2.蓮根Weekend
「れ、蓮人! 学食! 一緒に! 行こ!」
昼休みになるやいなや、奈乃が僕の席にやってくる。
いつも奈乃と一緒にいる女子二人が、何か言いたげに奈乃をちらちら見ているのが目に入り、なんとなく、何かあったのだろうと直感した。
なんでそんなに単語ごと強調しているのかはわからないが、もっとわからないのはそもそもなぜいきなりそんなことを言い出したのかということ。
高校に入ったくらいから、奈乃は学校ではあまり話しかけてこなくなり、僕も自然と関わらないようにしていた。
今朝のこともそうだが、なぜ急にこんな行動をとるようになったのか。それが僕にはいまいち理解できず、午前の授業に支障が出るほどだった。
「桜庭さん、蓮人君はわたしと一緒に屋上で手作り弁当を食べる約束してるから、ごめんね?」
僕が返事に困ってるうちに、ランチバッグ片手に奏がやってくる。
ごめんねとは言いつつも、その声音や表情はむしろ煽っているくらいに挑発的だ。
付き合いが短いなりに、奏はあまりこういう態度を見せる子じゃないという印象を持っていたが、意外とそうでもないらしい。
「てててて、手作り!? なんで一条さんが!?」
その挑発に見事乗った奈乃が、さらに声を大きくして、ツインテールが逆立てて奏に食って掛かる。
クラスメイトのみんながこちらに注目しているが、それは奈乃の声に驚いたのか、奇妙なこの組み合わせが気になっているのかはわからない。
「なんでって、わたしは蓮人君のカノジョだもん。手作りのお弁当くらい用意するよ」
「ま、またカノジョって……うぐぐ……」
どうやら奏の言葉の槍がクリティカルヒットしたらしい。
逆立っていたツインテールは塩を振った青菜の様に力なく萎み、伴って声にも覇気がなくなっていく。
しかしここで折れる奈乃ではないらしく。
キッと奏を
「わたしも蓮人と食べる! 屋上行く!!」
(迫真)と語尾に付いていそうな勢いの奈乃を、
「ごめんね、お昼くらいは二人っきりにさせてほしいな?」
と軽くいなす奏。さすがお嬢様だけあって、こういった暴君(失礼)の扱いにも慣れているのかもしれない(失礼)。
「イヤだ! わたしも蓮人と一緒が良い!!」
まるで子供の駄々の様に、ツインテールをぶんぶん振り回してイヤイヤする奈乃。
本当に一体どうしたんだろうか……。頭でも打ったのかな。
だって奈乃は、確かに数日前、僕をフッたはずだ。
だが、今朝からの奈乃の言動は、僕のことが好きじゃないと説明がつかない。
だからわからない。奈乃が一体何を考えているのか……。
まあでもとりあえず僕から言えることが一つ。
「奈乃、君――」
「お弁当、持ってないよね」
「……あ」
その後、しぶしぶ一人学食へと向かう奈乃を見送ってから、奏と二人で屋上でランチタイム。
初日に僕が大好物だと言ってから、必ず入れてくれている蓮根のきんぴらを味わいながら、隣でニコニコしている奏をちらっと見る。
春の日差しに照らされて、亜麻色の髪がキラキラと光っている。
座っているだけで絵になるような、モデルやアイドルだと言われても信じられるような、紛うことなき美少女。
本当、なんでこんな可愛い子が僕なんかを。
「えへへ、蓮人君、好きぃ」
疑問は尽きないが、僕の腕に幸せそうに頭をすり寄せる奏を見ていると、まあいっか、なんて思えてくるから不思議だ。
だけど、
そして、その問題の答えを先延ばしにしていられないのもやっぱり確かで。
でも今は。
この瞬間を幸せと感じている今は。
答えを急ぐ必要もないだろう。そう思った。
*****
あの後も奈乃は休み時間の度に僕らに絡んできて、最後には三人で下校することになった。
奏は不満ありありという様子だったが渋々納得はしてくれて、無事帰宅、めでたく解散となった。
そんな激動の金曜日もやがて朝は来るわけで、今日は土曜日。
妹が帰ってくる日だ。
十時には着くとメッセージが来ていたが、現在十時半。三十分程遅れている。
