第三話 許婚奪還計画

1.彼女の家族に会うときの緊張感は異常

 太陽sunさん燦々さんさん朝の教室。

 ニコニコ満面の笑みの奏さんとぐったり意気消沈の僕散々。

 よく見る朝の光景としてすっかり浸透していたこの組み合わせも一週間ぶりともなると新鮮味を取り戻すらしく、周囲からの注目を集めていた。

「は、ハワイ旅行?」

「うん、そうだよ。一週間たっぷりね」

 と、いうことで。

 僕が悩みに悩んだあの一週間、奏はワイハでセーパラパラセイリングやらケーシュノシュノーケリングやらを満喫していたと思うとさすがの僕もである。

 ……が、どうやら四月のハワイは”メリー・モナーク・フェスティバル”というフラダンス界のオリンピック的祭典があったり、単純に様々な花が一斉に咲き誇る時期だったりと、夏にはない魅力があるらしい。

 良かった。ブギーボード片手のハワイアンチャラ男にナンパされる奏はいなかったんだね……。

 それはそうと、納得いかないことが一つ。

 あの涙は一体何だったのか。みんな疑問よな。藤原、動きます。

「じゃあ、あの日のセリフと涙は一体……」

 ぶつけるは素朴な疑問。

「え? だって蓮人君と一週間も会えないなんて寂しすぎて考えただけで泣けちゃうよ」

 返ってくるは素っ頓狂な返事。

 ははは。おふざけあそばれているようだ。

 しかしまあ……。まるで当たり前とでも言わんばかりにキョトンとした顔で言ってのける奏に、僕は怒る気力も削がれてしまう。

 つい苦笑いを浮かべると、奏はえへへとはにかんだ。

「本当はちょっとだけ意地悪しちゃった。てへ?」

 そう言って、奏はぺろっと少しだけ舌を出して顔の前で両手を合わせる。

 あまりに可愛くて、不覚にもドキッとしてしまう。……いやいや、誤魔化されないぞ。

「だからって、何も言わず一週間も連絡が付かないなんて、心配するじゃないか!」

「そ、そうだよね。ごめんね、蓮人君」

 素直に頭を下げる奏。しかしすぐに頭を上げ、しかもその顔には「不満です」と大きく書いてあった。

「でもさ、蓮人君も蓮人君じゃないかな!?」

 唐突な逆切れ一丁に一瞬たじろぐ。

 僕が後ずさった分、奏は前のめりになり、お互いの位置関係は変わらない。

「あの時、どうして追いかけてきてくれなかったの!」

 ほう、そうきたか。

 確かにね? 純平のようなイケメンや、アニメの主人公ならそうするかもしれない。

 でもそれはやっぱり、彼らだからできることであって。

 実際その立場になったとき、僕のようなモブAの足は石化魔法ブレイクを食らったように動かなくなってしまうものだし、大型ショッピングモールを以てしても石化解除アイテムきんのはりは手に入らないわけで。

「あそこでネタバラシするつもりだったのに蓮人君は来てくれないし、家に帰って電話で伝えようと思ったら出発が早まったからってパパに強制連行されて連絡は出来ないし……いろいろ計算外だったんだよお」

 ごめんねえ、ごめんねえと、僕に抱き着いて頭をぐりぐり擦り付けてくる奏を宥めているうちに、少しだけわだかまっていた怒りも霧散してしまう。

 ――ふいに、なにがあっても、なにをされても、奏がそばにいてくれるなら許せるような、そんな気がした。

 ……ま、それはそうと。

「マジであの二人ラブラブじゃん……」

「俺は信じない、信じないぞ……」

「諦めろ。俺は最近目の前で見せられることに興奮できるようになってきたぞ」

 さすがにみんなの前ではやめてもらえませんかね?

