幸せの代償。“思い出”とは?





 気づけば朝だった。睡眠薬のおかげで途中覚醒も無く、すやすや寝ることが出来た。なんだか、都合の良い夢をみた気がする。


 それでも、朝一発目からアキラの事を思い出して、ベッドの中でしばらく動けなかった。スマホを見れば、登録したマッチングアプリからの通知が来ている。

 “いいね”が10件。表示された顔写真を眺めて、“次へ”を押す。また押す。押す。プロフィールを見て、また“次へ”。


 駄目だ。アキラと比べていても仕方がない。また一番の始めの顔写真に戻り、今度は妥協もりもりで3人ほどに“ありがとう”を押す。


 これでマッチングしたとして、まずメッセージが返って来るか。その次は、メッセージが続くか。会えるか。話が合うか。の流れを始めなきゃいけないと思うと気が遠くなった。


 あぁ。妊娠でもしてたらな。アキラはどうしただろ?冷静に考えて、それだけで結婚はしてくれないよな。おろせと言うほど非情じゃないし、養育費とかくれるのかな?

 ありもしない妄想をする。漫画とかで別れた恋人に「子供が出来たの」って、嘘を付く女の気持ちに共感する日が来るなんて。ごめんよ。私も言いたい。出来れば本物のエコー写真を送りつけたい。


 サキは考えを振り払うように一階に下りると、歯を磨いて、顔を洗う。鬱が酷いと、こういうことが出来なくなる人が多いと言うけど、サキはそんなことは無かった。でも、「じゃあ、軽い方だね」なんて言われたら死ぬ。それか、心で殺す。


 流石に食欲が無くて、テレビで適当な動画を流してごろごろする。もちろん、動画の内容なんて頭に入ってこない。

 サキの瞳には、動画の中の別に好きでもないアイドルが映っていたが、頭の中はアキラとの、いままでの会話を思い返していた。3ヶ月しか付き合ってないせいで、無駄に細かい場面まで思い出せてしまう。


 あぁ、あの発言が気に障ったんだろうな。付き合った当初、アキラが立派過ぎて何とか見栄を張ろうと、調子乗った事言ったわ。冗談めかして言ったつもりだったけど、性格悪い女だと思って、どんどん冷めていったんだろうな。なんて、思ったり。


 3ヶ月で見限られたんだ。それとも、3ヶ月も我慢してくれて感謝すべき?いやいや、タバコもお酒も吸うし。虫が嫌いだし。エアコン使いすぎだし。金銭感覚も違ったから、結婚しても苦労したよ。と、自分を納得させようとしたり。


 サキは幸運な事に、数少ない恋愛経験の中で、相手の方からフラれたことが無かった。だから、30歳にして、初めてフラれた側の痛みを経験していた。いや、フった時も普通に落ち込むけどね。わかるよ。


 アキラも少しでも落ち込んで、後悔してくれていたらいいな。絶対に「やっぱり無しで」とは言ってくれないだろうけど。でも、別れなきゃよかったな、と少しでも思って欲しい。今後付き合う女の子といる時に自分を思い出して、「サキの方がここはよかったな」と、出来るだけ多く思って欲しい。逆は無理。


 というか、誰しも悪いところはあるだろ。嫌なとこは、言えばいいじゃん。なんで言わないで我慢して、我慢できなくなったら急に冷めるんだよ。


 そこまで考えてから、サキも今まで、そうやって恋愛を終わらせて来たことに思い当たる。天罰なのか?そして、歴代の彼氏達に心の中で懺悔ざんげする。しかし、そうされて当たり前だと周りも認めるクズだった事を思い出して、すぐに取り消した。


 この年代になったら、相手の性格とか考え方を変えようなんて、無謀むぼうだと思うよね。だから、気になっても言わない。なんだ、ある意味アキラとは似た者同士だったんだな。やっぱり気が合うじゃん。なんて考えながら、アキラに対して無意識に我慢していた事を探す。


 クズ男と比べてたから優しいと感じてたけど、ドライなとこもあったよ?あと、好き嫌い多いし、食の好み合わないし、いびきもうるさいし。周りに気を使ってるから、あんまり出てなかったけど、実は頑固で、我儘わがままで、プライドが高いことに私は気づいていたよ。でも、努力して隠して、大人な対応出来るように成長して“アキラ”なったんだろうな。欠点も全部可愛かったんだけどな。

 やっぱり、別れたくなかった。という結論になる。恋は盲目とはこのことか。


 誰だよ、すぐ別れてもいい記念になる、なんて言ってた奴。これならアキラを深く知らないまま、あんな幸せな時間を知らないまま生きていった方が苦しくなかっただろ。あんたのせいで、こっちは死にそうだわ。


