人生の点数。“ハッピーエンド”とは?




 失恋5日目。外はサキの心の中と反比例する様に、眩しいくらいの快晴だ。太陽が心の傷にみる。そう言えば、この4日間はどんな天気だった?気にもしなかったな。


 こんな時間なのに子供達がはしゃぐ声が遠くから聞こえた。良かった。世間は幸せそうだ。そりゃ、そうよね。

 サキに、どんなに悲しいことが起こっても、別に世界から楽しい事が無くなるわけじゃ無いんだから。楽しい事や幸せは、いつでも、そこら辺に散らばってて、私以外の人は容易たやすく手に入れている。





 唐突にメッセージが届いた。差出人はアキラ。まさか。サキはすぐにメッセージを開いた。


「サキの荷物は送ればいい?」


 そういえば、どうせ会いに行くから、とサキの荷物も段ボールに詰めていた。

 やめてくれよ。こっちはアンタに言ってやりたいことが100はあるんだ。それを押し殺して、抑えて、ようやく何とかなりそうだったのに。メッセージを送るチャンスなんて与えたらだめだろ。


「うん。お願いします」


 当たり障りの無い文を送る。荷物は捨てといて、とは言えなかった。アキラの為になにか捧げることも、損をすることも、もう許せない。


「わかったよ。いままで、ありがとう」


 淡々とした返事に、殺意と愛情が入り交じった感情になった。画面のメッセージを5分眺めてから、文字を打つ。


「私が病気だから、今働けないって伝えてたら、結末は変わってたかな?」


 あぁ、送ってしまった。女々しい!こんな、面倒くさくて、重い女になりたくなかった。

 送ったメッセージを時間が経てば経つほど後悔した。しばらく、どんな返事が来るかとビクビクして過ごした。


「分からないけど、もしかしたらそうかもしれないね」


 返事を見て、サキは胸が痛んだ。やっぱり、そうだ。病気の事さえ早く言っていれば、あの幸せは続いていたんだ。でも、過去はどうにもならない。つらい。

 そして、アキラの期待を持たせるような文章に怒りが湧いた。「うまくいかなかったと思うよ」と、送ってきてくれればよかったのに。そうすれば、これ以上自分を責めなくて良かったのに。

 フッた側のアキラの中では別れについての議論は終わった事なのだろう。でも、サキの中ではそうではない。


 もしかしたら、事情を知ったアキラは今からでも受け入れてくれるのではないか、と希望を持ってしまう。やり直せる訳がないことは分かっていた。でも、わずかでも希望を残したままで将来後悔したくない。ここで、しっかり終わらせなければ、一生ぐずぐずと思い返しそうな気がした。


「そういう感じならやり直してほしい。頭では無理だってわかってるけど、諦められない。可能性が無いなら私をわからせて欲しい」


 と、送ってやった。これできっぱりと私を否定してほしい。私への不満や、嫌だった所を羅列して、出来るだけ傷付けてくれればいい。冷たく突き放して、アキラの事を少しでも嫌わせて欲しい。


 三十路女が別れたのにすがり付いてくるって、恐怖だろうな。そんな話じゃない、と呆れて、困っているだろう。忙しくて疲れてるのに悩み事を増やした?いや、こっちがこんなに死ぬ思いしてんだから、ちょっとぐらい苦しめ。この週末くらい罪悪感抱えて生きろ。なんて、思ったり。その反面、いい返事をほんの少しだけ期待をしてしまう自分が嫌になる。


 アキラからの返事が止まった。冷たいな。と思いながらもなんだか、安心した。そうするのが正解だよ、アキラ。流石、いい大学を出てるだけある。過去にも面倒くさい女と付き合った事もあったんでしょうな。対応が的確。さぁ、ブロックしてくれ。そして、もう期待させるようなことは、今後しないでくれ。何回どん底に落とす気なんだよ。


 サキはスマホを投げ出して、寝転がった。あぁ。なんて生きていくのは辛いんだろう。周りが当たり前にしてきたであろう、恋愛や結婚が、こんなに道のりがけわしく、痛みがあるものなんて……。きっと結婚しても、夫婦生活、子供のこと、と色んな苦難が続いていくんだろうな。と考えて吐き気がした。


 もう、恋愛とか結婚なんて、人生にいらないかも。幸せになるどころか、高低差で爆発するわ。


 アキラにいらないメッセージを送ってしまったせいで体力が無かった。少し浮上したかと思った気分も、また沈んでしまった。ゲームをする気にもなれない。


 人生もゲームくらい上手く行けばいいのに。ここからのストーリーの進め方が分からない。いつの分岐点で間違えたのか。操作方法自体も間違ってたのかも。攻略サイトはありますか?無いなら、リセットしてチュートリアルから始めさせてもらえます?