 あと最後の奴ちょっとツラかせ。鮮血で染めてやんよ(返り血)。

 結局、奏の甘えん坊モードはホームルーム開始のチャイムが鳴るまで続き、その間嫉妬と怨嗟の視線を浴び続けるのだった。



「でもね、ホントに大変な問題もあるんだよ」

 そして昼休み、例によって屋上で弁当を食べていると、突然奏がそんなことを言いだした。

 顔はいたって真面目で、困っているのは間違いないのだろうが、なにせ右手は卵焼きを箸でこちらに差し出し「あーん」の構えをしているものだから、いまいち緊張感がない。

「もぐもぐ……なにかあったの?」

 差し出された卵焼きを咀嚼し、飲み込んでから返事をする。

 奏は少しの間手許の弁当箱に視線を落とし、顔を上げないまま口を開く。

「……パパがね、縁談の話を持ってきてね。勝手に先方と約束を取り付けちゃったの」

 ドクン、と、僕の心臓がはねた。

 あの日奏に口づけをされた時と同じ心臓の動きなのに、あの時とは百八十度違う。底冷えするような嫌な感覚だ。

 僕が何も言えずにいると、奏は一口、蓮根のきんぴらを箸で上手につかんで食べた。

 その洗練された所作を見ていると、やっぱりいいとこのお嬢様なんだなあと再認識してしまう。

 僕が想像するお嬢様と言えば、「ですわ」やら「うふふ」といった言葉遣いでしゃなりしゃなり……みたいなステレオタイプのもので、目の前にいる彼女の様に、僕の匂いを嗅いで「ぐへへ」などとよだれを垂らしている少女とは正反対のものだった。