 神でも、魔神でも、悪魔でも、もう誰でもいい。何でもいいから、とにかく私を救ってくれ。今すぐに。





 いつの間にか部屋は薄暗くなっていて、家族が帰宅し始めた。サキは慌てて食べたくもない、夜ご飯をつくった。

 家族にも失恋を伝えなければならない事が億劫おっくうで、また落ち込む。あぁ、彼氏が出来たなんて、得意げに言いふらした、過去の自分を殴りたい。


 どうせなら一気に済ませてしまおう。と夕食後、妹と母がテレビを見ている時間を見計らって居間に向かう。そして、なんとでも無いと言うような素っ気ない口ぶりで言い放つ。


「わたし、別れたから」


 2人が同時に振り返った。


「え、なんで」


 母が驚いた顔をする。


「まぁ、色々考えたら?」


「えー、そっかぁ」


 妹が残念そうだ。


「そう。まぁ、仕方ないよね」


 それ以上の質問を避けるために、2階に避難した。母もかなりショックを受けただろう。

 あとで、妹からメッセージがきた。


「残念だね」


 妹なりに慰めていると分かる。


「そりゃ、ある程度は悲しいけど早めに別れなきゃね」


 妹の手前、懸命で大人ぶった返事を送ったが、内心はグズグズもいいとこだ。さそも、自分がフったように言ってしまった。外面だけでも格好つけとかなきゃみじめすぎるんだよ。


 その日も迷わず睡眠薬を飲んでベッドに入った。ベッドの中でアキラと復縁できる未来を妄想した。あり得ない事はわかってる。本当に。





 起きてびっくりしたが、失恋して4日目になると、少し余裕が出てきた。もちろん、事あるごとにアキラを責め立てたくて、すがりつきたい気持ちを叫ぶ自分が頭にいたが、前向きな考えも浮かぶようになってきた。


 まぁ、アキラも私の事を考えてくれたんだろうな。浮気する事も出来たのに、きっぱりと別れてくれて。ずるずる付き合うより、早いほうが時間も、お金も、無駄にならないしね。半年後に別れられたら、本当に色々やばかったし。

 なんだかんだ転勤族について行くってのも大変だろうし、地元に残れてよかったかも。

 三十路みそじのたいして可愛くもない女がいい夢見れたわ。いい男だったなぁ。なんて、思えるようになってきた。

 正直に言うと、そんな考えが出来る時間は僅かで、大半は恨み節だけど。


 ゲームにも集中出来るようになってきて、少し楽しいと感じる。そうなると、ゲームをしている間はアキラとの思い出を思い返す事も減る。


 ゲームの合間に、スマホをチェックしてマッチングした相手にメッセージを返す。早く、失恋の薬だという“新しい恋”を探したくて、アプリを追加でインストールしていたので忙しい。


 よかった。まだ、私の相手をしてくれる人がいる。なんとか、未来への希望は繋がっている。


 でも、やっぱり悲しい気持ちは消えなくて、急に目頭が熱くなり始めたり、消えたい、死ぬコールが頭の中で勝手に流れることもあった。  


 アキラに連絡して、やり直す道が無いか問いただしたいし。2人がやっていけない理由を説明して、私を分からせて欲しい。でも、恋愛って2人の気持ちが合って成り立つものだしな。うん。


 こんなことなら、出会わなければ良かった。幸せになろうなんて思わなければ、“どん底”にはならなかったのに。

 非情な事に、幸せな思い出も、それを失った絶望的な記憶も、自分では完全に消すことは出来ない。

 もし吹っ切れたとしても、一緒に見た映画を見かける度に、好きだった芸人がテレビに映る度に、アキラの家までの道を通る度に、ふと思い浮かぶ。これからのサキには“アキラ”がついて回る。


 その他の元カレと同じように“クズ”だったらよかったのに。そうだったら、思い出しても、「別れて正解。あの時の自分よあっぱれ」と思えるのに。

 アキラの思い出が遠い過去になれば、同じように思えるのかな。幸せな思い出が、今の距離から近すぎるから、こんな気持ちなのかな?

 いや、記憶がどんなに小さく薄くなっても、この先の人生で“アキラ”を思い出して、その度にあの時間が恋しくなることが、簡単に予想できてしまう。


 今、願い事が3つ叶うなら、迷わずアキラについての記憶を消す。しかし、どんなにあわれな状況でも、願い事を叶えてくる神も魔神もいないなんてこと、大人のサキは分かっていた。そんな都合の良いもの、小さな頃から一度もいた事なんてなかった。



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