5.嘘……私の前髪、長すぎ!?
さて六限目の感想をここで簡潔に述べたいと思います。
”地獄”
正直これ以上に語ることもないほどに、この二文字がしっくりくるような状況だったのだが、まあ一応補足はしておこう。
奏の
周りが小声で話しているときに、内容は全然聞き取れないのに自分にとって馴染み深い単語や名称だけやけにはっきり聞こえてしまうあの現象、名前があるのなら知りたいところだ。
要は六十分、それに苛まされたというわけで。
やっと授業が終わり、あとは下校前のホームルームを残すばかりというときになって、急に後ろから肩を組まれた。
「おう、藤原」
「や、やあ」
あまりに急なことに驚きつつ、声をかけてきた彼に向かって弱弱しく返事。
肩を組んできた男子は、
その特徴的な茶色いミディアムヘアは程よくパーマが掛かっていて、毛先は……まあよくわからないけどとりあえずお洒落でイケメンだ。
クラスの中でもカーストトップのさわやか男子で、サッカー部で二年生にしてキャプテンを務める文句なしのモテ男。
そんな彼が僕に何の用だろうか。
まさかさっきの伊藤君の様にケンカを売りに来たわけじゃないだろうな。
自慢じゃないが五秒と経たずにKOされる自信があるぞ。
しかしどうやらそれは僕の杞憂らしく。河合君は僕に対してさわやかスマイルを浮かべ、コツンと胸を小突いてくる。
「藤原、お前って冴えねーやつだと思ってたけど、案外やるじゃん」
「え?」
そして彼から発せられたのは意外な言葉。
案外やるじゃん。いまいち意図の汲めない言葉ではあるが、きっと褒めてはくれているのだろう。
「あの一条さんがあそこまでベタ惚れってことは、藤原には他の男にはないすげー魅力があるってことだもんな。見直したよ」
河合君は少し照れたようにはにかみながら、汲んでいた肩を開放すると真正面に立ち、僕に握手を求めて右手を差し出してくる。
「よかったらこれから仲良くしてくれよ、蓮人」
うわ、どうしよ。
すごい、嬉しい。
今まで女の子はもちろん男の友達もほとんどいたことのない僕に対して、こんな言葉をかけてくれたのは彼が初めてだった。
奏に好きだと言われた時も嬉しい気持ちになったが、今度は種類が違う、でも数値にすれば同じくらい大きな、胸の昂りだった。
ちらっと横目で奏を見ると、向こうもこちらを見て微笑んでいる。
きっと、彼女も認めてくれているのだろう。
彼が、いいやつで間違いないってこと。
僕と、友達になってくれるってこと。
まっすぐに僕の目を見つめて、ほらと急かす様に右手を突き出してくる河合君。
僕も笑顔で、その右手を握り返した。
「うん、よろしく。純平!」
*****
「蓮人はまず、その頭を何とかしたほうがいい」
ホームルームが終わってすぐ、奏に一緒に帰ろうと誘われたが、今日は委員会の日だったので断った。
すると教室で待ってくれるというので、なるべく早く戻ろうと思いつつ急ぎ足で委員会の活動場所――図書室へ向かった僕に、なぜかついてきた男子が一名。
彼の名を河合純平。僕の唯一の友達にして、先のセリフの発言者本人である。
さて、状況説明を終えたところで彼の発言の真意を考える。
”その頭を何とかしたほうがいい”。
ふむ、喧嘩かな。友情崩壊、さようなら。
「俺の行きつけの美容院、紹介してやるよ」
行きつけの病院だと!?
僕の頭はそこまでおかしくないぞ!
