第10話 新たな生活

【創世歴669年 雷鳴らいめいの月(1月) 15日】


「…じゃあ、二人のこと頼むな」

玄関先、外套を着直したハンスは見送るジェーンに言う。

現在の時刻は午前6時。オルフェン達は疲れと部屋の暖かさで眠気が押し寄せたのか、すっかり眠ってしまっていた。

せめて見送りくらいはとジェーンは二人を起こそうとしたが、ハンスはゆっくり寝かせてやりたいと拒否した。

「わかった。お前も死ぬなよ」

「死なねぇさ。俺がどんだけ生き汚い男かお前も知ってるだろ?」

悪戯っぽく笑うハンスにジェーンも微笑み返す。

ハンスはふと、思い出したように外套のポケットを探り、小さな巾着袋をジェーンに手渡した。

「そうだ、これ」

「?」

ジェーンが首をかしげながらずしりと重い袋を開けると、中には金貨や銀貨が詰まっていた。

「オルフェンが魔物を倒して集めた魔石ジェムを換金した金だ。あいつらの養育費にでもしてくれ」

「これ、全部あいつが?」

「ああ。まだ半年しかダンジョンに入ってないのにすごいよな。…あいつはもっと強くなれる。頼むぞ、ジェーン」

「おう、任された」

微笑んで、ジェーンは袋の口を閉めた。




午後一時。


ベッドの上でオルフェンは目覚めた。

体を起こし、部屋を見回して、しばらくぼんやりとした後に状況を把握する。

乱雑に家具や本が積まれた埃っぽい部屋。

カーテンの隙間から光が差している。

隣には、レインがすやすやと眠っていた。


「お、起きたかオルフェン」

部屋のドアが開き、ジェーンが入ってくる。

彼女は昨晩見た時の格好とは打って変わって、コルセット付きのロングスカートにきっちりとしたブラウスを合わせたお洒落な格好だ。

「シャワー浴びてこい!そしたら出かけるぞ!」

「出かける…?」

「役所にお前らの移住申請しに行くついでに、服とかいろいろ買いに行くんだ!ほら、レインも起きた起きた!」




オルフェンが想像していたよりも申請はすんなり終わった。

「カシュリアは移民が多い国だからな。本人確認さえ出来たらあとはわりと楽よ」

申請を終えた後、三人は服を買ったり、コップや歯ブラシなどの日用品を買うため街を歩いていた。

「そうだ、レインのファミリーネーム、アタシが勝手にセスリント姓にしちゃったけど良かったよな?」

「うん、オルフェンと、おそろいだから、うれしい」

にこっと微笑みながら言うレインに、オルフェンの顔が微かに赤くなった。

「あれ、なに?」

レインはそんなことには気付かず、馬無しで街を走る四輪の車を指差した。

「ああ、あれは魔動車まどうしゃだ。馬の代わりに魔石ジェムを動力にして動く車で、コストや走行可能距離の問題からまだ試験段階らしいが、いずれ馬車より普及するんじゃないかって言われてる」

