第6話 姉弟喧嘩

「…事情は大体分かった」

村へ向かう道すがら、レインから事情を聞いたハンスはそう返答する。

ハンスに背負われたオルフェンは恐る恐る彼に尋ねた。

「おっちゃん…ばあちゃんは…?」

「…危険な状態で、神父いわく…今夜が山、だそうだ。今は教会で治療を受けている」

「そんな…」


三人はダンジョンを走り抜ける。

村についた頃にはもう太陽は完全に沈み、星が瞬き初めていた。

「おっちゃん、もう下ろしていいよ。自分で歩ける」

「そうか。…本当に大丈夫か?」

「うん。…だって俺…強い冒険者になる男だから」

その言葉にハンスは微笑み、オルフェンを優しく下ろして雑貨屋へ向かう。



「オルフェン!?」

「姉ちゃん…」


店の裏口で、オルフェン達の姿を見たリリィは持っていたバスケットを落とす。

バスケットが地面に転がり、中に入っていたローラの着替えやタオル類が辺りに散らばる。

「おっと」

ハンスは即座にそれを拾い集めるが、リリィはそれに目もくれず、つかつかとオルフェンに歩み寄った。

「…またダンジョンに入ったの?」

「…」

「なにその怪我…、まさか、危険な場所まで行ったんじゃないでしょうね」

「…っ」

その問いに、オルフェンは言葉を詰まらせる。

それと同時に、恥ずかしい、という感情が沸き上がった。

ローラのためにダンジョンの奥まで潜ったのに何も得られず、自分は命を落としかけ、レインも危険に巻き込み、その上ローラは命の危機に瀕している。


自分が情けなかった。

結局何もできなかった、ちっぽけな自分が。


「…姉ちゃんに…っ、姉ちゃんには関係ねぇだろ!!クソババア!!」


バシンッ


と、鋭い音が響く。


リリィが、オルフェンの右頬にビンタをかましたのだ。


「いい加減にしなさい!!おばあちゃんがこんなときだっていうのに、あんたは自分勝手なことばっか!!」

「っ、…うるせえ!!」

「あんたなんか…っ、あんたなんかしらない!!勝手にどっかで野垂れ死んでろ、バカ!!」

叫ぶように言い残し、リリィは夜の村を駆けていく。

「リリィ!…追いかけてくる。お前らは家で待ってろ」

「わかった」

バスケットを抱え、リリィを追いかけるハンスにレインは頷いて、オルフェンの手を引いて屋内に入った。


ダイニングには二人分の食事が用意されていた。

リリィが作ったのであろう、キノコのクリームパスタ。ほんのり温かい鍋の中にはジャガイモのポタージュスープもある。

レインは自分用に少量、オルフェン用にスープを並々と器に注ぎ、水差しに水と火の魔石ジェムを嵌め、いつものようにココアを淹れた。

「食べよう、オルフェン」

「…」

無言のまま、オルフェンは椅子に座る。

レインは食事前の祈りを済ませ、スープを啜った。

オルフェンもパスタを巻いて、口に運ぶ。


「…う、うう…っ…ぐす…っ」

「どうしたの?どこか痛い?」


料理を一口食べ、泣き出してしまったオルフェンにレインは尋ねる。

オルフェンは首を横に降るが、涙は止まらない。


家に帰って、美味しい料理を食べて気持ちが落ち着いたからか、いろいろな感情が吹き出してきた。


死にかけたことへの恐怖。

助かった安堵。

己への不甲斐なさ。

それから、リリィに怒られた悲しさ。


ボロボロと涙を流しながら、オルフェンは食事を口に運ぶ。

リリィは不思議そうに、それと同じくらい心配そうに、彼を見つめていた。




ピナ村唯一の教会は、村の外れの小高い丘の上にあった。

ここには神父のトムとシスターのナタリーが住んでいて、説教の他に村の子供達の教育や、怪我や病気の簡単な治療なども行っている。

そして現在、意識不明のローラが運び込まれている場所だ。

「リリィ、待て」

教会の近くで、呼び掛けられたリリィは立ち止まる。

彼女はそのまま振り返り、涙目でハンスを見上げた。

「…ハンスさん…っ、わ、わたし…っ!」

「……大丈夫、わかってるさ」

ぽんぽん、とリリィの頭を撫でると、リリィは決壊したように涙を流し、ハンスの懐に飛び込んだ。

「…うう、うわあああん…っ!!」

「大丈夫。ローラさんのことで、気が立ってるんだろ?オルフェンもわかってる。あいつはああ見えて賢いからな」

「…っ、お父さんも、お母さんも、いなくなって…っ、おばあちゃんも危ないのに…、あいつまで…あんな、あんなボロボロで…っ!」

ハンスはリリィの背を擦る。


もう誰も失いたくない。

一人になるのは嫌だ。


…その気持ちは、ハンスにもよく分かるから。