別に約束ってわけでもないし、遅刻だとも思わないが、美心が僕に伝えた時間に間に合わないなんてことは今までなかったので、ただ単純に心配だ。
RINEも既読にならないし、電話を鳴らしても一向に出ない。
何か事件に巻き込まれているのだろうか。
そう思うと居ても立ってもいられず、僕は財布とスマホだけ握りしめて、家を飛び出した。
最寄り駅までの最短ルートを周囲に気を配りながら全力で走る。
しかし美心の姿は見当たらず、結局駅に到着してしまった。
立ち止まり、走って乱れた息をゆっくり深呼吸して整える。
ぐるっと周りを見渡して――
「いた」
駅前のコンビニの近くに立っている美心を見つけて、急いで駆け寄ろうとするが、その隣に人影があるのに気付き一瞬立ち止まる。
遠めなのではっきりとは見えないが、美心に話しかけているらしい。
うーん、友達かな? でも、あれ男だよな……? それも金髪のチャラついたやつだ。
様子をうかがっていると、その男が美心の腕を勢い良く掴んだ。
どうやら友達というわけではないらしい。
そう思った瞬間、まよわず美心に向かって走る。
二人の間に割って入り、美心の体を男から遠ざけるように抱きかかえた。
「嫌がってるんで、やめてください」
「あ? お前誰? 今俺が話してるんだけど?」
ナンパを邪魔されて、男が明らかに苛立っているのが声でわかった。
本来なら殴られるのが怖くて震えてしまいそうだが、美心を守るためならそんなの関係ない。
「僕はこの子の――ぐぇ!?」
兄だ! そう言おうとして、急に僕の体がお腹から真っ二つになる勢いで締め付けられて呻き声があがる。
「お兄ちゃん! 会いたかったですーーー!!!」
その正体は、僕に思いっきり抱き着いている美心によるものだった。
「ちょ、美心っ。今だいぶそれどころじゃないから!」
「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんくんくんはああいいにおい……」
僕の必死の制止もどこ吹く風で、美心は僕のお腹に頭をぐりぐり擦り付け、さらに両腕に力を籠める。
「く、苦し……助け……っ」
「……あ、俺急用が……」
顔を真っ青にしている僕を、チャラ男は下手な言い訳を並べながら見捨てるようにこの場を離れていく。クソ、なんて薄情な奴。
そうしている間にも、美心の暴走は収まる気配がなく、対照的に僕の呼吸は収まりつつある。
いや呼吸が収まったら死ぬんですがそれは。
しかしどうやら美心も僕を殺めるつもりはないようで、
ああ、酸素って素晴らしい。
VIVA光合成(?)。
ようやく血中酸素濃度が正常値まで回復した僕は、改めて僕の体に顔をうずめる
「お帰り、美心」
「はい! 美心、ただいま戻りました!」
美心は顔を上げて、満面の笑みで僕に笑いかける。
やっば。僕の妹可愛すぎる。
艶やかな黒髪は肩より少し長いくらいに切り揃えられ、左右に赤いリボンが結ばれている。
子供っぽい丸くて大きな瞳、ぷっくり潤んだ唇はまだまだ幼くて、だけど確かに主張する体の一部分に、つい目を惹かれてしまう。
「えへへ、お兄ちゃん。美心のおっぱい、気になりますか?」
「な、なにを言ってるのさ」
視線がバレてたことに思わずたじろぎ口籠ってしまう。
僕も男だから、胸部のふくらみはとりあえず見るという種としての本能には抗えないのだ。
でもそれ以上に、いたずらっぽく口元に人差し指を当てて微笑む美心の大人びた表情に、不覚にもドキッとしてしまった。
「えへへっ。 冗談です♪」
しかし次の瞬間には、いたずらが成功した子供のような表情になってケラケラ笑いだす。
少し離れている間に、今まで知らなかった新しい一面ができているらしい。
これが高校生になるという事なんだな、なんてしみじみ思ってしまったりもして。
なんとなく気恥しさを覚えながら、美心が差しだしてきた手を素直に握って、ゆっくりと家へと歩き出す。