すらすら述べるジェーンに、オルフェンは驚きの視線を向ける。

「…ジェーン…さん、ってもしかして、頭良い?」

「呼び捨てでいいよ。良いもなにも、アタシ学校の先生やってんだよ」

「がっこう?せんせい?」

「レイン、知らないのか?…ああ、小さい村だと教会が勉強教えてるからか」

ジェーンは比較的近くに見える大きな建造物を指差す。

教会と城の中心のような白い外観が日の光を浴びて輝いている。

「カシュリア王国立ネージュソリドール魔法学園。この国最高の学園だ」

話しながら歩いているとなにやら人だかりができていた。

どうやら新聞を配っているようだ。

新聞配りの「号外!号外でーす!」の声と、民衆のざわめきが聞こえる。

通りすぎざま、ジェーンは地面に落ちた新聞を拾い、紙面を見て眉を潜めた。

「…何が書いてあるんだ?」

「大したことじゃないよ」

言いつつ、カバンに新聞をねじ込む。




ひと段落して、街角のカフェで食事を摂ることにした。

「好きなもの頼みなよ!アタシの奢りだ!」

「ジェーン、お金もってんの?」

「あっはは、これでも国立学園の教師よ?貰うもんはそれなりに貰ってるって!」

「ジェーン、この、ピザってなに?」

「んー、チーズがいっぱいで美味いやつ。レインはそれにする?」

「説明が雑だな…」

賑やかに注文し、料理を待つ間にジェーンは二人と話す。

「改めて自己紹介。アタシはジェーン・ダイアー。職業は教師。担当教科は戦闘術。好きなものは酒とチーズ!特に癖が強いやつな」

にかっと笑い、ジェーンは二人に問う。

「お前ら、今何歳だっけ?」

「俺は8歳。…たぶん、レインも」

「ふーん…、じゃあまだ全然余裕だ」

「?」


その言葉の意味を聞こうと思ったタイミングで、ウェイターが「お待たせしました~」と料理を運んでくる。

「カシュリア風トマトソーセージピザとチーズバーガー、ホットココアがお二つ、それとフィッシュアンドチップスとカシュリア王都産クラフトビールのセットになります~」

「ありがと。うまそ~!冷めないうちに食べな!」

ジェーンはそう言いながら、さっそくビールの瓶を開けてグラスに注ぐ。

レインは届いたピザ一切れをしげしげと眺め、口に運んだ。

焼きたて生地のさくさくとした食感と焼けたプチトマトとソーセージの脂の甘み、ニンニクの効いたピザソースのうま味が広がり、口元から離せばたっぷりと乗ったコク深い味わいのチーズがとろりと垂れる。

一口頬張った瞬間、目をキラキラさせた彼女を見てジェーンは笑う。

「美味いか?」

「おいしい…!」

レインも微笑みを返し、オルフェンもそんな彼女を見て笑みを浮かべながらチーズバーガーを頬張った。

「食いもんに限らず、都会には色々なもんがあるぞ!お前らが見たことない魔道具マギズモや建物、本や服…あと何だろな、まあとにかく色々だ!」

あはは、と豪快に笑い、ジェーンはタルタルソースをたっぷりディップした熱々のフィッシュフライと、冷たい酒を呷る。

「くあ~っ!最っ高!!このために生きてるわ~!!」


それでさ、と二人に対してジェーンは続ける。


「さっきの話の続き。二人とも、ネージュソリドール学園の入学、目指さないか?」

「え…?学園に…?」

「うん。さっきも言ったけど、カシュリアに魔法学園は数あれど、ネージュソリドールは国内最高峰だ。入学は13歳からだから、まだ5年ある。あいつから聞いた話だとオルフェンは結構賢いらしいし、レインは何でも興味持って知りたがるタイプだから、今から色々勉強しとけば余裕で入れるポテンシャルはある、と、アタシは思うね」

「…」

オルフェンは窓の外の学園に視線をやる。

ピナ村が余裕で敷地に入るくらいの大きさの建物だ。正直、気後れする気持ちはある。

「あの学園の卒業生は、大体政府のお偉いさんか騎士、冒険者になってんだ」

「冒険者…」

「あいつから聞いたよ。オルフェン、なりたいんだろ?」

ジェーンのその言葉に、オルフェンはしばし考え、こくんと頷く。

「…なりたい。冒険者になって…今度こそ、誰にも負けないくらい、強くなりたい!」

その返答に、ジェーンは微笑み、それから紙ナプキンでオルフェンの口元を拭った。

「心意気は買うが、ケチャップついてるぜ」

「う…」

恥ずかしそうにするオルフェンを見た後、ジェーンはレインの方を向く。

「レインは?」

「オルフェンが、目指すなら、わたしも、目指す」

「そうかそうか」

ビールを一気に呷り、ジェーンは言う。

「決まりだな」





「ハンスからの伝言だ」

帰宅後、二人の寝室となる部屋の掃除をしつつ、ラフな格好に着替えたジェーンは告げた。

「お前らがピナ村の出身であることは誰にも明かすな。勝手に王都から出るな。ハンスと関わりがあることも誰にも言うな。…それから、レインは絶対に変身はするな。だとさ」

「…おっちゃんは、何でレインに変身して欲しくないんだ?確か、村から逃げる時も、そんな感じのこと言ってたし…」

「さあな。詳しくは知らねえけど、まあドラゴンに変身なんて普通はあり得ないからな。目立つとそれだけ宵闇に狙われるだろうし。レイン、約束できるか?」

「うん」

クローゼットに買ったばかりの服をかけながら、レインは頷く。

「よーし、じゃあとりあえず、明日からは早寝早起きして生活リズム直さねぇとな!…つっても、アタシも休日は夕方まで寝てっけど…」

「教師の、お仕事は?」

「今は冬休み中で誰も学校来てないんだ。冬休みは明後日までだから、それまでは日中もお前らの面倒見れるぜ。アタシ忙しいから、最低限の家事とかは覚えて貰うからな」

「うわ、こきつかう気だ…」

「養ってんだからそれくらいはしてもらわないとな!じゃ、休憩がてらホットミルク淹れてくるわ」

そう言って、ジェーンは部屋を出る。


キッチン横に置いていたカバンから、新聞の号外を引っ張り出した。

見出しには大きく『ピナ村壊滅』の文字。それから、『主犯と見られる不審人物。見かけたら即通報!生死問わず!』という文言と共に少し若いハンスの写真が載っている。

「帝国の奴ら、新聞社に金握らせたな…」

呟いて、新聞をぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱に放り込む。

カップを三つ取り出し、ミルクを注ぐ。

「…無事でいろよ」

その声は誰にも拾われず、部屋の静寂に溶けて消えた。



こうして、オルフェンとレインの新たな生活が始まったのであった。

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