「今日この後いけるようにしとくから、そのあとはワックスを買いに行こうぜ」
わ、ワックス? 病院の床をワックスがけするってこと? ……とまあ冗談はさておき。
ワックスという単語が出てやっと理解したが、要するに髪を切れという事らしい。
「わかった。僕はそういうの疎いから、いろいろ
と教えてよ」
「おう、まかせろ! そしたら、委員会終わったら行こうぜ!」
「おーけー」
おしゃれ番長(古い)の純平が美容院や整髪料選びまで手伝ってくれるというのなら、これほど心強いことはない。
純平に、こういうのはサプライズにしたほうがいいとアドバイスを受け、言われたとおりに奏に今日は先に帰ってほしいとメッセージを送る。
すぐに返事が来て、理由を聞かれたので『純平と用事があるんだ』という文章と、猫が土下座しているスタンプを送信。
『明日は絶対一緒にかえろうね!』
奏からの返事が来たことを確認し、純平に「OKだって。よろしくたのむよ」と軽く頭を下げた。
僕はその後も、まばらな利用者に新刊のチラシを渡したり、本の貸し出し処理や返却された本を棚に戻すなどの地味な作業を黙々とこなし、委員会の終わりの時間を待った。
「あ、あの、藤原君」
「あ、斎藤さん。どうしたの」
もうあと少しで終わるというときに、同じ委員会で隣のクラスの斎藤さんが声をかけてきた。
斎藤さんは、僕がまともに話せる数少ない女子で、黒髪を後ろで二つに縛って眼鏡をかけている、ステレオタイプの文学少女。
図書委員の間もよく話しかけてくれるのだが、今日はずっと純平がいたため初めての会話だ。
斎藤さんは何やらもじもじして、なかなか用件を話そうとしない。
委員会の用事ではないのかな。
「斎藤さん?」
「あ、あの、藤原君。髪、切っちゃうんですか?」
「え?」
僕が催促するように名前を呼ぶと、出てきた言葉はなんとも意外なものだった。
「切っちゃう」という表現が間違いでないのなら、斎藤さん的には切らないほうがいいと思う理由があるのだろうか。
「あっ、ごめんなさい。聞こえてきてしまって……」
「いや、謝ることじゃないけど……でもどうして?」
盗み聞きしたわけじゃないんですけど、と付け加える斎藤さんに、気にしなくていいという意味を込めて軽く手を振って見せる。
すると斎藤さんは安心したように少し笑顔を見せてくれて、かと思えばすぐに顔を伏せてしまった。
おさげから覗く耳が真っ赤で、ああもう
数瞬の間が空いて、斎藤さんは今日一番のもじもじ具合で口を開く。
「藤原君は、今のままでも素敵だと思います……なんて、私なんかがすみません……」
どんどん声が尻すぼみになっていきつつも何とか絞り出すように言い切ると、タイミングよくチャイムが鳴って、斎藤さんはそそくさと帰って行ってしまった。
ん? 結局何が言いたかったんだろうか。声が小さすぎていまいち聞き取れなかった。
「……蓮人。お前はモテモテだな」
「え、なにが」
僕が本気でわからないでいると、隣で純平が肩を
「わからないならいいけどよ。ま、終わったならいこうぜ」
なんだか釈然としないが、純平が予約してくれた美容院の時間も迫っているので、黙ってついていく僕だった。
*****
純平に連れられてやってきたのは、学校から僕の家とは反対方向に電車で二駅の町にある”
シンプルなコンクリートの外壁に、看板を照らす様に間接照明がいくつか並んでいる、僕一人じゃ近づくとこすらままならないようなお洒落な外観に思わずしり込みしてしまう。
「俺の紹介なんだから、そんなビビるなって」
純平に急かされて、恐る恐る店内に入る。
すると、若い女性の店員さん(という呼び方で合っているのかはわからないが)がこちらに向き、とびっきりの笑顔でこちらへやってきた。
「この子が純平の友達?」
店員さんが僕の隣にいる純平に話しかけると、純平の口から衝撃の一言。
「そ。本気で頼むよ、姉さん」
「ね、姉さん?」
思わずツッコまずにはいられなかった。
え、この店員さんは純平のお姉さんってこと?
「そう! 純平の姉の、
僕の疑問に、その店員さん――和香さんが答える。
純平と同じ茶色い髪はミディアムショートで、これまた純平と同じパーマが掛かっているが、印象は全く違って、明るく活発な女性感を演出しているように見える。
「ここ、姉さんの店なんだ」
「へえ、そうなんだ! お姉さんがこんなに綺麗でおしゃれなら、純平が男前なのも納得だね」
「……お前、そういう事平気で言えんのな」
「あー! 純平照れてる~」
「やめろよ、姉さん……」
僕が正直に思ったことを口にすると、純平は何やら照れたようで、和香さんにからかわれている。
学校ではリーダーの純平でも、家族の前ではたじたじなんだなと思うと、なんだか少し面白かった。
「俺が思うに、蓮人は磨けば光る原石だ」
奥の個室席に案内された僕は、美容院特有のやけに多機能な椅子に促されるままに座り、後ろで純平と和香さんの議論に耳を傾けている。
「バッサリ行くべきだ! おでこは絶対出したほうがいい」と純平。
「それは賛成だけど、前髪だけ少し残してアシメな感じもかわいいんじゃない?」と和香さん。
どうやら髪の長さでお互いの意見がぶつかっているらしい。
ところでアシメってなに?