 そのためときどき忘れてしまいそうになるが、やっぱり彼女はお嬢様で、そういった縁談の話があるのも当然と言えば当然なのだろう。

「それでね、蓮人君にお願いがあるんだ」

「お願い?」

 いそいそとお弁当箱を片付けて、こちらに向き直る奏。

 上目遣いで瞳を潤ませる彼女はとても可愛くて、庇護欲をそそり……そしてとても嫌な予感がする。

 聡明な皆様方はもうお気付きかと思うが、奏がこの目をするときはもれなく厄介ごとが起こる前触れで。

 そして、嫌な予感というものは、やはり当たるものらしい。

「一緒にお父さんを説得してほしいんだ」

 うるうるお願い♡

 なんて聞こえてきそうな瞳に見つめられると、僕としては

 無下にできないが、だからと言って事情が事情だけに安請け合いもしてられない。

 お父さんを説得。

 これが僕ら一般家庭における親子のいさかいならば力になれることもあるかもしれないが、なにせ彼女の父親はつまり「一条社」のトップとイコールなわけで。

 本来ならば僕なんて、気安く会うこともできない存在だろう。

 そんな奏の父親に対して、僕が何をどう説得しろと言うのだろうか。

 しかし考えようによっては非常にいい機会にも思える。

 僕が後回しにしてきたを、今なら本人に聞けるのではないか。

 そうと決めたらすぐ行動。日和って気が変わる前に聞いてしまおう。

 変わらず僕を見上げる奏の目を、僕もまっすぐ見つめ返す。

 一瞬、奏の瞳が揺れ、途端に顔が赤みを帯びていく。

 ……改めて見つめあうと、あまりの可愛さに心臓が飛び跳ねてしまう。

 可愛すぎてすべてがどうでもよくなってしまいそうになるが、今回ばかりはそういうわけにもいかないので、太ももをつねって自らを奮い立たせた。

「奏と結婚する人は、将来的にお父さんの会社を継ぐことになるとか、そういう問題ってあったりしないの?」

 そう。これは付き合うことになった次の日から、ずっと僕の胸にわだかまっていたもの。

 しかし、奏から返ってきた言葉は僕の悩みの大きさとは反比例に簡単だった。

「あー、わたし兄さんがいるから。会社のことは何も関係ないよ?」

「……ほぇ?」

 あまりにあっけない奏の言葉に、つい間抜けな声が漏れてしまう。

「会社は兄さんが継ぐから、私と結婚しても、例えば重大なポジションに据えたりすることはないよ」

 ま、縁故就職くらいはさせられるかもしれないけど。

 奏はミントタブレットを二粒、その小さい口に放り込んでぽりぽりあむあむ。

 なーんだそんなこと、なんて言い出しそうな顔で、ごろにゃあと僕の腕に頬ずりをしている。

 となれば、すべて僕の杞憂だったらしい。それはいいのだが、じゃあ縁談というのは一体何なのかという新たな疑問が浮上するわけで。

 いわゆる政略結婚的なものを強要されて、望まぬ相手と……というのが一番に思い浮かぶが、そうではないのだろうか。

「わたしは兄さんがいるおかげである程度自由にさせてもらっていたんだけど、一条家の娘として早いうちに身を固めるようにと言う事だけはずっと言われていたの」

 ごろにゃあから、一転真面目な表情で話す彼女につられ、僕も黙って頷く。

 僕らにはなじみのない話だが、一条さんほどの家柄になると、いわゆるそういった世間体も大事であろうことは想像に難くない。

「ただ、パパはあくまでわたしには自由にさせてくれるから、その相手も自分で決めることが許されてたんだ」

 であれば、先の”縁談”という話とは矛盾することになる。

 そんな僕の疑問をわかってか、けど、と奏は続けた。

「それにはタイムリミットがあってね。それが、高校二年生の四月まで、だったの。そこまでに見つからなかったら、パパが選んだ相手の中から選ぶようにって」

 なるほど、そういうことか。なるべく奏の自由を縛らないで、その上で早く身を固めるという至上命題も守るためとして、落としどころとしては無難なように思える。

 ……でも、あれ?

「つまり僕が許婚じゃなくて、交際相手という段階だから間に合わなかったってこと?」

「……実はね。パパから言われていた条件は、なにも婚約じゃなくても、交際相手――平たく言えばカレシを作ればそれでよかったの。あくまで結婚を前提に考えられるような、パパのお眼鏡に適うようなカレシ」

 そこまで言うと、口をつぐんでなにやら太ももをもじもじとこすり合わせる。

 ふむふむ。つまりあれか?

 本来は僕と付き合ったことにより、基本的にはお父さんからの条件はクリアできる見込だったにもかかわらず、何かしらのアクシデントによりリミットを迎えてしまったと。

 そしてそのというのがつまり。

「……パパに蓮人君の事話すの、すっかり忘れてた、なんて……。えへ♡」

 うん。知ってた。

 でも大丈夫。既にそんなところも可愛いねって思える程度には篭絡されてしまっている。

「慌てて蓮人君のお話をしたんだけど、もう約束してしまったから会うだけあってくれってパパに言われちゃって……。顔をつぶすわけにもいかないし、とりあえず会う事にはしたんだけど……」

「どのみちお父様への挨拶お目通しが必要だから、会ってほしいってこと?」

「……つまり、そゆことです」

 申し訳なさそうに縮こまって、僕のブレザーの袖をちょんと摘まんで、うるうる上目遣い。

 それをされちゃうと僕はもう逆らえない。彼女の望みはすべて聞いてやらねば気が済まなくなってしまう。よくない傾向だ。でも、なんだか心地良い。

「うん、わかったよ」

 だから、僕は素直に奏のお願いを受け入れた。

 正直、奏から頼られた時点で、断るという選択肢は僕の中には存在していなかった。

 なぜこんなにも、僕は彼女の笑顔を渇望するのだろう。

 なぜこんなにも、僕は彼女にそばにいて欲しいと願うのだろう。

 なぜこんなにも、僕は彼女のために何かしたいと思うのだろう。

 気付いてしまえばなんという事はない。

 単純で、簡単な話だ。

 僕はこんなにも、彼女に惹かれている。



「じゃあ、早速今日の放課後にパパのところに行くことになってるから、よろしくね!」

 にっこり。

 太陽のkanade-angel、満点スマイル。


 うん、マジで。

 報連相、しっかりしようよ。


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