
「と、とんでもないです! 本来は僕からご挨拶に伺うべきでしたのに、すみません」
「ははは! 奏ちゃん、彼はしっかりした少年だね!」
肇さんはあははは! と快活に笑って僕の肩に腕を回してきた。
なるほど、これは確かに奏の父親だ。
「あの、ちなみに」
「ん? なんだい?」
ここにきた本来の目的を忘れそうになったので、無理やり本題に入ろうといささか強引ながらも切り込むことする。
「本日は奏さんの彼氏として、僕が相応しいかどうかの話をしていただくものと存じておりましたが……」
僕が知ってるなるべく丁寧な言葉遣いで、慇懃にお伺い立てる。
しかし、肇さんは少し目を丸くして、また大口を開けて笑った。
「ははは! 藤原君! 君は私の娘が惚れた男だろう? 相応しいかどうかなんて、わかり切ったことじゃないか」
「……?」
当たり前のように言う肇さんは、僕がわからないでいると肩をポンポンと叩いた。
「私は娘を、変な男を選ぶような子に育ててないからね」
そしてやっぱり、当たり前の事のようにそう言った。
チラッと隣を見ると、奏も満足そうに頷いている。
そっか、僕はどうやら認めてもらえたらしい。
だったら、僕の答えは一つ。
もうずっと前に気付いていた、けれど奏に伝えられていなかった僕の気持ち。
今この場で、はっきり伝えよう。
「奏」
「――は、はいっ」
僕は体ごと奏に向き直り、その肩を両手で優しく掴んだ。
奏はビクッと一瞬体を震わせ、朱の差した顔で僕を見つめる。
「僕は、君の許婚になる。僕と結婚しよう」
「〜〜〜〜っ♡♡」
僕が出した答えを聞いて、奏はさらに大きくその体を震わせた。
顔は熱せられた鉄の様に真っ赤になり、湯気でも立ち上りそうな様子だ。
「……あー、そのことなんだけどさ」
今からちゅーします!くらいの雰囲気を一瞬で鎮めさせたのは、肇さんの申し訳なさそうな声。
「
居心地の悪そうに後頭部を掻いて、僕と奏に頭を下げた。
「その御子息が納得してなくてね、縁談をなかったことには出来なかった」
心底申し訳なさそうに頭を下げる肇さんを見て、僕と奏は顔を見合わせる。
「肇さん、頭を上げてください。僕たちが困ってしまいます」
「……本当にすまないね」
縁談を断れないこと自体はわかってた。奏からも聞いていたし、きっとその後も改めて頼んでくれていたのだろう。
僕と奏が蒔いた種だし、肇さんを責めるのはお門違いだ。
「つまり、一度会った後にご縁がありませんでした、でいいんですよね?」
「……まあ、それなら先方も無理矢理食い下がってくることはないと思う」
「じゃあ、何も心配ないですよ。奏は僕と結婚します」
万が一奏が向こうを選ぶのなら、その時はその時だ。
正々堂々、真正面から奪えばいい。
僕がそう伝えると、肇さんはまた豪快に笑って、僕の肩をさっきよりも強く叩いた。
正直少し痛いが、不思議と気分はいい。
「蓮人君!!! わたし絶対蓮人君と結婚するから!」
ガバッと飛びついてくる奏を受け止めて、強く抱きしめた。
「じゃあ、縁談は明日の十七時からだから、よろしく頼むね。場所は後で奏にRINEしておくよ」
それじゃ、私は仕事に戻るから!
そう言って颯爽と肇さんは去っていった。
取り残された僕ら二人は、あまりに突然に決まった日程に戸惑うばかりで。
まさに開いた口が塞がらない。
そして僕は改めて確信した。
うん、二人は間違いなく。
親子だね。
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