仲良し兄妹の微笑ましい姿だろう。
「美心? なんで恋人つなぎなの?」
美心の指が、僕の指一本一本に絡められていなければ、の話だが。
「はて? お兄ちゃんは何を言っているのでしょう? 兄妹は広義では恋人ですよ?」
「太陽系くらい広い世界でものを見るのはやめようか」
「えへへー?」
わかってるんだかわかってないんだかはっきりしないような返事をして、美心は繋がった手をぶんぶん振り回す。
こうしていると、やっぱり僕がよく知っている子供っぽい美心で、さっきのやけに大人びた表情の事なんてすっかり頭からなくなっていた。
「お兄ちゃん、お買い物をして帰りましょう」
自宅までの道すがら、スーパーの前で美心が立ち止まり、「ふんすっ」と意気込む。
「今日はお兄ちゃんのために晩御飯を作ります!」
「お! 楽しみだなあ」
「お兄ちゃん、美心の楽しみですかっ?」
「もちろん! 美心の料理は最高だからね」
「えへへー♪ 入りましょー♪」
わたし今ご機嫌です!とのぼりでも掲げて歩いてるんじゃないかと思うぐらい、ニコニコ笑顔でスーパーに入っていく美心に手を引かれながら、僕もついていく。
あ、そういえば。
「美心は、僕が髪切ったこと、何も言わないんだね」
「どういう意味です?」
特に深い意味はなかったが、美心のほうは「わたし、気になります!」とでも言いたげな表情でこちらを覗き込む。
「いやさ、最近できた友達に言われて髪を切ったんだけど、みんな急に変わったことに驚いたみたいで、ちょっと扱いというか、変わった感じがしててさ」
なんの気なしに最近思ったことをそのまま伝えると、美心は合点がいたようで「そうですね」と微笑みを浮かべる。
「美心にとってはお兄ちゃんはお兄ちゃんで、どんなお兄ちゃんでも大好きです。髪型なんてものは、些事ですよ」
そう言って、美心は繋がれた手を少しだけ自分の体に近づけた。
そっか、そうだよな。
家族って、そういうものだよな。
その答えに満足した僕は、美心の手を少しだけ強く握り返した。
「ねえ美心」
「はい、なんですか?」
夕飯のメニューは美心の得意料理、蓮根のはさみ揚げに決定。ひき肉コーナーでパックの値段を見比べている美心に、ふと思た疑問を投げてみる。
「美心はさ、なんでRINEの時は普段と違って敬語じゃないの?」
そう、美心は基本的に誰に対しても敬語を使うが、ことRINEに関してはタメ口というか、敬語を使わない。
僕はほんのり疑問を抱いてはいながらも、別に何か支障があるわけでもないので特に気にしないでいた。
「なんとなく、気になってさ」と言い訳の様に小さく付け足すと、美心は右手に持っていたひき肉を買い物かごに入れ、えへへと笑う。
「単純に文字数を減らすためですよ? たとえ一文字、二文字でも早く送信して、お兄ちゃんとお話しする時間を確保したいんです」
天使のような――そんな表現さえ陳腐に感じてしまうほどその笑顔はキラキラしていて、妹じゃなければ確実に恋に落ちてしまうであろう破壊力で。
でも、兄弟だからわかってしまう。本当のことが言えないような、漠然とした寂しさが、その笑顔の裏には隠されているということも。
*****
「じゃーん! できましたー!」
「うおおお! おいしそう!」
テーブルに並べられた料理の数々に、思わず胸が高鳴るが、当然のことだ。
蓮根のはさみ揚げ、蓮根のきんぴら、ネギがたっぷり入った豚汁……。
端から端まで僕の好物で埋め尽くされているのだから。
それも世界一可愛い妹の手作りときたら、こんな幸せは他にない。
奏に初めてお弁当を作ってもらった時は妹の手料理とは比べ物にならないくらいうれしいと感じたが、これはどうだろう。
嬉しいなんて言葉ではかっていいものでは決してない。
これは”幸せ”そのものだ。全くの別次元、別ベクトル。
まあ要は、どっちも最高!……といった形で、ここは一つ手打ちということで。
そんなことより早く食べたい! 食べよう! いただきます!
