第2話 俺だけが好きなヒロイン、森園ミホリと初めて会話す。

「どうしたの?」


 目の前にいるのは、間違いなく森園ミホリだ。制服の襟元から覗く小さなアクセサリー、ショートボブの髪が風に揺れる仕草、そして少しだけ垂れた犬のような目――全てが、あのゲームの立ち絵そのままだ。


 俺は返事が出来ないまま、ただ見つめていた。


「……もしかして、具合でも悪い?」


 ……ミホリの声だ。ボイスすら無かったミホリの、生声。

 その声を、初めて聞いた。

 どこかで聞いたような没個性的な声なのに、天使の奏でるハープの音色の様に心が洗われるのを感じる。


 心配そうに覗き込むミホリの顔。表情の一つ一つが、ゲームイラストでは表現しきれないほど生き生きとしている。俺は意識が遠のきそうになるのを何とか堪え、深呼吸した。


「いや……大丈夫。ちょっと驚いただけだ」


 そう言うのが精一杯だった。目の前にいるのは夢にまで見たキャラクターだ。それが現実に存在するという事実に、頭が追いついていない。


「ふふっ、そっか。なら良かった~。一人でぼーっと立ち尽くしているものだから、心配したんだよ」


 ミホリは笑っている。その笑顔に俺はまたしても動揺する。

 立ち絵では基本表情のままで、表情差分の一つも無かったミホリの、屈託の無い笑顔。


 攻略不可のキャラクターが、目の前で笑っているのだ。

 ミホリの一挙手一投足に、いちいち感動を覚えてしまう。


「それにしても、河川敷で何をしてたの?


「え?」


 心臓が更に高鳴るのを感じた。ミホリが俺の名前を呼んだ。……何故知っている?いや、そうか。この世界では俺は折田光太郎ではなく、『KOTONOHA』の主人公として存在しているのだ。ゲームの名前入力欄で、主人公も光太郎という名前にしているからだ。


 つまり、ここでは俺が主人公という事か。


「……ちょっと散歩しに来ただけだよ」


 何百回もプレイしたゲーム上の台詞を真似る事で、なんとか返事をする。

 32年も生きてきて、なんてザマだ。

 社会経験こそそれなりにあるが、恋愛経験は皆無だったし、女性との会話すら少なかった俺が、意中の相手といきなり出会って、立って話しているだけでも奇跡なくらいだ。


 こんな事になるなら、もっと練習していたさ。


「そっか~。私もチョコと散歩中なんだ」

 彼女は満足げに頷き、犬のリードを引いた。


 そう言って、ミホリは連れている小型犬の頭を撫でる。犬はミホリに甘えるようにしっぽを振り、さらに懐いている様子だ。散歩シーンだったが、細かい仕草や動作は全て省かれていた。こうして見ると、ミホリの日常生活が垣間見えるようで、またも俺の心は嬉しさでいっぱいになる。


 だが、次の瞬間、ふと疑問が浮かぶ。


 河川敷……穏やかな季節……犬の散歩……


 ……そうか。これは入学して間もない、5月頃のエピソードなんだ。

 この河川敷で、この季節に発生するイベントと言えば。


「あ、光太郎くん、あの人って……」


 ミホリが立ち止まり、前方を見つめる。視線の先には、一人の少女が歩いてくるのが見えた。


 長い黒髪が風になびき、凛とした表情が目を引く。制服のスカートが少し揺れている様子が、まるでゲーム内で見た立ち絵そのままだ。


「どうしたのかしら?こんな所で二人揃って」



 ―メインヒロインの一人、桜坂さくらざかヨルと鉢合わせるシーンだ。



 桜坂ヨルは『KOTONOHA』の三人いるメインヒロインの一人。

 黒髪ロングで清楚な外見に加え、クールな性格と、時折見せる照れた表情のギャップが魅力的に見える事もあった。


「やっぱりヨルちゃんだ。こんにちは!ほら、光太郎くん。ヨルちゃんだよ…!」


 ミホリが明るくヨルに挨拶したあと、俺の肩を叩き、ここで会話するチャンスだよとせっついてくる。


 ヨルはというと、俺を見て一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに無表情に戻り、澄ました態度を取る。



「……こんにちは。森園さん」

「それと、折田くん」


 ヨルは少し眉をひそめて、俺とミホリを見比べる。その鋭い視線は、まさにゲームで見慣れた彼女そのものだ。


「ああ……こんにちは。桜坂さん」


 俺も軽くヨルに挨拶する。



 間違いない。この流れは一字一句変わらず、ゲーム内イベントと同じだ。



 俺が転生した5月だと、ゲーム開始時期である、4月のイベントは既に終えている事になっている様だ。

 4月はメインヒロインとそれぞれ顔合わせするイベントがあり、そこで転生前の俺はヨルが気になるとミホリに伝えたのだろう。


 そうするとミホリはいつの間にかヨルと仲良くなっており、会話のアシストをしてくれるという寸法だ。


「ヨルちゃん、カバン持ってるけど、この時間まで学級委員のお仕事してたの?お疲れ様~!」


 この日は午前授業という設定だった。ここまでもがゲームと一緒なんだな。


「下校ルート、こっちだったんだね。実はね、光太郎くんも一緒なんだよ!……あ、私もね?言ってくれれば毎日一緒に下校出来たのに~!」


 『KOTONOHA』では、顔合わせで気になると伝えたヒロインの下校ルートが、俺達の設定に合わせて捻じ曲げられるようになっている。

 いかにもゲーム的なご都合設定といえる。


「あなた達こそ、放課後も一緒だなんて仲が良いのね。幼馴染ってそういうものなのかしら?」


「ちょうどチョコ…犬の散歩をしててね。それで光太郎くんとも偶然会ったんだ~」

 ミホリはにこやかに答える。


その瞬間、ヨルの目が俺に向けられる。


「……ふぅん。偶然ね?」

まるで、こちらの動向を探るような視線だ。


「含みがあるな。俺とミホリが放課後会っていて何か不都合でもあるのか?嫉妬?」

 ゲームだと俺は淡白に返事するだけだったが、敢えてゲームと違う返事をぶつける事で、ヨルの反応を見ることにした。


 興味の無い女性に対してなら、適当にあしらう事も出来るさ。


「な……何故あなた達の関係に私が嫉妬しなければならないのかしら。折田くんが放課後すぐに帰ってしまったものだから、何か用事でもあるのかと思っていたのだけれど、それがこんな所でぼけっとしているのものだから、気になるのも当然でしょう」


 ヨルは冷ややかな態度を取りながらも、早口でまくし立ててくる。

 ……面白い。ゲームとは違った台詞でちゃんと返してくれるんだな。


「あはは~。二人は仲いいね~!」

 どう見ても良さそうには見えないのだが、ミホリにはそう見えるらしい。


「それじゃあ、私は散歩があるから、ここで……」

 ここで、ミホリは俺とヨルの仲が良くなりそうとわかるや、そっとその場を離れる展開になる。そして、残った俺とヨルの会話に発展していくのだ。


 ……そう。このようにして彼女はいつも「恋のサポーター」という役割に徹していた。

 その役割に疑問を抱くことも無く、離れて行ってしまうミホリの姿に、俺は何度心を締め付けられた事か。


 だが、今回は違う。俺はもう選択肢に縛られる必要はない。



 ―そう思った俺は、ゲーム内では決して出来なかった選択を取った。



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