なんとなく気まずくなって、手元にあったヘアスタイルの雑誌に目を通してみる。
へえ、一口にショートとかミディアムと言っても、いろいろ種類やアレンジがあるんだなあと感心してしまう。
そして、和香さんをはじめスタイリストの人たちは、これらのほとんどに精通しているだろうから、もはや尊敬だ。
ぺらぺらとページをめくっていると、ある髪型が目についた。
「あの……」
遠慮がちに声をかけると、直前まで言い争っていた二人が同時にこちらを向く。
僕は二人に見せるようにそのページを指さした。
「この髪型、お願いしたいかも、です」
*****
「これが……僕……!?」
それから約一時間。
富士の樹海のような僕の頭は、全体的にミディアムに整えられ、左右の耳の上あたりだけバリカンで刈り上げられている(純平が言うに、ツーブロックと言われるスタイルらしい)。少し残してある髪からちらっとブロックがのぞくのが可愛らしい(和香さん評)、四月も中頃の今にぴったりな髪型だ。
「うん、ツーブロックは定番だし、涼しげで清潔感もあるから美容院デビューにはぴったりだね!」
「おいおい、原石だとは思ってたがここまでとは……。蓮人、お前は間違いなくイケメンだぜ」
二人に手放しで褒められ、少し照れ臭くなってしまう。
純平が言うようにイケメンだとまでは思えなかったが、でも、うん。いい感じだ。
「最後にワックスでセットしていくよー」
和香さんが後ろの棚から青い半透明の容器を持ってくる。
どうやらこれがワックスというシロモノらしい。
キューブ上の容器のふたを開け、一センチ大ほどなかのワックスを指で取ると、両手で伸ばして僕の頭に馴染ませていく。
「このくらいの量を手に取ったら、よーく手のひらで伸ばして、後ろからトップ、前髪の順に馴染ませていくんだよ」
「そうそう。たくさんつけすぎるとワックスの白い塊が出ちゃったりするからな。怖いなら少な目くらいからつけていくといいぜ」
和香さんと純平が説明をしながら、鏡越しに手本を見せてくれる。
手際よくセットされていき、トップはボリュームよく立ち上がり、前髪は眉にかからない程度におろされている。
「よし、終わり!」
ぽん、と和香さんに背中をたたかれて、僕は椅子から立ち上がる。
会計の時に、今日僕につかってくれたというワックスをサービスで持たせてくれた。
どうやらワックスにも種類があり、長さややりたいスタイルによって選ぶ必要があるらしい。
僕にはまだまだ理解できそうもないが、純平や和香さんに教わりながら慣れていこうと思った。
*****
どうしよう、どうしよう。
熱を出してぼーっとする頭を無理やり動かして考える。
昨日、蓮人に謝ろうと思って、もう一回わたしから告白しようと思って、朝いつものところで蓮人を待ち伏せた。
そしたら、なぜか蓮人は一条さんと一緒で。二人は腕を組んで歩いていて。
言いたかったことも忘れて、つい二人の前に飛び出した。
そして聞かされたのは、わたしが一番聞きたくなかった言葉。
だから、聞くことがないように、そうなることがないように。
蓮人のカッコよさが他の人にばバレないよう、蓮人が自分の身だしなみに無頓着になるように接してきた。
でも一条さんは、ダサくて冴えない見た目の今の蓮人と付き合っていると、そう言った。
昔のカッコいい蓮人ならまだわかる。
でもそれだといろんな女の子が蓮人のことを好きになってしまう。
だから、他の女の子には蓮人のカッコよさがバレていないうちに、これからもバレない様に、そう思っていたのに。
一条さんは蓮人の
私だけに見せてくれていた
……きっとこのままじゃダメだ。
このままじゃ、本当に蓮人が一条さんに取られちゃう。
でもどうすればいいのか、今のわたしには何も思いつかなかった。
あんなことがあって今日、風邪をひいて熱を出してしまい頭が回らないからだろうか。
だから、考えるのは明日にしよう。
そして私は後悔する。
翌日、蓮人が見違えるような――でも私にとっては馴染み深くて、私だけが知っていたはずの――姿になっていたから。
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