5.夕日のせいじゃない。 でもそれは、太陽のいたずら。
「えー、一条だが、家庭の事情でしばらく休むことになったので、暇な奴は代わりにノートでも取ってやってくれ。以上」
昨日、僕は奏にお別れだと言われた。
つまり、僕はこの短い期間に二度フラれたことになる。
いつも通り朝家の前に立っていることはないだろうと思っていたが、まさか学校すら休むとは……さすがに予想外だ。
家庭の事情、ということは、体調不良ではないだろう。
……もう好きじゃないから、実はあそびだったから。
そう言ってフラれたのなら、僕はショックは受けただろうが、ここまで動向を気にすることはなかった。
僕が引っかかるのは、その前の彼女の一言。
確かに、僕が好きだと、大好きだとそう言ったんだ。
もしそれが本当なら、別れるという話にはならないはずだ。
……授業が始まるまでに、まだ時間はある。
僕はスマホを取り出し、RINEを開く。
トーク画面から、奏を選び手短に文章を送った。
そして午後の授業が始まった今になっても、まだ既読はついていない。
*****
「蓮人! 一緒に帰りましょ!」
放課後になり、奈乃が一目散に僕の席へやってきた。
純平も心配してくれるが、正直言ってそんな気分でもない。
というか、気が気でなくてそれどころじゃないというほうが正しいか。
「蓮人、桜庭さんも。今日暇か?」
奈乃に促されるまま帰り支度をしていると、純平が大きなエナメルバッグを担いでやってきた。
「僕は何もないけど、どうしたの?」
「じゃあさ、ゲーセンでもいかね?」
純平は少しずれ落ちたバッグを担ぎなおし、いつものイケメンスマイルで白い歯を光らせる。
「へえ、たまにはいいかもね」
奈乃が賛同するが、僕はやっぱりいまいち気乗りしなかった。
それに、
「純平、今日は部活じゃないの?」
そのエナメルバッグも部活用だろうし、ゲーセンとは言ってもあまり遅くなっては困る。
そう思って聞いたのだが、純平は大丈夫だとサムズアップして見せた。
「
純平は当たり前のような顔でそう言って、僕の肩に腕を回す。
「な!行こうぜ。少しは気も紛れるだろ」
「……うん、ありがとう!」
……不思議だ。
さっきまで何も手に付かないくらい気分が沈んでいたのに、
およそ初めての経験に、僕は胸が高鳴るのを感じて、純平と肩を組みあうように腕を回した。
いつか、僕も純平にとってのそんな存在になれるように、なんて考えながら。
「さあ、行こうぜ、親友!」
「うん! 行こう、親友!」
そして僕らは、肩を組みあって歩き出す。
目指すはゲームセンター。
もう僕たちの足を止めるものはなにもない。
純平となら、どこへだって――
「ちょっと! わたしを置いていくな!」
……あ、忘れてた。
*****
「へえ、いろんなゲームがあるのね」
やってきたのは、昨日も来たショッピングモールの中にあるゲームコーナー。
ワンフロアまるまる使われており、ボウリング場やカラオケルームなども併設された、一日中いても遊びきれないような県内有数の遊びスポットだ。
ここに来る途中、あの連絡通路の前を通りかかったが、純平のおかげで気分が落ち込むことなく済んでいる。
「桜庭さんは結構来てそうなイメージだけど」
純平の疑問に、奈乃はまあね、と続ける。
「よくは来るけど、やっぱり女の子だけだとプリクラコーナーかカラオケしか行かないから、この辺りは初めてよ」
「へえ、そうなのか」
「……最近は、サナたちとも一緒にいないし」
ぼそっと、奈乃が何かつぶやく。周りのゲームの音がうるさく、純平は聞こえていないようだが、僕の耳には届いていた。
とても寂しそうな顔をしている奈乃をみて、僕はなんとなくわかってしまう。
なぜサナたちと一緒にいないのか、その理由も。
きっと、僕のせいだ。そしてきっと、僕のためだ。
「奈乃」
たまらず、奈乃を呼んでしまった。どうしよう。何も考えがまとまっておらず、なにを話したいのかもわかない。
でも、何か言わないといけないと、咄嗟に行動してしまった。
「あの……さ。ちゃんと言えば、きっとわかってくれるよ。よくわからないけど、喧嘩してるんでしょ?」
こっそり言っても聞こえないだろうし、大声を出せば純平に聞こえてしまう。
そう思って、奈乃の耳元でしゃべったのだが――。
「――っ!!!????」
それが良くなかったのだろう。
突然で驚いたのか、飛び跳ねるように後ずさった奈乃が、ちょうど後ろを通りがかった若い男性にぶつかってしまった。
「きゃっ!?」
「うお!?」
ぶつかられた男性は少しよろけるだけで済んだが、奈乃のほうは弾かれてこちら側に大きく倒れこんできた。
咄嗟に受け止めたのでけがは回避したが、奈乃を抱きとめる形になってしまい、目の前に奈乃の顔がある。
男性は迷惑そうにこちらを一瞥し、謝る隙すら与えずそそくさと去っていった。
あとに残されたのは僕たち二人だけ。……純平どこ行った?
