第2話

ㅤ雨降りでなかったら、いつでも夜中の公園で彼女に会った。

ㅤそこで待ち合わせでもしているかのように、二人でジャングルジムの上へと登ると、夜空を見上げた。


 昼間は幼稚園児か小学生が遊んでいるだろうちっぽけな公園の中で、一番高い所にある場所から見上げる夏の夜空。


 もっと、高い丘や山や、そういった所から見上げた方が、より近くに空を感じられるのだろうけれど、この小さな公園の一番高いここから見上げる夜空も、悪くは無いと思った。


 つまらなくて大して変化もない僕の日常を、どう話せばその笑顔が見られるのか。

 そんなことばかりを考える日々。

 彼女の笑顔が増える度、僕の心も癒されていた。



 彼女と夜空を見るようになって何日かが過ぎた。しかし彼女の名前は未だに分からないままだった。


 自己紹介のタイミングを失った僕らは、互いに『君』と『あなた』で不自由なく過ごしている。

 

「君には星が見えるのか?」

「見えないけど見えてる。あなたには月が見えるの?」

「見えないけどあるのは知ってる。だから見えてるよ」

「時は流れるね。……だから、そのうちきっと、見えるようになるんだよね?」

 

 僕はただ頷いた。


 時が流れた先を、僕は楽しく思える日がくるのだろうか……。今は、このまま時のない世界で留まっていたいと思う。

 

「正直、僕はしばらくこのまま止まっていたいよ」

「……そうね。でも、どうせなら月や星がちゃんとこの目で見れたらいいなって思うの」

 

 僕は無言のまま頷いた。

 他人が聞いたら理解されなく、病気なのかと勘違いされそうな会話だ。


 僕が思う事をそのまま話したとしても、彼女は受け入れてくれた。そして僕も、彼女の言葉に共感した。


「月と星は見えないけど、もしかしてユーホーなら見えるかもしれないよね?」

「そうかもな。テレパシーバンバン送って、もしもキャッチしてもらえたら召喚できるかもしれない。……なんてな」


 ありえない事を話して現実逃避をするのは、時を止めているような錯覚を起こして安心できるからだ。


 たった少しの時間、僕はここで非現実を味わい、それに酔いしれて、このまま朝が来なければいいと願った。


「どうせ来るなら優しい宇宙人がいい。特殊能力を僕に与えてくれたなら、僕は世の中の為にその能力を存分に使うよ」

「例えば?」

「そうだな。世界中の人たちが毎日三食ご飯を食べられて、ふつーの事で腹を抱えて笑える世の中だ」

「それいいね! 来ないかな、ユーホー」


 彼女は両手を天に掲げ、


「来い! ユーホー!」


 と叫んだ。

 それから伺うように僕を見てきて、少し恥ずかしそうに笑った。


 可愛すぎて恥を捨てきれていない召喚スタイルに僕は、


「そんな中途半端なカワイイやり方じゃあ宇宙に思いは届かんよ。僕が手本を見せてやる!」


 と、厨二病を患った中学生を演じた。


 ジャングルジムの鉄骨に脚を引っ掛け、バランスを取りながら立ち上がる。目を見開き、両手を高く天に掲げ、


「い出よ!! ユーホー!!」


 唸るように、腹の底から声を発した。

 我ながら完璧な召喚スタイルを披露できた。

ㅤやり切った。

ㅤ本当にユーホーでも出てきやしないかと期待するほどの雰囲気を演出できたように思う。

 誰が見てもマンガの世界にいる厨二病キャラだ。


 彼女が、「バカみたい!」とケラケラと笑い出した。


 その笑い顔をもっと近くで見たくて、楽しげに笑い続ける彼女の顔を覗き込んだら、僕はバランスを失いよろめいた。


「ひゃっ! あぶない!」

 

 僕の身体はゆらゆらとゆれた。

 耐えきれず鉄骨から足が外れる。

 瞬時に手の届く鉄骨を右手で思い切り掴み取った。

 

「だいじょうぶ!?」

「大丈夫だ。心配ない」

 

 僕は懸垂の要領で自身の身体を持ち上げると、再び彼女の隣へと腰かけた。


「ただいま」


「驚いた! ヒヤッとした! あなたが大怪我すると思って真っ白になってた。あなた、引きこもりのくせにすごい運動神経いいのね!?」

「引きこもりでも日々の体力作りは怠ってないからね」

「なんか、すごくかっこよかった」

「だろ?」


 僕がドヤ顔で彼女を見ると、彼女は少女マンガのヒロインみたいに瞳を輝かせていた。


 僕はそのヒーローに、なれたりするのだろうか。この公園での設定上では、許されるのかもしれない……。


 僕は彼女から目が離せずに、つい見つめてしまった。

 

 しんと静まり返った公園で、ただ見つめ合う一瞬は、時が止まったような錯覚を起こさせた。

 

