第3話 メインヒロインとのフラグを折り、ミホリと駆け出す。

 

 俺は深く息を吸い込んだ。目の前には森園ミホリがいて、その先にはメインヒロインの一人、桜坂ヨルがいる。このシーンはゲーム序盤の決められたイベント。


 通常ならここでミホリは立ち去ってしまうが、今は違う。



 ミホリと一緒にいる選択肢を取る事だって、可能なのだ。



「光太郎くん、ヨルちゃん、それじゃまたね~」


 心臓が高鳴る。緊張で体が強張る。

 だが、それはこの世界でも俺が生きている証拠。

 


 ばいばいと手を振る、ミホリのその手を俺は掴んだ。



 その瞬間、彼女は驚きの表情を浮かべた。


「え……?」


 ミホリの手は少し冷たく、それがまたリアルに感じられる。この世界がただの夢ではなく、現実であることを再確認させるようだった。


「桜坂さん、俺もミホリの散歩に付き添うから。また明日な!」

そう言って、俺はミホリの手を引いてその場から離れた。まるで逃げるように駆け出す。


「ちょっと、待ちなさい。話はまだ終わって無いわよ……!」

 後ろからヨルが何か言ったようだったが、振り返らなかった。振り返れば、いつものゲーム通りになってしまう気がしたからだ。



「ちょっと、光太郎くん!?どうしちゃったの~!?ヨルちゃんとお話しなくても……」


「いいから、ついてきてくれ!」


「ふぇっ!?あっ……はい!」

 ミホリは俺の言葉に戸惑っているようだったが、繋いだ手を離そうとはしなかった。一緒に散歩中のチョコも、楽しそうに一緒に駆けてくれたのは幸いだ。もしここでついてきてくれなかったら、面倒な事になっていた。


 駆け足で少し離れたところまで来ると、俺たちはようやく足を止めた。二人で並んで息を切らす。


 思えば、女性と手を繋いだ事なんて、学生の時マイムマイムを踊った時とか、取引先と握手する時とか、儀礼的な時しかなかった。

 そんな俺が女性の手を自分から引いてどこかに駆け出すなんて、よく出来たモンだ。


 これも、ミホリへの思いが成せる業なのかもしれない。


 一度きりかもしれない、この夢のようなチャンスを逃したくないから。


「はぁ……はぁ……光太郎くん……どうしたの?いきなり走りだしちゃって」


 ミホリは心配そうな表情で聞いてくる。俺がヨルとの会話のチャンスをふいにしたことを心配しているのだろう。


「大丈夫だよ。……ほら、いつものあそこ、座ろうぜ」


 ちょうど足を止めた所は、『片川第二公園』と書かれた公園の入口。

 ぽつぽつと古めの遊具が点在している、小さめの公園だ。


 俺達は公園内の、奥にある古びたベンチへと腰掛けた。


 ここは、『KOTONOHA』の中でも、よく出てくる場所の一つだ。


 ゲーム内では、この公園は「幼馴染であるミホリと主人公が、悩み事や相談事をする場所」として描かれていた。

 プレイヤーだった俺にとって、この公園はミホリと二人きりでいられる特別な場所だったので、こうして空気を吸っているだけでもエモくて泣けてくる。


 そんな場所に偶然辿り着いた。


 ……わけではない。


 そう。俺は、ただ宛ても無く走っていた訳ではなかったのだ。


 最初に降り立った河川敷を橋のある方向に進むと、この公園へと繋がる道がうっすら見える事は、ゲームの背景イラストから割り出す事が可能だった。


『KOTONOHA』の舞台に行きたすぎて、一時期地図を描いてあれこれ妄想していたのが、こんな形で活きるとはな。


 そんな事を考えていると、チョコを抱きかかえたミホリが、少し落ち着かない様子で視線を泳がせながら、話しかけてきた。


「……ここに座るって事は、光太郎くん、何か相談事があるのかな?」


 ミホリの言葉に、俺は頷いた。


「それって、ヨルちゃんの事?さっきは急に飛び出しちゃったけど、それと関係が……」


「いや、違う。ミホリに言いたい事があるんだ」


 ミホリの目が驚きで見開かれる。


「いいけど?……珍しいね。光太郎くんが私に言いたい事だなんて。もしかして、なにか迷惑かけちゃったりしてたかな…?」


 後ろ向きなミホリの困ったような顔を初めて見た。

 そんな顔しないでくれ。心が痛い。


 むしろ逆なんだ。俺が言いたい事は……。


「迷惑なんて全然ないよ。むしろその逆」



「お前には、感謝してるんだ」



 ミホリの表情が一瞬固まる。まるで理解が追いつかないと言わんばかりに、きょとんとした顔でこちらを見つめている。


「……感謝?私に?」


 そうだ。ゲームの中では、ミホリはいつも主人公をサポートするだけの存在だった。

恋愛のフラグは他のメインヒロインたちのもの。

彼女には特別なエピソードも、専用のイベントもなかった。



 だから、ミホリに「ありがとう」と伝えるシーンなど、一度も存在しなかった。



 俺は、感謝だけは伝えたかったのだ。



 すぐに醒めてしまうかもしれない、この夢の様な空間だからこそ、これだけは伝えたかった。


 現実で生きる事がどんなに辛くても、心の中の森園ミホリが、俺の支えになってくれたから。



「そうだ。さっき桜坂さんといた時だって、俺に気を遣って間を取り持ってくれただろ?」


「え……?まぁ、そりゃあねぇ」


「そういう、いつも俺の事を考えて行動してくれる所に、感謝してるんだ」


 我ながら臭い台詞だったが、むしろ大分気持ちを抑えていた方なので、これくらいならば自然に言う事が出来た。


「ええっ?そんな、私感謝なんてされる事してないよ?」


「してるさ。いつも俺の事ばかり優先してくれて……だから、ありがとうな」


「うう……改まって言われると、なんか恥ずかしいなぁ……。でも、うん……ありがとう。光太郎くん!」


「なんだか不思議な感じだね~。ふふっ、いつも光太郎くんには、相談されてばかりだからね」


 ミホリはそう言いながら髪をかき上げた。その仕草は自然なようでいて、顔がうっすら赤く染まっているので、照れ隠しなのだとわかる。


「まあ、これからも困ったことがあれば、私に相談してよ。ヨルちゃんのことでも……それ以外のことでも、何でもさ!」


 ミホリは明るく言いながらも、どこかバツが悪そうに立ち上がり、両手に抱えていたチョコを地面に離す。けれど、その動きにはどこかぎこちなさがあった。まるで、早くこの場から離れたいというように。


「じゃあ、今日はこれで帰るね。チョコもいるから、遅くなるといけないし」


 そう言って、彼女は小さく手を振り、照れ笑いを浮かべたまま歩き出した。振り返ることなく、彼女の背中は少しだけ早足になっている。


「……ああ。これからもよろしくな。ミホリ」


「またね、光太郎くん!」


 瞬間、風が凪ぎ、木の葉が揺れ落ちた。日陰で薄暗くなったベンチから走り去っていく彼女の後ろ姿は、季節柄まだ暖かな日差しに当てられた事でトリミングされ、一際明るく見えた。


 ―その姿はさながら、ゲーム内では一枚も無かった、ミホリの専用スチルイラストを見ている様な美しさをたたえていた。


 スチルイラストが出る時は、関係の進展があった時と相場が決まっている。


 その瞬間、俺は気づいた。


 この物語は、誰も知らないルートを進んでいる。俺とミホリだけの、新しいスチルが、今ここに刻まれたんだ。




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