第10話 剣の握り方
「まずは少しだけトリストン剣王国とその歴史について解説しておこう」
「剣の扱い方を習うのに、歴史を習うの? 意味ある?」
「大アリさ。アタシは何でも触れれることを大切にしているが、歴史ってのは触れる対象に厚みを作る。紙ペラよりも本の方が触れている実感が湧く。ただ触れているかも分からない薄っぺらい"剣の扱い方“だけを知るより、厚みを知る方が遥かに習熟する。『剣を握る』というのはそういうことさ」
「良く分かんないけど、シシリオが言うなら分かったよ」
「よろしい。素直なのはいいことだ」
トリストン剣王国は北端、獅子のたてがみ、その頂点にある極寒の山岳地帯に城を持つ。雪と岩ばかりの不毛の地。国と呼ぶよりも、騎士を育てる施設と考えてもらった方があながち正しい見方だ。
剣、それが騎士足らしめ、階級足らしめ、トリストン国民足らしめ、命足らしめる、文化であり自己そのもの。
ゆえに剣を前にする彼ら騎士たちは、厳格であり、勤勉であり、静粛である。
翻って言えば、トリストン人でありながら剣を持たずに生きるなど、あり得ない。それほどまでに『剣』はトリストン剣王国の枢機に位置する。
では如何にしてトリストン剣王国に成ったのか。
なぜ、
なぜ、王国と名乗りながら剣が象徴であり、王ではなく王に従う『騎士』の治世が国を成しているのか。
決して、初代国王が剣一本で成り上がった英雄譚的建国があったわけではない。もっと政治的な理由だ。
トリストンの全
「ちょっと待って。話をいきなりぶつ切りして申し訳ないけど、『大王』ってなに?」
「獅子の横顔に点在する国家、その王たちを束ねる王。それが『大王』。言い換えるなら、『この大陸を統べる絶対的存在』とも言える」
「はぁ? それって、なんかヤバくない?」
「ああ。実際ヤバかった。まともな大王ならまだしも現代の野郎は逃げだして、空いた玉座の権力に群がった王様たちが大戦争が起きたばかりだからな。死人も数えきれない」
シシリオは呆れ果てたように言う。
その言葉がずしんと重く感じたのは、彼女がまるで経験してきたかのような口振りだったからだ。
嫌な考えがよぎった。
考えたくもない、おぞましい一つの予測。
震える声で認めたくない思いを圧し殺しながら、僕は問うた。
「大王って大陸の王なんでしょ? ……それってつまり、世界の戦争って……こと?」
「そうなるな。ああ。その通りだ。世界中で空いた大王の席に座ろうとした。結局、誰も大王にはなれなかったがな」
実に滑稽な話じゃないか、そう言ったシシリオは笑っていなかった。
誰も大王になれなかった……?
何のために争ったんだ。
無意味だ。
「じゃ、じゃあ、大王なんていない方がいいんじゃない?」
「どうしてそう思う?」
「だって、馬鹿馬鹿しい。王様がもっと偉くなるために、色んな人を戦争に向かわせたってことでしょ? 大王がなくなれば、そんな無意味な戦争はなくなるじゃん」
「逆だ」
シシリオは冷たく切り返した。
「政治は正常な判断とは逆の論理で動いている」
「どういう意味……?」
「これまで平和な世界治世が保たれていたのは、大王の圧倒的権力と武力、そして最古の歴史で世界を戴くからこそだった。内実、大王本人がそうでなくとも象徴としての『大王』が取り持ち、世界を調停していた。事実、そうして何千年も獅子の横顔は今回ほどの戦争を起こさずに済んでいた。戦争が起きた一番の原因は、
僕は戦慄した。
森では知り得なかった、指で軽くつつくだけで崩れてしまいそうな世界の均衡に、深く困惑した。
シシリオはそれを気にも止めず「話が逸れたな」と蛇足を切り上げ、トリストン剣王国の内容へと軌道修正した。
剣王国の騎士は、まさに象徴としての大王を守護するための存在。先の大戦で大王はおらずとも玉座のある『大王都』を守るため、その忠誠を大いに果たした。むしろトリストンの騎士がいなければ戦争は悪化していただろう。
先程、大王とは最古の歴史と言った。
トリストン剣王国もまた、大王に仕える最古の騎士である。大王都にある玉座を数々の軍勢から守りきったのは、まさに最古から紡がれ、
