心の診断。“頑張る”とは?





 次の日。偶然にも朝から病院の予約が入っていた。


 薬の副作用のせいで起きれないかと心配していたが、目覚まし時計をセットした時間の10分前に目を覚ました。


 一階に降り、歯を磨いて顔を洗う。コンタクトを入れて、水を飲んだ。最近、研究と工夫を重ねていたスキンケアは、見せたい人がいなくなり、かなりに適当だった。


 気を抜くと、アキラの言葉を反芻して、ぼんやりとしてしまう。気持ちを奮い立たせ、日焼け止めを塗ってから、申し訳程度の化粧をする。


 死ぬかも。死ぬ気がする。死にそう。死んだほうが何も考えなくていいから楽。死ぬと遺体が残って迷惑だから消えたいわ。しっかり“鬱”じゃん。逆戻り。


 病院までの時間を逆算して、余裕を持って用意していたつもりが、ギリギリの時間に家を出た。


「前回はちょっと下り坂でしたね。どうですか、調子は?」


 診察室の椅子に座ると、先生はパソコンでカルテを確認しながら、いつもと同じような質問をしてきた。


「……よくないです」


 良くないどころか、どん底です。なんて、ストレートには言えない。


「あら、どうしました?」


 先生がパソコンに向けていた顔をあげて、こちらを見た。

 サキは言うしかなかった。失恋なんて、もちろん精神衛生上最悪だ。きっと親族が亡くなる次くらいには悪いはず。鬱で休養中ならりっぱな死因になりうる。それだけの事が起こったことを先生に分からせなければならない。


「簡単に言うと、彼氏と別れました。だから、久しぶりにしっかり落ちてしまって……」


 努めて冷静な声で告げる。さぁ、先生はなんて答える?


「それは……、ふられたの?」


 先生の言葉に呆気にとられた。


「……ええ、まぁ」


 サキは顔を引きつらせて答えた。


「失恋の一番の薬は新しい恋愛っていうけどね」


「そうですねぇ」


 確かに、失恋に効く薬が欲しいです。じゃあ、新しい素敵な恋人を処方してもらえますか?と、言いたかった。

 実際のサキは、よくわからない曖昧な返事をした。先生に対して湧くマイナスな感情を知らないフリして、サキは何とか笑顔らしい顔をつくっている。こんなときでも平静を装おうとするのが、私の長所であり、短所なんだろうなと思う。


「結婚とか、考えてたの?」


「そうですねぇ。ふわっと?」


 うそだよ。思いっきり考えてたよ。でも、そう答えると可哀想だろ?私が!


「なんとか、立ち直らないとね」


 先生は電子カルテに何かを打ち込む。失恋した。とか書いてるのかな。そんなカルテを想像したら笑える。いや、笑えない。


「はい。……ちょっとでいいので、睡眠薬出してもらえますか?」


 今日、これだけは先生に伝えようと思っていた事をなんとか告げた。素敵な恋人も、とは言わなかった。


「わかりました。出しときますね」


 ミッション成功。と、なればいち早くこの場を去りたい。


「ありがうございました」



 言いたくもないお礼をして、席を立つと足早に診察室を出る。会計をすまし、処方箋薬局でいつもより一種類多く薬をもらって、すぐに家に帰った。


 その間にも、アキラの事が頭に浮かんで、その度にかき消す。どうしようもない。悲しいことは仕方ないけど、受け止める。次に進む。そう何度も自分に言い聞かせた。必死な自分の声が、サキを余計に虚しくさせた。





 家につくと、すぐにゲームをつけた。何でもいい。とにかく、気をそらせなければ、気分は落ちていく一方なのは分かっていた。オンラインで気になっていたソフトを探して買う。


 新しい事。楽しい事。やりたい事。頭の中で唱える。それでも、ゲームソフトのインストールの間にアキラの事を考えてしまった。死。


「なんで俺だけ頑張ってるんだろうって思ってしまうし……。前はいくら稼いでいたか知らないけど、今は国からの補償を貰って暮らしてるんだよね?賢いやり方だと思うし、そういう人を否定するつもりはないけど、俺はもっと頑張ってる人がいいな」


 アキラの言葉が頭にガンガン響く。分かる。アキラは確かに頑張っていた。新しい土地に転勤になり、引き継ぎを受け、知らない土地を運転して周り、知らない顧客の顔を次々と覚えていた。そんな中で引っ越しの荷解きをして、最低限でも家事をして、どんなに大変かは想像がついた。


 私も、アキラの勉強も部活も全力で頑張ってきた事や、今も仕事を頑張ってる姿が好きだった。だから、私も同じなのかも。でも、それだけじゃなかったよ。


「今日はなにしてたの?」


 アキラからの日々のメッセージに、素直に散歩に行ったとか、お菓子つくった、とか返信してた。自分が必死に働いているの間に呑気のんきに過ごしている彼女に、余裕がない状態のアキラ苛立いらだったんだろう。

 いや、家でアキラが仕事してる時にのんびりテレビ見て待ってた時から嫌だったのかな。


 いつものアキラは優しい人だから、気になることがあっても言えなくて、ずっと溜め込んでいたのだろう。わかるよ。なんて言ったら怒る?なら、ケンカでもいいからしようよ。ぶつかって、話し合って、仲直りしようよ。私たち、1回もケンカしてない。ケンカにすらならなかった。


 タバコの話で言ってくれたみたいに、私もアキラを失うくらいなら何でもしたよ?

