3.奈乃の気持ち。放課後の裏側

 あれから十分ほど歩き、ようやく我が家に辿り着く。

 こんな時間まで外にいたのはものすごく久しぶりじゃないだろうか。

 玄関を開け、靴を脱ぐ。


「ただいまー……って、誰もいないんだけど」


 両親は今北海道へ出張していてご都合主義、妹も全寮制の女子高にいるから実質一人暮らし状態。

 それでもつい「ただいま」と言ってしまうのは、それだけ染みついてしまっているからで、毎日言ってしまう。

 後半のセリフって誰もいないんだけどまで毎日言っているあたり、僕の心の闇の深さが伺える。

 病気ですね(断言)。



 さて、階段を上って突き当りにある僕の部屋のドアを開け、朝家を出た時と変わらない自室をなんとなく眺める。

 部屋は朝と変わりないのに、僕を取り巻く状況は大きく変わってしまった。

 それはいい変化なのか悪い変化なのか、正直今の僕には判断しかねるところだった。

 もちろん、あの一条奏と付き合えるというのは、学校中の男子が夢にまで見たことで、嬉しくないはずはない。

 でも、やっぱり心のどこかでは奈乃のことを引きずる僕がいて。


 さっきこの想いは忘れようと決めたばかりなのに、自分の情けなさに思わず辟易としてしまう。

 そんな僕の憂鬱な気持ちは、RINEの受信を告げる通知音によって霧散した。

 そしてその通知音が連続でぽぽぽぽぽぽぽと鳴り出すものだから、僕は慌ててスマホを取り出してロックを解除した。

 見ると、奏と妹から三通ずつ、偶然にも同じタイミングで送られてきたらしい。

 家族はトーク画面の一番上にピン留めされているのもあり、僕は特に深い意味はなく妹からのメッセージを先に開いた。


『お兄ちゃん、今部活終わったよ!』

『お兄ちゃんはもうおうちかな? ご飯は食べた? お兄ちゃんに早く会いたいな』

『お兄ちゃん、今週末は帰るからね! 何かお土産ほしいものある?』


 妹からの怒涛の三連撃をみて、僕はつい顔を綻ばせる。

 僕の妹、藤原美心ふじわらみこは一個下の高校一年生。

 昔から僕と奈乃と三人はどこに行くにも一緒で、三人兄妹だなんて周りからは言われていたっけ。


 美心は僕に懐いてくれていて、両親の判断により全寮制の高校に入ることになったときはそれはもう泣いて暴れて大変だったものだ。

 なぜそこまでして全寮制にこだわるのかと両親に聞いた時、「お前の身を守るためだ」と遠い目をしながら言われたのだが、あの発言の意味は未だ分からない。


 でもそうか。週末には妹が帰ってくるのか。

 妹が僕を慕ってくれているように、僕も妹を心から可愛がっている。

 こうして一人の僕を案じて、頻繁に帰ってきてくれるのがすごくありがたい。


『ありがとう、待ってるよ。お土産は、美心のお任せでいいよ』


 美心に返信をして、スマホをスリープにする。

 そういえば、美心も奈乃とは仲が良かったし、帰ってきたら、フラれてしまったこと、話さないといけないな。

 きっと、もう三人ではいられないから。


 また憂鬱が湧き上がってきそうになるのを抑え込みながら脱いだ制服をハンガーにかけ、部屋着に着替えたところで、そういえば奏からもメッセージが来ていたことを思い出す。


『蓮人君、今日はお話聞いてくれてありがとう。あなたとお付き合いすることができて、すごくうれしいな』

『明日学校で会えるのが楽しみ』

『大好きだよ』

「……」


 思わず、顔が熱くなるのを感じる。

 今日はずっとドキドキさせられっぱなしだ。