「アタシが教えるのは『アルム剣術』。最初の大王に仕えた最初の騎士、剣王国が建国される前から剣命に尽くした、聖人アルムニトから脈々と受け継がれてきた技術だ」
長いくも短い歴史の授業は終わりを迎えた。
そして彼女の言った通り、手の内にある木刀は重く、僕の細腕では頼りなくなった。
歴史の重さか、それとも剣術に染み込んだ先人たちの血潮か。途方もなく、今にも剣を持つ腕が奈落へと落ちそうだ。
それでも今から約一ヶ月で数千年の結晶の一端をこの体に叩き込む。腕に理解させる。
「さて本格的に剣術について練習していくが、主に二つを軸に進める」
シシリオが人差し指を立てる。
「一つはアルム剣術の型と作法だ。アルム剣術には三十四の型があるらしいが、アタシは基礎しか知らないし、トリストン人も多くて三つぐらいしか型を知らないからレッドも基礎の型を覚えれば問題ない」
「分かったけど、どうして型が三十四もあるの?」
「知らん」
実に端的で分かりやすい回答だ。
人差し指の隣に、中指が立つ。
「二つ目は体作り。要するに鉄製の重い剣をちゃんと扱えるように、筋肉をつけるトレーニングだ。レッドの筋肉量だと瞬間的に剣を振れてもすぐに体力が尽きる。戦いにおいて筋力がないのは致命的だ」
日頃からあの剣を腰に携えているが、最初は重くて昼間にはひーひー言っていた僕も、最近は重さに慣れ始めている。
しかしやはり腰に鉄の棒をくくりつけて動き回っていれば夜には疲れて足取りも遅くなる。それに加えて剣を両手で握って振るうなんて、シシリオの言う通りに一日の中で一回や二回もすれば体力は尽きてしまう。
それでは話にならない。魔物と戦い、あるいは人と戦う時、その命のやり取りは必ず僕如きの一太刀やニ太刀で終わるはずかない。体力が尽きて肩で息をする僕に、相手は容赦なく攻撃を続けるだろう。
「腕、腹筋、足。人体にとって重要なこの三ヶ所を重点的に鍛えていく。幸い、薪割りや水汲みで体幹は育っているから筋肉はつきやすいだろう。ただし内容は後で伝えるが、トレーニングは毎日朝昼晩三回行う」
「朝昼晩!? 筋肉痛で動けなくなっちゃうよ!」
「安心しろ。そのうち気持ち良くなってくるさ」
「………………」
「………………冗談だ」
その間は絶対に冗談じゃない。
僕が何を言わなかったから怒ったと思ったのだろう。白々しい軌道修正だ。
筋骨隆々なシシリオからすれば体を鍛え上げて筋肉痛がしても快感かもしれないが、あいにく僕の体はそういう特殊な改造は施されていない。
「アタシもそこまで鬼じゃない。氷室にはまだ鹿肉があったはずだ。鹿の赤身は筋肉の修復を助け、より頑丈にしてくれる。それに合わせてアタシが備蓄から役に立つ食材を見繕ってやる。ネーシャなら多分美味しく調理してくれるはずさ」
まだ幼いネーシャへの信頼が凄まじいが、正直僕もネーシャならどんな食材でも美味しい料理にしてしまうのではないかと期待している。
「レッドを拾った時にも使った、自然治癒力を高める軟膏。それも眠る前に塗って、ちゃんと筋肉をほぐすマッサージをすれば多分次の日に筋肉痛を持ち越すこともないはずだ」
「おお。気持ちよくなるって意味不明なことを言う前にこっちの説明してくれればよかったのに」
「ははは」
シシリオは遠くを見て笑った。
なるほど。
僕があれに同意してたら「筋肉痛気持ちいい」のまま話が進んでいたな。危うくシシリオに殺されるとこだった。
「それにしても至れり尽くせりだね。僕のために氷室の備蓄わざわざ使ってくれるなんて」
純粋な僕の感想に、シシリオは居心地が悪そうに頭を掻いた。
「それだけ辛い鍛練になるってことさ。筋肉痛で一日ダメにしましたじゃ時間が足らなくなる。出し惜しみして半端になるのはレッドも嫌だろ?」
改めてシシリオに言われて自覚する。
今までは僕の頭の中にだけあった予定に過ぎない。剣を学ぶのも、旅に出るのも、いつか戦うことになる魔物も、どれもそういう未来になるという僕の予測であって、そこには必然性はない。