両手を合わせて、いきなりメインディッシュのはさみ揚げへ箸を伸ばす。
醤油を一滴たらして、大根おろしなんかも乗せちゃったぐらいにして……一口にパクッ。
はい、覇権確定。うますぎる。いやうますぎるなんてもんじゃない。うまい超えてつらい。うますぎてつらい(?)
あまりのおいしさに呼吸すら忘れて次々と料理を口に放り込む。炊き立ての白米も相まって、お口の中が狂喜乱舞。ひき肉と蓮根のランデブー。僕、生きてるー!
「そんなに急いで食べたら詰まらせちゃいますよー?」
美心が用意してくれたお茶をぐいっと飲んで、一息つく。
「本当においしいよ! 美心の料理は最高だ!」
右手に持っていた箸を一旦おいて、美心の頭を撫でる。
うにゃあ、と顔を綻ばせる美心を見て、僕はさらに幸せな気持ちになる。
美心は部活動があるので、毎週帰ってきてくれるわけではない。
それでもたまにこうして僕のもとを訪ねてきてくれて、こんな風に僕に家族のあたたかさを思い出させてくれる美心の存在は、僕にとって、今や両親以上にかけがえないものになっている。
「えへへへぇ~♪ 美心も一緒に食べます!」
そして、山盛り作られた蓮根料理の数々は、あっという間に僕たち兄妹の胃袋に消えていった。
その後それぞれ風呂に入り、歯磨きを済ませてそろそろ寝るかというタイミング。
自分の部屋に入っていったはずの美心が、僕の部屋をノックした。
「どうしたの?」
ドアのほうを見ると、かわいい猫の総柄パジャマを着て、同じデザインの枕を持った美心が立っていた。
「お兄ちゃん、一緒に寝ませんか?」
恰好からおおよその予想はついていたが、どうやらそれに違わない理由だったらしい。
もう高校生になる年頃の男女が同じ布団で寝るというのは些か問題があるようにも思うが、それはあくまで他人同士の話。
僕たちは兄妹で、寂しがる妹のお願いはすべて聞くというのが兄の務めであるからして。
「おいで」
「はいっ!」
少し端っこに寄って、布団をめくってやると、美心はとててと駆け寄り、布団に潜り込んできた。
「えへへ、お兄ちゃん。お兄ちゃん」
僕の胸に顔をぐりぐり押し付けて、幸せそうに眼を閉じる美心がたまらなく愛しくて、僕はその体を抱きしめて、片方の手で頭を優しく撫でる。
「えへ、えへ、お兄ちゃんの匂い……。やば、これ、ヤバいです……」
もにょもにょと聞き取れない声でなにやら呟いている美心の吐息と体温に僕まで安心して、頭を撫でているうちに眠りに落ちて行って――
――僕はその夜、昨日のお昼の夢を見た。
「えへへ、蓮人君、好きぃ」
疑問は尽きないが、僕の腕に幸せそうに頭をすり寄せる奏を見ていると、まあいっか、なんて思えてくるから不思議だ。
――うん、覚えてる。奏の匂いが心地よくて、すごくドキドキしてたんだ。
だけど、
そして、その問題の答えを先延ばしにしていられないのもやっぱり確かで。
――そうだ。いつまでもなあなあにはしていられないんだよね。
でも今は。
この瞬間を幸せと感じている今は。
答えを急ぐ必要もないだろう。そう思った。
――
――週が明けた月曜日、それは起こる――。
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