第二話 積極性幼馴染
1.いつも通りの朝、いつもと違う人。
翌朝。
僕はいつもより三十分早く起きた。二日連続の早起きに、少しだけ瞼が重いが、何とか洗面台に到着。
今日僕が早起きしたのは、昨日と違って自らの意思だ。
なぜそんなことをするのか。
髪をセットするためだ。
それは、必ず髪をセットしてくるというもの。
和香さんの美容院が運営しているMytubeチャンネルにヘアセットのやり方をレクチャーする動画があるのを教えてもらい、それを参考にセットしてくるよう命じられたのだ。
『俺と姉さんを信じろ。そうすれば、今日までのあの嫌な視線はなくなるぜ』
自信満々に言い放つ純平に背中を押され、僕は力強く頷いた。
『
最後にぼそっと言った純平のこの言葉の意味だけはよく分からないが、とにかく二人が大丈夫と言うなら大丈夫だ。
どうせもともと嫌われていたんだ。多少失敗していたとして、評価はこれ以上下がりようも無いだろう。
消極的ポジティブ思考で昨日教えてもらったURLを開き、『メンズヘアセット』というタイトルの動画を再生する。
若い男性が説明しながらセットしていく映像に合わせ、見よう見まねで髪の毛をいじること十数分。セットが完了する。
改めて鏡で確認。うん、まあ形になったかな。
後ろが変に跳ねたりしていないか、カメラで撮影しながら確かめてみるが、どうやら問題なさそうだ。
「よし」
独り言でそう呟いて、朝食の準備に取り掛かる。
昨日の時点で、今後弁当は奏が用意してくれると話が付いているので、朝の支度がかなり楽になり、そういう意味でも非常にありがたい。
浮いた時間を、明日以降はヘアセットに充てていこう。
目玉焼きとソーセージ、インスタントみそ汁という朝食のお手本のようなメニューをパパっと作り、てきぱき胃に放り込んでいく。
朝食を終えてもまだ時間に余裕がある。コーヒーでも淹れてのんびりすることにしよう。
昨日と同じ時間に家を出ると、そこにはこれまた昨日と同じ様に奏の姿が。
奏は僕を見るなり目を大きく見開いて、口を開けたまま動かなくなってしまった。
一秒、二秒、三秒……。
「はっ!?」
計測から五秒、奏は意識を取り戻し、大仰に驚くしぐさをとる。
「れれれれ蓮人君!? どうしたの、その頭!?」
思わず見惚れて動けなくなっちゃったよ!と大げさに続けられ、ついつい照れてしまうが、しっかり奏のほうを見て答える。
「昨日、髪を切ったんだ。セットも、純平に教えてもらって挑戦してみたんだけど……どうかな?」
やっぱり恥ずかしくて、顔が熱くなり、耳がかゆい。
きっと奏なら、似合っていなくても優しい言葉をかけてくれるだろう……なんて考えていたのだが。
奏は、僕以上に顔を赤くして口をぱくぱくさせているばかりで、一向に感想を言い出さない。
「え? もしかして、言葉にできないほどひどい?」
さすがに居たたまれなくなって、催促の意味で質問を重ねる。
「こ、こんなの無理だよ……かっこよすぎるよぅ……これ以上好きになったら私ダメになっちゃう……」
トマトみたいに赤くなった顔を伏せて、ぼそぼそ呟くものだから、いまいち何と言っているか聞き取れない。
でも、何とか聞こえた単語が一つ。
”無理”
……。
そっか、僕、終わったんだね。
藤原蓮人の来世にご期待ください!
