3.妹かく語りき「じゃあ、お兄ちゃんは美心が貰いますね」
わたしにはお兄ちゃんがいます。
とっても優しくて、カッコよくて、素敵なお兄ちゃん。
わたしはそんなお兄ちゃんが大好きで――。
*****
朝。
いつもの寮のベッドではなく、お兄ちゃんのベッドで目が覚めます。
今日は日曜日。昨日お兄ちゃんが一人で暮らしている実家に戻ってきて、お兄ちゃんと一緒に寝て迎えた朝、別格です。
お布団の中があったかい。お兄ちゃんの優しい体温が、においが充満していて、一生ここから出たくないと思ってしまいます。
「うへへ……お兄ちゃん……はむはむ」
昨晩は抱きしめてくれてたお兄ちゃんの腕は、寝てる間に解かれていて、今は顔の間に置かれています。
わたしはその腕の中に挟まり、お兄ちゃんの胸に顔をうずめてシャツを甘噛みします。
口の中にお兄ちゃんの匂いが広がって、正直辛抱たまりません。
でも、わたしは我慢します。
わたしはきっと、お兄ちゃんにとっては妹でしかない。
いつかお兄ちゃんは同級生の女の子と恋に落ちて、恋人になって、妹じゃすることのできないいろんなことをその人とするのでしょう。
そう考えると、わたしの胸はいつも握りつぶされるように痛くなって……。
でもわたしは我慢するしかなくて、わたしは恋人にはなれないから、気にしないふりをするしかなくて。
毎日、お兄ちゃんのことを考えては、そのたびに辛くなるばかりです。
だけど、しょうがないですよね。兄妹として産まれてしまった以上、どこかでこの気持ちを割り切って、もしお兄ちゃんに彼女ができても、ちゃんと妹として祝福してあげないと――
*****
「――って、なに本当に彼女作ってるんですかーーーーーーっ!!!!」
「え!? なになになに!? どうしたの!?」
朝ご飯を食べ終わり、リビングでだらだらしていると、美心が急に叫び出す。
あまりのことに驚いて、手に持っていたスマホをつい落としてしまった。
「どうしたのじゃ、ないです!」
「そんなこと言われても……」
本当に見当がつかないので、直前の自分の行動を思い返してみる。
美心が作ってくれたおいしい蓮根料理を平らげ、一緒に茶碗を洗って、コーヒーを飲みながらソファに座り、テレビでプロ野球のデーゲーム中継を観ていた。本当にそれだけだ。
僕と美心が応援している、”M”のロゴを掲げた地元球団は勝っているし、怒る要素なんて全くないはずだ。
ああ、そういえば奏からRINEが来て、「その方はどなたですか?」って聞かれたから正直に彼女だと答えたけど、まさか関係ないだろう。
僕が彼女を作ったとして、美心が怒る理由はないはずだ。
「ごめん美心、どうして怒っているのかわからないよ」
例えばとりあえず謝っておくということもできたが、美心にはそんなごまかしは通用しないし、何より不誠実だ。
だから僕は素直に怒っている理由を尋ねた。
しかし美心の反応は芳しくなく。
「……お兄ちゃん、そこに座ってください」
「座ってるけど」
「ソファじゃなく! 床に正座!」
「う、うん」
怒り心頭ミュージアムがあれば一番奥の専用ショーケースに並べられているであろう怒気を湛えた表情で、美心が床を鋭く指さす。
僕が大人しく正座すると、美心は
ため息をついて呆れて見せた。
「お兄ちゃん、いいですか。 兄妹とは、すなわち恋人なんです、カップルなんです」
「うん……うん?」
思わず頷きそうになるが、明らかに引っかかる点があり疑問符を頭に浮かべる。
「はあ……そこからですか」
心底呆れたように肩を落とす美心に、いまいち釈然としないながらも黙って続きを待つ。
「いいですか。カップルとは、仲睦まじい男女のことを指します」
「一般的には、そうだと思います」
この辺りは最近かなりセンシティブなので、一応補足しておく。
「また、場合によっては同棲をして、一つ屋根の下で暮らすこともありますよね」
「年齢によっては、そういう選択肢もあると思います」
「いちいち注釈をつけないでくださいっ」
あ、はい。ごめんなさい。
美心は、胸の前で組んでいた右手をこちらに向け、びしっと指をさす。
腕に持ち上げられていた急成長中の胸が、ぷるんと揺れた。
「つまり、兄妹はカップルと同義なんです! なのでお兄ちゃん、他に彼女を作るのは浮気ですよ! 浮気!」
「いや、そのりくつはおかしい」
乙女よ大志を抱けとでも言い出しそうな喋り方で、わけのわからないことを言い出す美心を一蹴。
……よく考えたら左右のリボンとか、ちょっと
しかしあくまで美心は真剣らしく、怒った顔も可愛いねなんてとても口に出せそうな雰囲気ではない。
「というか、一条奏さんって誰ですか!? 奈乃ちゃんはどうしたんですか!」
付き合うとしたら奈乃ちゃんだと思ってましたのに。美心の悪気のないその言葉に、胸がズキリと痛む。
ああ、そして質の悪いことに、この痛みは顔に出てしまったらしい。
「お、お兄ちゃん? どうしたんですか、そんな、悲しそうな顔……。なにかあったんですか?」
途端、美心の怒りは萎んでいって、心配そうに僕に縋って優しい声をかけてくれる。
本当はあまり思い出したいものでもないけれど、元々話すつもりでいたし、正直に言ってしまおう。
僕は、ほんの数日前の出来事を、
*****
意味が、分かりませんでした。
それくらい、お兄ちゃんの口からこぼれる言葉は衝撃的なもので、わたしは呆然としてしまいます。
奈乃ちゃんは、お兄ちゃんのことがずっと好きだったはずです。