 

 何をするにも、深い心の傷は化膿した様にじくじく痛む。あの日から、ずっと呼吸がうまく出来てない。痛むのは心臓じゃなくて肺かも。いや両方か。ついでに胃も。あと頭。


 あれ?なんでこんなにボロボロなんだっけ?あぁ、そっか失恋か。いい歳した女が失恋でこの有様よ、笑っちゃう。今までちゃんと恋愛してこなかったツケよ。恋愛の経験値を積んでおくべきだった。


 実は、あの後、少し時間をおいてからアキラから返事が来た。


「もう気持ちがないから出来ないよ。でも、ありがとう」


 あぁ、敵わない。サキは困ってしまった。アキラは残酷だった。きちんと、断りながら出来るだけ、サキを傷付けないようにしている。サキに言いたいことは、きっといっぱいあった筈なのに。こんな返しで嫌いになんてなれない。


「困らせるようなこといってごめん。ありがとう」


 サキはそう送るしか無かった。アキラの大人な対応で目が覚めた。そして、自分が惨めになった。

 勝ち負けなんてないのに、なにが悪かったとか、正しかったのか、なんて気にしても仕方ない。どうせ、出来る事はもう無いのだから。


 正直言うと、心の何処かでは気づいていた。サキはアキラに釣り合わない。一緒にいる間、育ちや価値観はもちろんだが、決定的な人間としての格の違いを感じていた。

 サキがあんなにも心地よかったのは、アキラがサキのレベルに合わせてくれていたからだ。これは自虐ではなく、実際にそうだ。

 直接的な原因は、仕事をしていない理由を話さなかったことかもしれないが、他にもたくさんの原因はある。それをすり合わせていくなんて、難しい。遠距離恋愛なら尚更だ。それは分かっていた。


 サキは精一杯に背伸びして、アキラに必死に合わせようと努力していた。一緒にいられるのなら、どんなことでもしようと思ってた。でも、それで付き合い続けることが出来たとしても、いつかは必ず限界がくる。そんなの、お互いの為にならない。それをアキラは分かっていた。もし、サキの事が嫌になっただけだとしても、今、別れることは、アキラの優しさであり、誠実さだった。

 それなのに、サキは被害者面して、頭の中で言い訳して、言えない悪態をついて、ぐだぐたすることしか出来ない。この差だ。


 本当にいい男で、素敵な恋だった。そんな時間を人生に与えられただけでも幸運だ。結局はお互いが自分でいられる恋をしなければ、幸せになんてなれない。

 終わるべき恋だった。それに気付いたサキが、今もこんなに気持ちなのは、“プラスα”への依存と執着だろう。今はただ、そんな自分自身が悲しくて、悔しくて、残念で、可哀想だから、辛い。

 違う。本当に、好きだった。わたしもアキラの“プラスα”になりたかった。アキラが苦労して、頑張って生きてきた末に、私に出会えたことで報われた、と感じて欲しかった。一緒にいられることが幸いだと思って欲しかった。私が思っていたように。そう思ってもらえる存在でありたかった。


 何もせずにいると幸せだった思い出が蘇る。その次に、別れを告げられてから、今まで考えたマイナスな事からプラスな事までが、交互に次々と反芻はんすうされる。

 どうせ、自分は強がった発言するクセに、ぐずぐずと引きずって、変なメッセージも送っちゃう、みっともなくて女々しい女ですよ。本当に程度が低くて嫌になる。私はいつまで、“可哀想”でいなきゃいけないんだろう。


 だめだ。自分の中で考えるから、どんどん落ちていく。第三者目線に立とう。少なくとも、ヒステリックにわめき立てることも、相手を罵倒することもしてない。立派じゃない。心の中がどんな事にめちゃくちゃになっていたとしても、誰にも見えない。見せてない。頑張ってるよ。


 サキはテレビをつけ、ゲームのスイッチを入れた。


 私の人生、ここで“完結ゲームオーバー”にすれば、誰が見ても“不幸な一生バッドエンド”。だから、自分の中だけでもいいから“幸せな一生ハッピーエンド”だったと思えるようになるまでプレイするしか無い。たとえ、操作の仕方が分からなくても、とにかくボタンを押し続けて、先に進む。そうすれば、だんだん何とかなる事をサキは知っている。


 サキはコントローラを握り、アキラの事を頭の隅に追いやって、常に締め付けられるように痛む胸の存在も知らんぷりした。そうすると、かなり楽な気がした。思考を止めれば、その間だけは大丈夫。多少。


 脱毛も、筋トレも、勉強も、“サキ”の為に続けていこう。

 現実はゲームの様に上手くいかないことなんて、痛いほど分かってる。でも、とにかく今やれることをするしかない。それがゲームでも、マッチングアプリでも。どんな手段を使っても立ち直って、アキラとの恋愛と、その結末を受け入れ“いい経験”、それがあったから今がある、と思えるようにしていくしか無いのだ。

 空元気でも、そう自分に言い聞かせられるようになれたことが、鬱の快方も感じさせた。


 1年前だったら、どん底から、まず立ち上がるまでに3ヶ月はかかってた。この調子だと、この死ぬ程つらい期間は1ヶ月くらいだと思う。たぶん。



 いいよ。自分。えらい。



 世界中から表彰されても、いいくらいの成長だった。ただし、この凄さはおじいちゃん先生には……、いや、世界で一番の専門医にさえ解明することは出来ないだろう。サキの辛さも痛みも、以前より早い心の回復速度も。

 心の中は他の誰にも分からないから、“サキ”の成長を真の意味で褒められるのは、サキ自身しかいない。それは寂しいことに感じるけど、当たり前なことだった。


 そう。どうせ人生、なんでもいい。だって私は生きてるだけで100点なんだから。でも、死ぬまで時間があるし、せっかくなら、もっと幸せになっちゃう?ってだけなんだから。


 サキはゲームで次々と敵を倒しながら、自分を褒め称えた。



 すごい。強い。最高じゃん。



 サキの瞳に映るテレビ画面には、最高評価を示す大きな星が並んでいた。




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