~END~
「――てるよ」
脳内で人生のエピローグに突入しかけていると、奏が腕に抱き着いてきて、その声で現世に引き留められる。
「とっても、似合ってる。カッコいいよ、蓮人君」
そして、僕の腕に幸せそうに顔を擦り付け、上目遣いで僕に言うのだ。
「やっぱり大好き、蓮人君!」
ああ、なんだ。
結局僕の人生はここまでらしい。
こんなに可愛い子が、僕なんかにここまでの想いを持ってくれて、惜しげもなくぶつけてくれているなんて――。
死因:尊死。
*****
結論から言おう。
今朝も登校中に僕に向けられる視線は相変わらず多く、居心地は依然として悪いままだった。
でも、それは昨日までとは明らかに違う物で。
「あれ、誰?」
「あんなヤツいたっけ」
「あそこ、藤原君の席だよね?」
「じゃあまさかアイツが?」
「どうしよう、私ちょっとタイプかも」
「私はちょっとどころじゃないくらいタイプ……(きゅん)」
エトセトラ……。
全て聞き取れているわけではないが、少なくとも昨日までの様にマイナスの視線ではないらしい。
「えへへ、蓮人君、みんな蓮人君がかっこよくなってるから驚いてるんだよ」
「そうなのかなあ」
「うん、そうだよ」
僕の席に来ている奏が、とても嬉しそうな顔でそんなことを言う。
果たして髪を切ったくらいでそんなことになるかな、という疑問は残るが、奏が言うならそうなのだろう。少なくとも、僕の経験則よりは信用に値するはずだ。
「よ、蓮人、一条さん」
「あ、純平。おはよう」
「河合君、おはよう」
登校してきた純平が、自分の席――僕の前の席に鞄を置き、雑に引き出した椅子にドカッと座る。
「な、俺の言った通りだろ?」
僕に顔を近づけて、「俺の目に狂いはなかったぜ」と僕の肩を軽く叩く。
「わたしも、惚れ直しちゃったよ」
奏が、両手で自分の体を抱きしめて、悶えるように体をくねくねさせる。
「あはは……。ま、奏が喜んでくれてよかったよ」
と、ホームルームの開始の鐘が鳴り、数秒ほど遅れて先生が入ってきた。
奏はそそくさと自分の席に戻って、パチッとウインクを投げる。
「おいおい、一条さん、マジで蓮人にベタ惚れなんだな」
純平にからかわれて、僕はむずかゆくなってしまい、小さく頬を掻いた。
「えー、今日は桜庭が発熱で休みだ。もし委員会などの当番になっていたら、誰か代わってやるように。以上」
僕のクラス――二年B組の担任、太田先生(四十五歳・男・独身)が相変わらずのガサツな口調で伝えると、わずか数分でホームルームを切り上げ教室を後にする。
奈乃が体調不良で休むなんて、僕の記憶にある限りでは小学校以来の筈だ。
心配だし、お見舞いに行ってあげたいけど、この前のこともあるしかなり気まずい感じもする。
まあ、でも。
そんなこと、言ってられないよな。
昼休み、いつもと同じように屋上で奏と二人でお弁当を食べる。
純平も誘ったが、「さすがに新婚さんの邪魔はできねえよ」揶揄われてしまった。
一瞬許嫁の件がバレているのかと思ったが、ただ単純に揶揄っているだけらしく一安心。
奏はかなり満更でもなさそうな顔をしていたが、さすがにやんわり否定しておいた。
今日も奏の弁当に舌鼓を打ち、きれいさっぱり御馳走様したあとで、僕は切り出すことにした。
「奏、今日なんだけど」
「桜庭さんのお見舞いに行くんだよね?」
僕が言う前に、奏にそう言われてドキッとする。もしかして顔に出ていただろうか。
「え、うん、そうだけど。なんでわかったの?」
「ふふ。好きな人の考えることくらい、なんとなくわかるんだよ」
そんな優しいところが素敵だよね。そう呟きながら、奏は弁当をてきぱきと片付ける。
「そういうことなら、今日もわたしは一人で帰るけど、明日は絶対の絶対だよ! 約束破ったら、めっ!だからね」
昨日も奏には先に帰ってもらったから、これで二日連続になる。
奏は優しいからこう言ってくれるし、仮に明日も同じことになっても許してくれるだろう。でも僕は、どんなことがあっても明日は一緒に帰る。
そう自分で決めて、奏に素直に頭を下げた。
「うん、ごめんね。ありがとう」
結論から言うと、奈乃に会うことは出来なかった。
ドラッグストアでスポーツドリンクや栄養剤、ゼリーなどを買い込んで奈乃の家に言ったが、インターホンを押しても誰も出ず、RINEも返事がない。