だが
未来を偶然ではなく必然と定義して、そこに至るまでの準備を逆算し、目的とした成果を未来で発揮するための緻密な『計画』。
「そ、そうだね……うん。できるだけやりきりたい!」
緊張が沸き立つと同時に芽生えたシシリオの期待に応えたいと思う気持ちに、僕は力強く頷いた。
■■■
僕らはいかに素晴らしい意匠の建築物を見ようと、荘厳な絶壁から果てしなく続く地平線を目の当たりにしても、そのときに感じた「美しさ」という抽象的なものを他人にどれだけの語彙をもってしても伝えることはできない。
言葉というのは完璧とは程遠いし、想像というのも現実を描写するには及ばない。まさにシシリオが口癖のように言う「触れられること」は、もっともよく言葉にできない部分の的を得ていると感心する。
だからこそ、敢えて僕はこの言葉だけでそれを語るべきなのかもしれない。
美しい。
そう直感が訴えかけてきた。
シシリオの立ち姿は筆舌するにはあまりにも目を奪わせる、完璧に近いものだった。感動にも似た感情だった。
彼女が見せた構えの
彼女の動きがピタリと止まる。基礎型。正面に握った剣をやや前へ傾けた、騎士としてはありふれた構え。
だからこそなのだろうか。何千、何万と彼女が繰り返してきたであろうその構えに『剣』以外を加える余白はない。
あれほどないい加減な入りだったはずが、シシリオの瞳からは雑念は消え失せ、静寂が彼女の体の外へ波紋となって広がる。
一呼吸、その間の集中。
この場を制した騎士が、息を吐いて、吸った。
「――――」
刹那、世界が止まった気がした。
風も、鼓動も、時間さえも皆、シシリオの薙ぎ降ろした木刀の次に動き出した。
その技に圧倒される。
彼女が構え、剣を振り下ろすまで本来は数秒にも満たない。だがシシリオが見せた手本は、何十秒にも何分にも感じさせる、濃密なものだった。
構えを解くシシリオは平然としたまま、こちらに視線を向けた。
「と、こんな感じさ。やってみろ」
「…………」
「レッド?」
「え! ああごめん! すごすぎてぼーっとしてた!」
無反応だった僕にシシリオが覗き込む。
不思議なもので意識はハッキリとしているのに、思考はピタリと止まっていた。だが体は何が起こったのかちゃんと分かっているようで、冷めない興奮に掴まれた心臓がうるさく鳴っている。
「はは。見惚れさせるとは、久し振りに構えたがアタシもやっぱり衰えないな」
嬉しそうに、そして誇らしげにシシリオは胸を撫で下ろした。一瞬の集中だったとはいえ彼女にとっても満足のいく構えだったらしい。
「でもそんなの見せられても真似できないよ!」
「初めからアタシ並の実力は求めるわけないだろ。アタシと比べれば世界で見てもほとんどの騎士が劣ることになっちまうから、アタシのはあくまで見本だ」
見本にしては、いきなり最高級の品だ。これではシシリオか、シシリオ以外かで判断してしまう役立たずな審美眼に肥えてしまいそうだ。
杞憂して表情を曇らせる僕に、シシリオは頭を押さえて呆れた顔をする。
「ったく、またどうでもいいことを考えているな」
「否定はしない、かも」
「何を考えているかは知らんが、どうであれはまずやってみないと始まらないぞ。取り敢えず、立て」
立ち上がり、少しだけ間接をほぐす。
「よし。型の前後の姿勢は無視して……まず足は肩幅よりも少し狭く広げる」
「こ、こんな感じ?」
シシリオ自身も型の姿勢を取りながら口でも伝え、僕もそれに従って足を少し開く。
「そんな感じだ。次は姿勢だ。アルム剣術の基礎型は正面で剣をやわく両手で握り、肩と腰の力を抜いて、顎を低くする」
シシリオの指導に従って木刀を構えていく。
「剣をやわく握る……剣をやわく……『やわく』って何?」
「レッド、利き手は右手でいいな?」
「うん」
「そうしたら肘を軽く曲げる程度に腕を伸ばし、右手で柄の上側を持つ。でも握るのは親指から付け根にかけてと人差し指と中指だけ、薬指と小指は添えるだけ…………そうそう、構えるだけなら力はあまり入れなくていい」
