ゲームスタート

 黒谷は生まれつき、何かに一生懸命になれなかった。とはいえ一生懸命になる人を見下したり、嗤ったりすることもなかった。無気力なのではない。積極性が無かっただけだ。

 嫌われてはないが、極度に好かれてもない。限りなくゼロに近いプラス、と言ったところ。ただ一人、そんな彼を真正面から見つめたのが、光田だった。


 11/16。

 パシッ。

 既に暗くなり始めている公園に、軽い音が響いた。

「ナイス黒谷!」

「あ、ありがと」

 光田の、ストレートパスを受け取れるように。


 11/23。

「次は投げてみるか」

 上下左右、ほぼ確実にパスが取れるようになった黒谷を見た光田は、投げる練習にも手を出し始めた。


「おっけ。じゃ、今日はここまでにするか」

「分かった。ありがとう」

 光田はスクールバッグを少し乱暴に担ぎ、帰路についた。

(…光田くん…面倒じゃないのかな)

 彼は、「黒谷を満たしたい」と言った。しかし、本当にそれだけなのか。申し訳ないと思いつつも、黒谷は光田を疑ってしまっていた。


 11/30。

「つーわけで、友人を連れてきた」

「え?あー…」

 光田が何をするか、黒谷は悟った。彼が連れてきた友人は四人。光田と黒谷を合わせて六人。

「実戦だ。変なことはしねえから安心しろ」

 黒谷チームと光田チームに分かれ、試合を行った。


「行くぞ黒谷」

「う、うん」

 光田はそこそこの強さでボールを投げた。しかし、彼の腕力から繰り出される「そこそこ」は、黒谷を萎縮させるのに十分だった。

「うわッ!」

(結構強めに投げたんだけどな…じゃ、これはどうだ?)

 

「んー…反射神経は悪くないと思うんだけどな」

「結局勇気じゃね?パスなら取れたんだし」

「だじゃれか?」

「…あ、勇気と勇輝ってこと?」

 試合終了後、光田と友人たちは話し合っていた。

(光田くんなら分かるけどさ、なんで友達まで…?)

 決して両親からの愛が欠乏していたわけでもない。ただ、他人と話す気のなかった彼にとって、家族以外でここまで手を尽くしてくれる存在は、今までいなかったのだ。


「ただいまー」

 黒谷が家に帰ると、母親が料理をしていた。風呂に入るために、汗の砂のついたTシャツを洗濯かごに入れていると、母親が話しかけてきた。

「翔、最近よく外出してない?彼女でもできたの?」

「作る気ないから。ドッジボールの練習してただけ」

「え?一人で?」

「友達と。ってか、まるで僕に友達が一人もいないみたいな言い方やめてよ」

 ―――

 12/20。クラスマッチ当日。

(…ここまでされてるのに楽しむ気が起きないって、なんか申し訳なくなってくるな)

 教室に入ってバッグを置き、教科書を取り出した。

 クラスマッチは三、四時間目。仮に一、二時間目に設定しようものなら、それ以降の授業が疲労で身に入らなくなるという学校の判断だった。

「よ、黒谷」

「光田くん」

 遅刻時間ギリギリに教室に駆け込んできた光田に反応した後、黒谷はおもむろに本を開き読み出した。

 黒谷は、何かを感じた。

 光田の心から放たれる、迸る“何か”を。

 ―――

 ルールは至って簡単。

 最初は外野一人。内野に球が当たった場合、その人は外野行きとなる。外野から球を当てれば復帰、ただし外野は一人未満にはならない。

 勝利条件は「相手チームを全員外野に出す」こと、制限時間内に終わらなければ「外野が少ないチーム」の勝ちとなる。

「皆集まれー!円陣組むぞー!」

 光田の声で、一斉に集まる二組。

(…楽しむ努力も、するべきかもな)

 黒谷は、光田の近くへと走っていった。


 一試合目、三年五組。

「よろしくお願いします!!」

 敬意の欠片もない、ただの通過儀礼のような挨拶を終え、それぞれのチームはコートについた。

 体育教師が、旗を振り下ろした。開始の合図だった。試合中ではない組の体育委員がボールを空中に放り投げた。

「取った!」

「廣崎ナイス!」

 廣崎と呼ばれた、三組の中では最も体格に秀でた男子が、剛腕を以て敵陣へと攻撃を繰り出した。

「あぶね!」

「怖すぎ…」

 競技ではない、レクリエーションの一種としてのドッジボール。結局、物を言うのは腕力だ。

 ゴッ!…バスッ。

 外野の宮岡が廣崎の球を避けたことで壁にはね返ったボールは、鈍い音を立てながら一組陣地へと着弾。

「あいつやりやがった!」

 三組のそこかしこで上がる怒号をよそに、一組のガタイのいい男子――近藤が反撃を加える。

(…あいつで、いいか。軽めでもなんとかなるだろ)

 彼の目が捉えたのは、中央より少し離れたところで息を潜める黒谷だった。

(…え?僕?)

 近藤が振りかぶる。

(…ここで当てられたら、光田くんを裏切ることになる。外野じゃ僕に球は回ってこないだろうし、わざわざ求める気もない。なら)

 黒谷は射線を見切り、アウトラインぎりぎりまで下がって身構えた。

(僕にあんだけ丁寧に付き合ってくれたんだ。せめて応えるべき…でしょっ!)

 近藤のボール。恐怖心が消えたわけではないため、ヒットの直前、黒谷は目を瞑っていた。


 当てられた感覚は無かった。彼が目を開けたとき、その腕の中にはボールが留まっていたからだ。

「マジ!?」

「黒谷って運動できるんだ…」

「近藤のボール取ったん!?すごくね?」

「ナイス黒谷!」

「あ、ありがと。…光田くん、パス」

「おっけぇ!…潰す」

 キャッチを挟まず、ダイレクトシュート。

「おわっ!」

 やたら綺麗なフォームから飛び出したボールは、隅で縮こまる男子と、その近くにいた別の男子に命中。連続アウトが認められているこの試合において、光田のコントロール能力は脅威だった。

「あいつエグ…」

 称賛とも躊躇いとも取れる数多の声を華麗にスルーしつつ、敵陣に回ったボールを近藤が拾い上げ、「光田ァ!」と叫びながらぶん投げた。

(…速ッ!)

 咄嗟に回避こそ出来たものの、僅かに体勢が崩れた。そこを

 五組の最初の外野は、野球部の坂本。二重攻撃からは逃れられず――

「うっわ最悪!!」

 あえなく光田はアウトとなった。

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