 見つめすぎたと我に返れば、鼓動が激しくなり、居心地が悪くなる。


 一体これは、この感情は何なのだろう。


 身体中が熱くたぎるような、胸が苦しくなるような不思議な感覚に彼女を見ていられなくなって、僕は慌てて天を仰いだ。


「な、なんかさ、今日の空、めちゃくちゃ綺麗じゃないか?」


 全然、少しも特別とは思えない曇り空だったけれど、


「……うん。すごく綺麗な夜空よね」


 彼女はうっとりとして、それに共感してくれた。




 夢みたいな日々が、このまま続いてほしいと願っていた。


 時が止まっていたように思えたのは、ただの僕だけの願望で、着々と季節の変化を感じさせられた。


 しんと静まり返った夜中の公園には、鈴虫の鳴き声が響きはじめ、今日はそれがやけに耳に付いた。


 鈴虫が鳴いたなら、強制的に夏の季節は秋へと引っ張られるような気がして、そんなにも早く過ぎないでくれと、願いたくなる。


 

「あなたはこれから、どうするの? 学校へは行かないの?」

 

 突然そう問われて、僕は何も返せなかった。


 たまに親から言われる言葉を、まさか彼女から言われるとは思ってもいなくて、戸惑った。

 

「今は夏休みだからね」

「明日で夏休みは終わるでしょ? それからの話しをしてるの」

 

 空を見上げたまま問う彼女の横顔が、やけに遠くに感じられた。


 その言葉は、僕の時までを強引に流そうとしているようで、耳を塞ぎたくなる。


 秋を感じさせる涼しい風が、汗が引いた僕の身体をヒンヤリと包みこんだ。


「なぜこうなったんだろう。このままどうなるのか。どうしたいのか。焦っているのか。それを感じないようにしてるだけなのか。僕にも分からないんだ。行かないことに理由なんてない。理由があれば、まだ、少しは……」

 

 楽に思えたのだろうか……。

 

「私は後悔してるの。行かなくて逃げてしまった今を。本当は焦っているの。でも、ここでこうやっていると、何だか落ち着いて。……でも夏休み明けは変わっていたい。学校、行ってみようかなって」


 彼女がなぜ学校へ行けなくなったのか、そこまでは聞けなかった。

 僕たちにとって皆が普通に通う学校は、学校と聞くだけで息苦しいものだから。

 きっと、彼女も聞かれても困るだけだ。


 今だけは現実逃避をしていたい。


 だから僕達は、夜中の公園で、こうやって毎日夜空を眺めているんだろう。


 でも彼女は、この時を流したいと思い始めている。


「君がそう決めたなら、僕は応援するよ」


「ありがとう。あなたに会えて良かった」


「うん。僕も、君に会えて良かったよ」


 なんだよそれ。

 もう、終わりみたいじゃないかよ……。


 僕はここで過ごす彼女だけじゃなく、もっと違う彼女も見てみたくなった。

 僕がこの先どうなるのか、どうするのか、今はまだわからないけれど、この時間が無かったことになるのは嫌だと思う。この時間が、意味の無い時間だったなんて、思いたくはなかった。

 

「ごめん! 気を悪くしたらごめん! 突然、今さらだけど、君の名前教えてくれるか? ……実は、僕は君を知らないんだ。君は僕を知ってるのか?」

 

 すると彼女はくすくすと笑いだした。

 キョトンとして見つめる僕に、今度は腹を抱えて笑い出す。

 

「実は私も。アナタの名前がずっと思い出せなくて。でも見たことはあるような気がしたの。…今更自己紹介とか、言い出せなくて」

 

 僕はほっとした。

 同じ気持ちでいたんだ。


 再び僕達は夜空を眺めた。

 月と星は、眩しいほどに輝いていた。


「なんか見た目と違って、君ってテキトーなんだな?」


「あなたこそ、人に合わせすぎよ。私を知らないなら知らないっていってくれれば良かったのに」


 自己紹介のタイミングを無くしていた僕らは、今更ながらに互いの名前を知った。

 でも結局、君とあなたで会話は進み、名前を呼ぶことが出来ずにいた。


「終わっちゃうね。夏休み」


「そうだな」


「……だから、夜更かしできないから、しばらくはここへは来れないと思う。私、頑張れるだけやってみようと思うの」

 

 不安気に言う彼女に、僕は大きく頷いた。


「そっか。がんばれよ」


「うん。がんばる。…あなたは?」


「そうだな。…僕は、僕のタイミングで頑張ることにするよ」


 そうだね。と呟いて、彼女は僕の指先に、指先で触れてきた。

 その小さな手を包み込むと、彼女も僕の手を握り返してきた。


「あなたと、また会いたいって思ってる」

「うん。僕も、君とまた会いたいよ」

 

 今度会う時は、互いに名前を呼び合う事が、できていたらいい。

 お互いの名前を堂々と呼び合えた時には、見える景色だって色鮮やかに変化してるのかもしれない。



 新聞配達の慌ただしい原付の音が聞こえ始めた。

 鳥のさえずりと、風に吹かれてカサカサと揺れる草木の音。虫たちの声。どこかの民家から聞こえる犬の遠吠え。電車の音と、踏み切り音……。

 

 聞こうとすれば耳に届く沢山の音達が、遠く彼方から僕たちのいる空間を包み込んでくる。


 今までは聞こえないようにしていた、これから一日が始まると言いたげな雑音が、今はほんの少しだけ心地よく感じられた。


 始まりの音と共に、止まっていた時が流れ始める……。


「約束」


 彼女は小指を差し出して、真顔で僕を見つめてきた。

 迷わず僕は、彼女の小指に小指を絡ませた。

 

 しばらく僕達は朝焼けの空を眺めてから、いつか陽の当たるこの場所で、また会う約束をした。

 



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始まりの音 槇瀬りいこ @riiko3

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