 私は今は働けないし。鬱回復のためにしたくもない、散歩や菓子作りをしていた。アキラが“何かしたら?”っていうから、2週間前から全国のどこでも働けるように資格の勉強も始めた。アキラの為に脱毛も始めたし、筋トレも続けてる。“今”出来ることを、がんばっていたのに……。アキラに言ってないこともあったんだよ。“未来”の準備のつもりでやってたんだよ。


 でも、アキラの“頑張る”はこんな程度のことじゃなかった。アキラと同じようなレベルで頑張れなきゃ駄目だったんだな。

 今まで、私が前の職場の話してた時も、田舎の小さな会社で頑張ってた、なんて言っても、たかが知れてる。自分の方が大企業で仕事を頑張ってるし、年収も2倍だぞ、って気持ちだったんだろうな。これは、流石に被害妄想か?


 そういえば、私が仕事の話とか、旅行の話とかしてるときに反応悪かった気がする。何かを始めたって話をした時も、俺のほうが、その程度で。とか、思ってたんじゃ……。あり得る。


 サキの頭の中は信じられないほどの速さで思考し、早口で言葉が浮かんで流れた。

 もし“仕事を頑張ってる女性”と結婚しても、お互いに忙しいなら相手が家事することになるのでは?そして転勤についていく度に妻は仕事変えるの?あ。リモートワーク出来る都会の仕事に就いてれば、問題ないのか?そんなバリバリ働いて、で気が合って、性格もいい女の人いるの?で、その人が頑張ってるかをアキラが常に評価するの?


 そもそも、私が仕事始めた所でアキラと会う時間がますます減るし、同棲するまでの時間もかかるし。お金貰える期間は無職でも、会いやすくてタイミングいいかも、なんてアキラも付き合う時に言ってたのに!数カ月後に同棲するかもだし、地元で就職活動はやめたほうがいいか?とか、勝手に思ってた。


 頑張ってたんだよ。重くて、イタい女かもしれないけど、色々考えてやれそうな事をしてた。レベルが低いかもしれないけど。違う方向かもしれないけど。でも、否定はしないで。


 資格の勉強もさ、難しいの。専門用語とか、計算とか。せめて、教科書の中身を見てから判断してよ。

 この1ヶ月の間に努力した、脱毛とか、筋トレとか、スキンケアとか。私が勝手にしたことだけどさ。せめて、その成果を1回だけでも見てほしかったよ。

 

 やっと、始まったゲームのオープニング画面をぼんやりと眺めていた。何かボタンを押さないと始まらないのに。


 私が仕事してたら上手くいったのかな。でも、仕事辞めてなかったら絶対に出会えなかっただろうし、付き合えなかったよなぁ。あの時は全てが報われた気がしたのに。


 今は働くなっていう期間なので、仕事以外を頑張ってます。って伝えてたら何か変わったんだろうか。優しいアキラなら受け止めてくれた気がする。今、願い事が3つ叶うなら、とにかく時間を戻す。あの、人生で一番幸せだった時に。


 いや、“頑張っていない”の他にも、“距離”だとか、“結婚までに会う頻度”だとか、色々御託ごたくを並べていたな……。でも、どうにかできそうじゃなかった?同棲したりさ。いや、言ってないだけでシンプルに性格が嫌いとか?もしかして、転勤までの“繋ぎ”で付き合ってた?初めから別れる気だった?


 まずい。今すぐに連絡をして、ヒステリックに責め立てたい。なんとかカッコつけて、後腐れなく別れた感じを装ったんだ。そんなみっともないこと出来ない。いや、どうせ別れるなら、とことんみっともなくなってやろうか?


 理性と感情が葛藤かっとうしている。怒りと哀しみの乱高下を繰り返す情緒の中で、こんなダサい女じゃなかったはずなんだけどな、鬱のせいかも、と冷静に考えている自分もいる。いや、元からこんな女だったか。


 泣きたい気持ちなのに、一度も涙は流さなかった。泣いたら負けな気がする。いや、涙が流れてないだけで、ほぼ泣いてるんだけど。


 やっと我に返って、コントローラのボタンを押した。ゲームのオープニングムービーが始まってもワクワクしない。


 チュートリアルの文章が頭に入らなくて、飛ばし読みを続けていたら、操作方法があやふやで序盤じょばんの敵にも呆気なく殺られた。

 あぁ、同じだね。あなたは死ねていいですね。私も背後からバッサリと殺られました。私の場合は敵じゃなくて、一番の味方だと思ってた人に。


 サキは画面に表示されたゲームオーバーの下の“リトライ”の文字を選択出来ずにいる。


 のこされた方が悲しいから、最期は事故で同時に死ねたらいいね、なんて言ってたのに。現実では今、私が死んでもアキラに知られることすらないだろうな。悲しんでももらえない。虚しい。


 全国ニュースに載るような派手な死に様、見せてやろうか。私が死んだって知ったら、悲しんでくれる?後悔して、一生忘れないでいてくれるかな。


 まずい。全然楽しくない。集中できない。でも、やり続けるしか無い。気を紛らわせないと。

 なんとか夜更けまでゲームを続けて、寝た方がいい時間となった。


 ベッドに入ってからは、とにかく早く寝ないと、苦しみが一生に感じる時間、続くことは分かっていたので、さっそく睡眠薬のお世話になった。


 私はこの失恋を乗り越えられるのだろうか。世間の人たちはどうやって乗り越えてきたんだろう。でも、人類の歴史の中で起こった悲恋の中では、全然軽い方なんだろうし。恋愛の痛みなんてバカにしたくなるほど、もっと悲しくて苦しい時を過ごした人なんて、数え切れないほどいるんだ。私の恋愛なんて、お話にもならない。  


 家族がいる。友達もいる。家にも、お金にも困ってない。恋愛くらいで……、と自分に言い聞かせる。


 まぁ、付き合って3ヶ月。遠距離抜かせば、実質2ヶ月。早く別れたからセーフでしょ。んな、訳あるか。




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