「えーっと、こうだね。左手は?」
「左手は右手から指一本分空けて、右手と同じ要領で握る。ただし左手の場合添えるのは小指だけで薬指も柄を握る」
「こう?」
「ああ。そうすると自然と右手は前方へ、左手は体に引き付けるような力が剣に掛かる。少ない力で剣が安定する」
彼女の言う通り、軽く握っているのに重さもあまり感じないし、なにより木刀は安定してピンと立っている。
「うむ。いいね。綺麗に持てている。やっぱり体幹があるおかげで安定性がある。これが基礎型の構え。斬る時は両腕を脱力させたまま振り上げ、振り下ろす時だけ力を瞬間的に入れ、右手を前へ押し、左手は後ろへ引く」
「えー……と、こうっ、ですか?」
体の動かし方に戸惑いながらも言われた通りに木刀を振り下ろしてみる。
だが思ったような剣術らしい振り下ろしではなく、ただ長い棒を「よいしょ」と足元に下ろしただけのぎこちない動きだった。
「斬る時、振り下ろしでも振り上げでも、斬り込みでも突きでも何でもそうだが、力を入れるのは腕だけじゃなく全身にもだ。そうさね……言葉にすると
難しいことを言うと思いながら、僕は素直に頷いてもう一度言われた通りにやってみる。
ブンと風を切るようになった。
おお、確かに変わった。明らかに木刀に伝わる力が大きくなっている。
けれど、それでもまだぎこちない。僕自身も変なところにまで力を入れている感覚がある。
「もう少し振れるか?」
「ん、わかった」
ブンブンと違和感を感じながらも木刀を振る。
シシリオは腕を組み、僕の素振りを注意深く観察する。ただでさえ鋭いシシリオの目がいつになく真剣な眼差しで険しくなり、まさしく剣呑な雰囲気だ。
その最中、彼女は僕の後ろに回り込んでまた前へ戻ってくると、その目は歯痒さが取れたように満足げなものになっていた。
「なるほど。単純に力みすぎだな。腕や背中に余計な力が入って、斬る動作に滑らかさがなくなってる」
「どうすれば直る?」
「剣を振る時、息を止めているだろ。多分、それで体が緊張している。次から振る時に息を吐きながら振ってみな。おおかた改善するはずさ」
「なるほど」
息を吐きながら、か。
剣を構えて、呼吸を整えながら、振る。
「フッ」
力を抜きすぎたのか、今度は先程に比べてへなへな剣筋だ。
「もう一回だ」
「ふっ」
「もう一回」
「フッ!」
「お」
グンッ。塊の空気を押し退けるように、僕の木刀は風を斬った。
――――これだ。
息の弾を吐き出す感覚での呼吸は、力を底から呼び起こした。だが体に違和感のある負担はない。剣先が歪みのない弧を描き、振り下ろされた先で止まった。
素人でもわかる、確かな手応え。
シシリオを見るとどうやら僕は正解を掴めたらしく、彼女も嬉しそうに頷いている。
少し見ただけでどこを改善すればいいのか見抜ける彼女の観察眼には感心を通り越して脱帽だ。
「良い剣筋になってきた。やっぱりレッドは器用だね」
「ふふ、シシリオに褒められると照れるな」
幾度の素振りで早々に汗ばんだ額を、僕は恥ずかしさを紛らわすために大袈裟に拭った。
「戦う時は瞬時にこの構えを取って、今の感覚で相手を斬る。噛み砕いて言うと、剣術ってのはこんな感じた」
「え、それなら意外と簡単かも」
「いやいや簡単なわけあるか」
楽観する僕にピシャリと言う。
シシリオは構えを止め、木刀を腰の位置につがえた。
「戦闘中はこの型の意義を失わないように構え、始まる前は誰よりも素早く、そして正しく型につく。しかし戦時という、一度間違えれば命を失いかねない異常な空間で、冷静なまま、正しく剣の力を発揮できる型につくことがどれほど難しいか。だからこそ――血が滲む練習が確実を生むのさ」
閃光、それが迸り、視界を一瞬だけ眩ませるようなほんの短い時間。その刹那が過ぎる頃には、すでにシシリオは剣を構えていた。
淡々と説くシシリオは言葉を途切れさせることなく、気付けば風が不自然に揺らぎ、最後には揺るがぬ事実だけがあった。
認識できない速さだった。
理解した。
僕に見せた手本は、本当に