 大好きだよ。

 最後に送られているこの一文を、何度も読み返してしまう。

 女の子からこんなメッセージが来たのはもちろん初めてのことで、果たしてなんと返すのが正解なのか、皆目見当もつかない。

 とはいえ、見てしまった以上は奏にも”既読”ということは伝わってしまうわけだから、後回しにもしていられない。


 思うに、この”既読”というシステムは非常によろしくない。

 本来メールというコミュニケーションツールは、先方の都合のいい時に確認し、好きなだけ内容を反芻、推敲し、都合のいい時に返事ができるということに利点があるはずだ。

 それを、”既読”というシステムがあるおかげで、”既読スルー”という概念が生まれ、即レス以外は悪だという一種の強迫観念を生む。

 精神的に多感で未熟な十代そこそこ僕らの世代にとっては、いじめに発展する恐れすらある危険極まりないものだ

 相手がメッセージを確認したかがわかるというのは便利な反面、拘束されているような窮屈さを感じてしまう。

 長々と御託を並べたが、要するに。


「返しに困る……」


 当初の問題なんて返せばいいのに帰結するわけで。


『こちらこそ、よろしくお願いします』


 そんな何の足しにもならないような質素な一文を、どうにか送る僕だった。



 *****



 どうして、こんなことになってしまったのだろう。

 今朝から、わたし――桜庭奈乃の頭を支配するのは、言葉にすればたったの二文字。だけどその実複雑で入り組んでいて、とても面倒で醜い感情。

 平たく言えば、”後悔”だ。



 わたしは今朝、物心ついた時からずっと好意を寄せていた、幼馴染の男の子から告白された。

 今朝もいつもの様に、彼が家を出るより少しだけ早く出発し、近くの電柱の陰から偶然を装って合流した。


「朝から蓮人に会うなんて、幸先の悪い一日ね」


 なんて、口を開けば出てくるのは意地悪な言葉ばかり。

 ごめんね、本当は大好きだよ。

 蓮人に会うために、早起きして髪も整えてるの。

 蓮人が昔好きって言ってたアニメのキャラクターの真似をして、この髪型にしてるんだよ。

 そう素直に言えたらどんなに楽か。

 でも、実際のわたしはフラれることが、この関係が壊れてしまうことが怖くて、つい思ってもいない冷たい言葉ばかり言ってしまう。


 そうこうするうちに、こんなことばかり言うわたしの事を蓮人が好きになってくれるはずがないと思って、また本当のことが言えなくなって……この繰り返し。

 毎日毎日自己嫌悪に襲われていた。

 でも今日この日、わたしが夢にまで見た、でも夢でしかないと諦めていたことが、現実に起こった。


「奈乃! 僕は、僕は君のことが――」


 久しぶりに見る、蓮人の力強くて、でも優しい、あたたかい瞳。

 緊張したように体は震えていて、顔もとても赤くなっていて。

 それでも、蓮人は言葉を止めなかった。


「君のことが、好きなんだ! ずっと――ずっと好きだった! 僕と、付き合ってほしい!」


 それは、わたしが何よりも待ち望んでいた言葉。

 ――嬉しい! 蓮人も私と同じ気持ちだったんだ! 両想いだったんだ!

 わたしは、迷わず返事をする。

 わたしも蓮人のこと大好きだよ!

 でも。


「わ、わたしと蓮人が付き合う? 冗談でしょ」


 え?

 は?

 わたし今、なんて?

 出てきたのは、ひどく冷たくて、突き放すような言葉。

 違う! これはわたしの本心じゃない! 