それはわたしの目にも明らかで、そんな簡単に消えてしまうような想いじゃなかったと、傍目にもわかってしまうくらいには強い気持ちだったはずでした。
なのに、告白したお兄ちゃんをフッて、しかも冷たい言葉を浴びせるだなんて……。
率直なわたしの感想は、「信じられない」でした。
だけど、お兄ちゃんが嘘をつくはずがありませんし、なによりお兄ちゃんの悲痛なこの表情が作りものだとは思えません。
ということは、やっぱり……。
お兄ちゃんは淡々と、冷静にすべてを話して、すぐに二階の自分の部屋に戻っていきました。
普段ならついて行ってずっとくっついていたいところですが、今回は大人しく見送ります。
それは、お兄ちゃんが少し泣いているように見えたから。
そして、やることができたから。
わたしは自分のスマホからRINEを開き、メッセージを送ります。
既読が付いたことを確認すると、返事を待たずに上着を着て外に出て――隣の家のインターホンを鳴らしました。
「はい……って、美心ちゃん? 帰ってたんだね」
「奈乃ちゃん、おはようございます」
数秒ほど待って、奈乃ちゃんが玄関のドアを開け、わたしの姿を見ると驚いたような顔をして、目を逸らしました。
その行動で、わたしは改めて理解します。
お兄ちゃんの話を裏打ちするような、明らかな挙動不審。
「……今日、蓮人は一緒じゃないんだ」
「はい。美心が奈乃ちゃんにお話が合ってきたので、お兄ちゃんはお留守番です」
わたしがまっすぐ奈乃ちゃんを見つめ、努めて落ち着いたトーンでそう言うと、奈乃ちゃんは一瞬目を丸くしてこちらを見て、でもやっぱりすぐ目を逸らします。
「……そっか。とりあえず、上がってよ」
「お邪魔します」
いつもは二階の奈乃ちゃんに部屋に案内されるのですが、今日は一階のリビングに通されます。
「今日はパパとママ、映画に行ってるから。夕飯も食べてくるみたいだから、夜までいないの」
「……そうですか」
特に聞いてもないことを説明され、適当に頷きます。
前までなら、「じゃあ大きいテレビでゲームできる!」なんてはしゃげたけど、今日はそんな空気は全くなく。明らかにどこかぎこちなくなってしまいます。
テーブルをはさむように置かれた対面ソファーに腰かけると、奈乃ちゃんが反対側に座ります。
「……」
奈乃ちゃんは気まずそうな顔で、わたしが話し出すのを待っています。
いつもの奈乃ちゃんからは想像もできないようなしおらしい様子が、なんだか不思議です。
相変わらずきれいなツインテールで、愁いの帯びた顔でさえ、同性のわたしでも見惚れるくらいとってもきれいで。
だからこそ、小さいころから一緒で、わたしのこともお兄ちゃんのことも一番に理解してくれている奈乃ちゃんだったらって、そう思っていました。
でも、結局それはわたしの勘違いだったんでしょうか。
いろんなことを考えて、胸が苦しくなってきます。
それでもわたしは、震える喉を無理やり開いて、上ずらない様に、声が震えない様に、言葉を紡ぎ出します。
「奈乃ちゃんは、お兄ちゃんをフッてしまったんですか」
「――っ」
一瞬、奈乃ちゃんの顔が悲痛に歪みます。でも、そんなのわたしには関係ありません。
「どうしてですか。奈乃ちゃんはお兄ちゃんの事、好きではなかったんでしょうか」
「そ、それはちがっ」
「違うならどうしてフッてしまったんですか。わざわざ、言う必要のない冷たい言葉で、お兄ちゃんを傷つけたんですか」
不思議なもので、最初の一言目を切り出すのはあんなに大変だったのに、一度出てしまえば止め処なく溢れてきます。
「お兄ちゃんは奈乃ちゃんが好きで、奈乃ちゃんもお兄ちゃんが好きで、だから美心は――っ」
そこまで言って、ハッと冷静になります。
奈乃ちゃんの大きな瞳に、大粒の涙が湛えられていて、今にもあふれ出しそうだったから。
けれど、お兄ちゃんはもっと傷ついた。もっと辛かった。
そう思うと、奈乃ちゃんに情けをかけようとも思えませんでした。
別に、もう金輪際縁が切れてしまっても構わない。そんなことすら頭に浮かんできて。
そうだ。お兄ちゃんを傷つけるようなヤツ、わたしたちには必要ない。
「まあ、いいです」
立ち上がって、ぼそっと、独り言のように言葉が漏れます。
奈乃ちゃんに聞こえたかどうかはわかりません。でも、今から言う言葉だけは絶対に聞き逃されない様に。聞き間違えられない様に。
急に立ち上がったわたしを呆然と見ている――桜庭奈乃の目をしっかりと射抜き、はっきりと口にします。
「じゃあ、お兄ちゃんは美心が貰います――」
――あなたは、これ以上お兄ちゃんを苦しめないでください。
玄関で靴を履くわたしに、嗚咽のような声が聞こえてきます。
ずっと一緒だった、わたしのにとってお姉ちゃんのような存在だった存在の涙に、少しだけ胸が痛みます。
だけど、お兄ちゃんのためなら切り捨てられます。
そして、わたしは強く心に誓います。
お兄ちゃんは、わたしが手に入れる――
*****
わかってる。
悪いのは蓮人でもなく、美心ちゃんでもなくて、わたしだってこと。
でも、諦められるわけない。
だって、こんなに好きなんだもん。
一条さんがどう思おうが、美心ちゃんにどう言われようが関係ない。
蓮人に謝って、許してもらえたら、この気持ちを全部伝えるんだ。
そして――
わたしは、蓮人を手に入れる。
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