認識できない、ゆえに美しさも感じない。
あるのは歴然とした、格の違い。
「成功は大切さ。でも満点回答じゃない限り、たった一点の差が命運を分ける。万点億点ある問題からレッドは漸く五点ぐらいの正解を得ただけに過ぎない。慢心は最大の敵さ」
「ははは……手厳しいね」
「お前さんは甘やかすとすぐにダメ男になりそうだからね。熱いうちに叩いて伸ばす、鉄と一緒さ」
甘やかされたら僕はダメ男になるとは大変遺憾だが、シシリオの観察眼がそう判断したのだったら間違いない。
「加えてレッドの持つあの剣はただでさえ通常の物より少し長い。剣や棒は長ければ長いほど遠心力で外へ向かおうとする力が働く。あの剣は子供のお前さんには長すぎて、うまく扱うには筋肉、特に握力をつけないと剣に振り回されることになる」
「……つまり、基礎の型が重要になってくるんだね」
「その通り。基礎が教えてくれるのは剣の正しい持ち方だ。でもそれだけではない」
「?」
「画一的な『剣の振り方』よりも、いかなる場面の戦いでも役立つ作法・心持ち、まさしく『剣の握り方』を教えてくれる」
「剣士の真髄。アタシがまだアルム剣術を信頼する唯一の理由さ」、シシリオは少しだけ寂しそうに言った。
「レッド、覚えているか? 最初にアタシが言った"アルム剣術は洗練されている“。どういう意味だと思う」
洗練……言葉の意味は……ってあれ?
改めて「洗練」を他の言葉で言い直すと、どういう意味になるんだ?
言葉の意味は理解できる。だけれど意味を改め直すとなると一向に言葉が出ない。
「洗練とは、動きの無駄をなくすということ」
「無駄をなくす……」
「対等の実力者がいれば、当然だが実力は拮抗する。人間、ほとんどは能力に大差がなく、身につける技能も結局は人間の範疇を出ない」
シシリオの言っている話は当然のこととして飲み込める一方で、僕が如何なる努力をしてもシシリオのようにはなれない矛盾に突っかかりを覚えたが、ここで指摘するのも野暮だ。
「ゆえに他よりも洗練されたアルム剣術は合理化され、大差のない戦いにおいてどの技能よりも剣の一振り分、踏み込みの一足分、息継ぎの一呼吸分早く
――『一手』だ。
っ!
誰の記憶だ。
いやきっと僕の記憶だ。
――相手より『一手』先に剣を振る。だからこうして一手先にいけるよう、毎日素振り千回。これだけやってももしかしたら一秒も縮まらないかもしれないけどな。ハハハ!
この男は、誰だ?
――無駄だって? そんなこというなよ…………。
――え? なぜかってそりゃァ、その一秒が大切な人を守るのに必要な時間かもしれないだろ?
なんだこの会話……記憶にないはずなのに、この男が誰だかもわからないのに、どうしてか胸の奥が熱くなる。
ぼやけた、仄かな記憶が見せる景色の中に僕はあるものを見つけた。
その剣は、僕が持っている剣と同じものだった。
パシン!
シシリオが木刀で手のひらを叩き、弾けた音に僕は記憶の狭間から意識を舞い戻す。
「ぼーっとしてるが、一回休憩するか?」
「ん、いやいいよ。大丈夫」
咄嗟に僕はそう返した。
嘘も誤魔化しもしたつもりはないし、無理に平気を装ったつもりもない。実際、僕は元気だ。
けれど記憶について特に話す気は起きなかった。曖昧で、話してもどうにもならない内容だったし、まあいいかと思った。
「よし。じゃあ型の説明は以上にして、トレーニングに移ろう。体を作るため手始めに軽く……腹筋、腕立て、素振りを二百回でいこうか!」
「死んじゃうよ!」
「安心しろ。人はそう簡単には死なない。それぐらい辛いがな」
「っ……う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
脅しよりも遥かに恐ろしい言葉に僕は叫んだ。だが無情にも、シシリオの清々しい笑みを前に言葉は空中で散っていった。
こうして毎夜毎夜筋肉痛にうなされる、地獄のような特訓が始まるのだった。
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