それより、わからないのは奈乃だ。
本来なら好きでもない男に抱きしめられるような状態になれば、それこそ飛び上がるように離れるはずだが、そんな様子は一切なく。
むしろ顔に朱を差して、潤んだ瞳で僕を上目遣いで見つめるその様は、なにか
「――っ、ご、ごめん!」
と、奈乃が突如目を丸くして、我に返ったように僕の腕の中から飛び出した。
……よかった。正直、心臓がバクバクで奈乃にバレないか気が気でなかった。
「う、うん。けががなくてよかったよ」
そういいながら、僕はつい考えてしまう。
あの瞬間、奈乃は何を考えていて、なにを求めていたのだろう。
もし僕があの日奈乃に告白しておらず、あの瞬間初めて想いを告げていたら、結果は変わっていたのだろうか。
なんの意味もない仮定に、我ながら辟易としてしまう。
奏が急にいなくなって気持ちの整理がつかず、奈乃への未練も断ち切れておらず。そんな女々しい心の綻びが変なことを考えさせたんだろう。
そう結論付けて、神隠しに会った純平の捜索に気持ちを切り替えた。
結局なぜか一人プリクラを撮っていた純平と合流し、シューティングゲームやエアホッケーなど一通り遊んで解散。
例によって奈乃と一緒に帰宅し、部屋着に着替えたところで美心からのRINEに気が付いた。
トーク画面を開くと、今日は部活でこんなことがあったという近況報告と、『もう一日間もお兄ちゃんに会えていなくて倒れそう』という冗談交じりのメッセージが来ていた。
僕を気遣って、敢えて奏の件には触れない様にしてくれているのだろう。
そんなささやかな気遣いが、やけに嬉しくなってしまって、いつもより長めの文章で返信をした。
*****
あれから数日が過ぎ、気が付けば金曜日の放課後が来ていた。
その間も奈乃は休み時間ごとに僕のところまで来て、純平も含めて三人でいることが多かった。
奈乃は不慣れな料理を練習し、僕の好きな蓮根のきんぴらが入った弁当を作ってくれもした。
だけど、正直味を覚えていない。
結局その間、奏からは一切の返信がなく、それどころか既読すらついていない。
「ねえ、蓮人」
奏は、あの時どうしてあんなことを言ったんだろう。
奏は、どうして学校に来ないんだろう。
奏は、今何をしているんだろう。
奏は……。
「ちょっと、蓮人ってば!」
「っ!」
純平に体を揺さぶられ、奈乃の声で我に返った。
時計を見ると、もう放課後になってから三十分近くが経っており、かなりの間ぼうっとしていたらしい。
「蓮人、マジで大丈夫か? 最近そんなんばっかだろ」
「……うん、平気だよ。ありがとう」
「なら、いいけどよ……なんかあったら相談してくれよ」
「うん」
純平がそう言って肩をポンと叩く。こういう時に、友達のありがたみをすごく感じる。
ほんの数週間前までは、考えてもいなかったことだ。
あの時、奈乃に告白をしていなかったら……。
フラれはしなかったかもしれないが、奏や純平と関係を築くことはなかっただろう。
歩きながら話していると、あっという間に玄関まで辿り着く。
靴を履き替え、外へ出ると、純平が大きなエナメルバッグを担ぎなおして僕の肩を軽く掴んだ。
「じゃ、俺は部活があるからもう行くけど……マジで、絶対相談しろよ」
「うん、ありがとう純平。頑張って」
「……ああ!」
純平は相変わらずのさわやかスマイルを浮かべると、部室のあるグラウンドへ走っていった。
残された僕と奈乃は、ゆっくりと家に向かって歩き出す。
もう、この時間では夕日も弱くまだ空は青を湛えている。
二人に会話はなく、数日前みたいに奈乃が腕に抱き着いてくることもない。
ただ、足元ばかり見つめて歩くだけの時間。
「ねえ」
と、ちょうど半分くらいにきたところで、奈乃が口を開いた。
返事の代わりに、歩みを止めて隣を見やると、涙目になっている奈乃と目が合った。
「蓮人はそれでいいの?」
「……なんのこと」
本当にわからなくて聞いたわけじゃない。
この話をしたくなったから誤魔化したつもりだった。
でも奈乃はそんなことを許してはくれない。一歩僕に歩み寄ると、僕のネクタイをグイっと引っ張った。
奈乃の顔が、目の前にある。
ともすれば唇が触れ合ってしまいそうな距離感で、心臓が高鳴るのを感じる。
「わたし、ずっと蓮人に謝りたかった。この前、蓮人が告白してくれた時の事」
奈乃は、ネクタイを引っ張る手を放して、両手でよれた襟首を正しながらゆっくりと話し始める。
あまりに脈絡のない発言に、少し戸惑ってしまうが、奈乃はお構いなしに言葉を続ける。
「本当は、嬉しかったんだ。でも、わたしがバカすぎて、いつもの感じで、ひどいこと言っちゃって……。本当に、ごめんなさい!」
そう言って、深く頭を下げた。
僕は、何も言う事ができず、ただ奈乃を見つめるしかできなくて。