「…リリィは、ローラさんの側にいてやれ。今日は俺があいつらの面倒見ておくから。…大丈夫。ローラさんは大丈夫だ」



それから数分後、ハンスはオルフェン達の家に帰ってきた。

私服に着替えたレインから上着を返してもらい、ハンスは椅子に座る。

「リリィは今晩、教会に泊まることになった。もう夜だし、俺が泊まって面倒見るから、お前らは家にいろ」

「…でも、ばあちゃん…」

「あの人ならきっと大丈夫だ」

ハンスは不安げなオルフェンに微笑み、それから真面目な顔でレインの方を向いた。

「それから…お前のことについて、色々聞きたい」

「…あんまり、記憶がないけど…自分に、わかることなら」



「……」

レインが村に来た経緯を聞いたハンスは腕を組み、悩ましげに眉をひそめた。

「…お前が竜…ドラゴンに変身できるのに気付いたのはいつだ?」

「最初から、わかってた。でも、変身したの、最初の、逃げてきた時だけ。今日までずっと、変身してない」

「記憶がない、と言ったな。何か、うっすらとでも覚えていないか?」

「……」

レインは目を閉じ、それからゆっくりと開く。

「…手」

「?」

「大きくて、優しい手。わたしを抱き締めてくれた。ちょうど、おっちゃんみたいな、手」

ハンスはそれを聞いて複雑な表情を浮かべると、呟くように言った。

「父親、か」

「ちちおや?わからない。でも、暖かい手だった。…もう一度、抱き締めて欲しい」

軽く微笑んで、レインは言う。

ハンスは複雑な表情のまま、それでも精一杯優しい声色で告げた。

「…叶うと、いいな」




一方同時刻、教会。

「…脈も呼吸も安定してきている。まだ目は覚めていませんが、ひとまずは大丈夫でしょう」

「…!よかった…!」

トム神父の言葉に、リリィは安堵して膝から崩れ落ちる。

シスターのナタリーも嬉しそうにリリィの背を擦った。

「ところで、リリィさん。オルフェン君達を家に置いてきて大丈夫ですか?」

「…今はハンスさんが見てくれてます。…オルフェンは…また勝手にダンジョンの奥まで入って、今日なんかいつもより大怪我して…!本当に、どれだけ心配かければ気が済むのかしら!」

安心したからか、リリィの口から不満が飛び出す。

「ダンジョンの奥に…?」

その言葉を聞いて、はっとナタリーは口許を押さえた。

「それ、もしかしたら私のせいかも…!」

「え?」

「この前、オルフェン君に勉強を教えた日に、病気に良く効く草が陽だまりの森の奥にあるって噂、教えちゃったから…。やんちゃな子だけど、まさか勝手に入るなんて思わなくて…!ごめんなさい、リリィちゃん!!」

「そう…だったの…、あいつ、おばあちゃんのために…」

しばし間を置いて、リリィはオルフェンを叩いた手を見つめる。

「…明日、帰ったら謝らなくちゃ」



「…明日、帰ってきたら謝んなきゃ」

ベッドの中、オルフェンは呟く。

隣にはレインが寝ている。普段彼女はリリィと共に寝ているが、一人だと寂しいという理由でオルフェンと一緒に寝ることにしたのだ。


オルフェンは窓の外を見る。

雪がチラチラと降り始めていた。

「雪だ」

「本当。つもる?」

「さあな。明日、積もったら遊ぼうぜ」

「うん」

ベッドに潜り込み、目を閉じる。

日中の疲れがどっと押し寄せ、オルフェンはすぐに眠りに落ちた。




その頃。

少し高い山の上から、ピナ村を見下ろす影があった。

目立つ人影が二人と、十数人の兵士、それから巨大な魔物が一体。

「グルルル…」

鎖に繋がれた異形の魔物は、今にも暴れだしそうだ。

「やぁっと尻尾を出したスね」

黒い軍服を着た少年、ココは軽い口調でもう一人の人物、ロイスに話しかけた。

「…作戦に移る。準備はいいか?」

「はぁい」

ココは魔物の前に立ち、殺気に満ち溢れた目を見つめる。

すると、彼の黄色い右目が光を放った。

その光は、魔石ジェムを使用した際のものと一緒だ。


「オーガ、ピナ村の住民を皆殺しにしろ」


低い声でココが命じると、魔物_オーガはすっと大人しくなった。

彼が鎖を外し、村を指差すと、オーガはピナ村に向かって駆けていく。


ロイスはそれを見届けると、兵士達に命じた。



「ローラー作戦決行。ピナ村に火を放て。村民全員、生きて逃がすな」

「はっ!」


兵士達は、火の魔石ジェムがついた弓で矢を射ると、矢の先端に炎が生まれる。


一本、また一本と放たれた火の矢たちが、ピナ村の、民家に、服屋に、本屋に…


そして、教会に降り注いだ。

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