電話をしようとも考えたが、具合悪くて寝ている可能性もあるし、もし起こしてしまったら申し訳がなさすぎる。
「ま、仕方ないか」
僕は玄関のドアノブに買ってきたものが入ったレジ袋をかけ、徒歩十秒の自宅へ帰った。
*****
翌朝。
いつも通り朝の支度を終え、家を出る時間までのんびりしていると外から何やら大きな声が聞こえてきた。
なんだろう。
リビングのカーテンから外を覗くと、そこにはいるはずのない人――奈乃の姿があった。
「え!?」
慌てて玄関のドアを開けて外へ飛び出すと、奈乃はこちらを見て、驚いたように目を丸くしている。
横には奏もいる。
「おはよう、蓮人君!」
奏は僕の顔を見るや否や、僕の右腕に抱き着いて頬ずりをする。
「ふふん」
そして、こちらを見てぷるぷる震えている奈乃に挑発的な笑みを向けた。
「ちょっと一条さん! くっつきすぎじゃない!?」
「えー、彼女なんだもん、当然じゃないかなー?」
奈乃の怒りに滲んだ指摘にも奏は悪びれる様子もなく、それどころかより抱き着く力を強め、僕の胸に顔をうずめている。
「うぐぐ……」
それを見て何やら唸っている奈乃。
それにしても、奈乃は何で僕の家の前に? あと奏は僕のシャツの匂いを嗅ぐな。
思った疑問をそのまま投げると、奈乃は顔を赤らめてそっぽを向いた。
「……れ、蓮人と学校行こうかなって、思った、だけ。昨日、お見舞い来てくれたみたいだし」
奈乃は、気まずそうに、言いにくそうに、何とか言葉を絞りだした。
その様子に、その発言の内容に、僕の胸が一瞬高鳴る。
やっぱり、僕はまだ奈乃が好きなのだろうか。
あの時諦めたと思っていても、心の隅には
「というか!」
奈乃がいきなり大声をあげ、僕はハッと我に返る。
「蓮人、その髪、どうしたの」
あれだけ大声を出して何かと思ったら、どうやら僕が髪を切ったことに驚いたらしい。
確かに、考えてみれば僕はここまで短く切ったのはかなり久しぶりな気もする。
「昨日さ、純平――僕の友達に美容院に連れて行ってもらったんだ」
隠すことでもないので正直に伝える。
奈乃は僕の返事を聞くと、伏せていた顔をはね上げて、僕の目をまっすぐ見た。
でも、またすぐ目線を下げてしまう。
そこから何か言いたげにしていたが、結局奈乃が口を開くことはなく。
わずかに、体の横で握りしめている両手に、――何か決意をしたような――力が込められているように見えた。
「奈乃――」
なんだかそんな奈乃を。悲しそうな、寂しそうな奈乃を見ていられなくて、僕が声をかけるため一歩踏み出そうとした瞬間、奏にグイっと腕を引っ張られる。
僕は踏ん張る隙ももらえず、そのまま奏にぴったりくっつく形で引き戻されてしまった。
「蓮人君はわたしと付き合ってるの。だから学校もわたしと行くよ。ね、蓮人君」
僕の腕を大事そうに、いじめっ子から大切なおもちゃを守るように抱きしめて、奏はまっすぐな目で奈乃を射抜いている。
奈乃はまた何か言おうとして、奏のその目を見て、やっぱり顔を伏せてしまった。
僕そんな奈乃を見て胸が苦しくなる。
だけど。
奏が僕に見せてくれる笑顔や、彼女が思い描いている未来に僕がいるという事実が、その気持ちに上から蓋をするように覆いかぶさって、胸の苦しみはすっと引いていく。
奈乃への気持ちにしっかりとケジメをつけるための勇気を、奏が与えてくれている気がした。
そうだ。たとえ僕の気持ちがどうであれ、今僕は奏の彼氏で、それは間違いなく事実だ。
だったら、僕の取るべき行動は、一つのはず。
「ごめん」
僕は、自分の中で今一度首をもたげようとするこの感情に蓋をするように。
この感情を、上から言葉で押し込んだ。
「僕は、奏の彼氏だから――」
もう、奈乃とは一緒にいられない。
*****
「蓮人! 一条さんに近すぎ! わたしより五センチも近い!」
「蓮人君はちゃんと真ん中に立ってるよ? 胸の分じゃない?」
「なっ!? ありえない!!」
その決意から五分。
今僕は、右腕に奏、左腕に奈乃が抱き着いている状態で登校している。
周りから感じる視線は昨日までの比じゃなく、歩きにくさは世になく。
今日は金曜日。
休み明けには全部リセットされてたりしないかな、などど思考を現実逃避に全振りしながら、二人に引っ張られて歩く僕が、今思っていること。
どうしてこうなった?
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