 そう言いたくて、叫びたくて。今すぐに蓮人を抱きしめたくて。

 でも、体は動かない。

 恐る恐る蓮人の顔を見る。


「――っ!」


 そこには、見たことがないくらい悲しい顔をした蓮人がいて。

 でも、やっぱりわたしは嘘だよ、わたしも好きだよ。こんな簡単な一言が言えずに。


「そ、そっか」

 ――ごめんね。


 どうして蓮人が謝るの。

 悪いのはわたし。素直になれないバカなわたしなのに。

 蓮人は、いつもの困ったような、優しい笑顔を浮かべている。

 でも、いつもと違うのは、今にも泣きだしそうな悲痛な目元。

 わたしは、その顔を――わたしが傷つけた蓮人の顔を見ていられなくて、足早に学校へと向かった。



 それからは悲惨だった。

 一連のやり取りを見ていたクラスメイト達が、蓮人が私にフラれたと吹聴して回ったのだ。

 自分で言うのもなんだが、わたしは結構人気があるほうだったので、その噂は瞬く間に拡がった。

 それだけならまだしも、蓮人の陰口を言う人たちまで出てきた。


「奈乃かわいそー。幼馴染とはいえアイツが奈乃に告白するとか、告ハラだよねー」


 は? 何それ。


「マジで奈乃ちゃんと幼馴染だからってチョーシ乗りやがってよ」


 調子乗ってるのはあんたじゃん。

 お前らが蓮人のことバカにするなよ。

 蓮人のこと語るなよ。

 でも、わたしにそんなこと思う資格もない。

 わたしが素直になれていれば。あと少しの勇気が出せていれば。

 結局、わたしが招いた結果なんだ。



 放課後になっても、状況は変わらなかった。

 友達に遊びに誘われたけど、正直行きたくなかった。

 すぐに蓮人の家に行って、誤解を解きたかった。

 でも、断って変な空気にしてしまうのも悪いし……。結局断れず遊ぶ約束をしてしまった。

 ふと、自分の机に座ったままの蓮人に目を向けてしまう。

 いつもなら放課後には一目散に家に帰るのに、どうしたんだろう。

 しかし、友達に呼ばれてしまい、話しかけることもできずにわたしは教室を後にする。


 いつもの女子グループ三人で、近くのヨネダコーヒーでパフェを食べているときも、わたしは心ここにあらずで、しきりに話しかけてくる友達が正直煩わしかった。

 なんて話しかけられたかも、なんて答えたかも覚えていないけど、きっととんでもない塩対応だっただろう。

 わたしの元気がないのを気遣って、きっと場の空気を変えようとしてくれたのか、そのうちの一人、金髪が似合う女の子。サナが思いついたように口を開く。


「でもさー。 マジあり得なくね? あのクソ陰キャ」

「え?」


 具体的な名前は出さなかったけれど、誰のことを言っているのかはなんとなくわかる。

 きっと、わたしの大好きな人のこと。


「いくら幼馴染だからって、奈乃に告るとか、わきまえろってカンジ」

「あーわかる。鏡とか見たことないのかな、ウケる」


 サナの隣の、派手なネイルをしたユリナが同調するように笑う。

 きっと私を慰めようとしてくれている。

 それはわたしにもわかる。

 でも、無理だ。耐えられない。


「あー、ごめん」


 急に立ち上がったわたしを、二人は驚いた様子で見上げる。


「もうわたし、あなたたち、無理」


 きっと、ひどく冷たい声だったと思う。

 でもこれが限界。殴りかかってやりたい衝動を抑えるので精一杯。

 何とか最後の理性で、自分の注文したパフェの代金を財布からとりだすので、もう限界だった。


「ちょっ、奈乃!?」


 慌てて引き留めようとする二人を無視して、わたしは鞄をひったくるように持ち上げて店を出る。

 蓮人のことを馬鹿にするような奴ら、友達でもなんでもない。

 きっと客観的にみたら、自分のことは棚に上げて、気を遣ってくれた友達に八つ当たりをするとんでもない女だと思われるだろう。

 でもそんなの関係ない、関係ないよ。

 早く、蓮人に会いたい。



 *****



「蓮人のバカーーーーーーーーーーーーっっ!!!!!」


 夕焼けの通学路を家に向かって全力疾走しながらわたしは考えた。

 せっかく勇気を振り絞ったのに。

 やっと想いを伝えられると思ったのに。

 本当、どうしてこうなっちゃったんだろう。

 いや、本当はわかってる。

 これは罰だ。

 蓮人の優しさに甘えて、ずっと冷たい態度をとってきたわたしへの、バチが当たったんだ。

 ごめんね、蓮人。




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