何秒か経って、ようやく頭が整理される。
伴って、湧き上がってくるのは安心に近いような感情。
「……よかった」
ふと、自然にそんな言葉が漏れた。
「……え?」
奈乃は僕の言葉が予想外だったのか、少し驚いたように顔を上げる。
普段の奈乃からは想像もできないような、不安を湛えたその瞳に僕はたまらなく心が動かされ、思わず、その顔を胸に抱きしめた。
「ふにゅっ!? れれれれ蓮人、なななにして……!?」
僕の腕の中でりんごくらい赤くなった奈乃がうにゃうにゃ騒いでいるが、それがまた愛おしくて抱きしめる力が強くなる。
「奈乃に嫌われていたわけじゃなかったんだね。それが分かっただけで、僕は嬉しいんだ」
そして、出てきたのは僕の心からの気持ち。
「蓮人……。ホントに、ごめんね」
いつの間にか奈乃は落ち着いて、大人しく僕の胸に顔を預けている。
奈乃が息をするたびに、少しくすぐったくなる。
そうだ。僕はずっと前から奈乃が好きで、フラれてしまって、辛い思いもしたけれど、それでも嫌いになんてなれなかった。
抱きしめていた腕を緩め、奈乃の頭を少し離して見つめあう。
いまだ顔は真っ赤なままだが、その瞳にはうっすら涙が浮かんでいるように見える。
「ありがとう、奈乃。おかげで勇気がもらえたよ」
刹那、奈乃の瞳がわずかに揺れた。
それって――と、奈乃が言いかけたが、被せるように言葉を続ける。
「でもごめんね。僕はやっぱり、奏と別れるわけにはいかないんだ」
「……うん」
奈乃がうつむく。僕は、今どんな顔をしているだろうか。大好きな幼馴染にこんなつらそうな顔をさせてしまって、大きな後悔の念が襲ってくるのを感じた。
でも、もう立ち止まるわけにはいかないんだ。
「このままお別れなんて認められない。どうすればいいかはわからないけど、せめてちゃんと、奏と話をする」
これは、僕の決意。
そうさ。一方的に許婚になってだとか、付き合ってだとか言ってきておいて、散々僕を振り回した挙句、急にさようならだなんて納得できるはずがない。
僕をこんな気持ちにさせておいて、セキニンとってもらわないと気が済まない。
いくら美少女でお嬢様だからって、何でもかんでもわがままが通ると思うなよ。
「……ていうか、ごめんねってなによ。わたし、別に蓮人に告白してないけど?」
いつの間にかだいぶ傾いてきた西日に照らされて、奈乃が不服そうに唇を尖らせながら、僕の肩にパンチをお見舞いしてくる。
全然力がこもっていないのに、少し胸が痛んだ気がした。
「そうだよね、ごめん」
なんだか急に恥ずかしくなって、ごまかす様に笑う。
その時、急に僕の胸元が強い力に引っ張られて、前のめりに体が倒れこみそうになる。
どうやら今日二度目。奈乃にネクタイを引っ張られたらしい。
……どうやら人生二度目。僕は女の子に、キスをされたらしい。
奏と同じくらい柔らかくて、でも奏とは全然違う味がして。
脳を直接揺さぶるような甘さが、じんわりと広がってくる。
「な、奈乃……?」
「でも……そうね。わたし、蓮人の事好きよ。ずっとずっと、何年も前から」
その声は、声と呼ぶにはあまりにも小さくて、でも僕は聞き逃さなかった。
あの時、あの瞬間最も求めていた言葉だから。
「蓮人の優しいところも、いざというとき男らしいところも、綺麗で優しい手も、全部好き」
それに――。
「好きな子のために何かしようとする、そんなところも好きだわ」
奈乃の顔に笑顔が浮かぶ。その顔は、やっぱり赤くて。
あたりはすっかり茜に染まっていて、それが夕日に照らされたせいなのかどうかはわからない。でもきっと違うだろう。
少なくとも、僕の顔が赤いのは、夕日のせいじゃない。
「ありがとう奈乃」
僕はそれしかいう事ができなくて。
でもそれだけで充分で。
奈乃にはすべて伝わって。
だから僕は、急いで家に帰ろうと走り出した。
まずは奏と直接会う。そのためにできること、考えよう。
*****
「あ、蓮人君お久しぶり!」
さわやかな月曜日の朝、いつも通りに家を出ると、見慣れた少女。久しく見ていなかった笑顔。どうしようもない僕に降りてきた天使のような瞳。
ちょうど玄関から出てきた奈乃がこちらを見て固まっているのが見える。
「……え?」
奈乃が口をパクパク。
さすが幼馴染、考えてることも同じだね。真っ白だろ?
にっこり。
太陽さえ尻尾巻いて逃げるような最高の笑顔で大きな紙袋を掲げるその少女の名は。
「これ、ハワイのお土産! もちろん美心ちゃんと桜庭さんの分もあるよー」
「ええええーーーーーー!!!!?????」
一条奏。
僕の恋人だ。
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